アカにつける薬

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世界は日本をどう見ているか

2012年01月11日 | 日本人が勇気と誇りを取り戻す動画
世界は日本をどう見ているか

チェルノブイリ周辺は自然の楽園、住民は健康になっていた

2012年01月11日 | 放射能パニック
映画「チェルノブイリハート」と現実とは、随分違うようですね。チェルノブイリの立ち入り禁止区域は、今や動物や自然の楽園。人間も健康そのものですね。

ガンナ・コンスタンティノーバさんは、チェルノブイリ原発の事故後、住民と一緒に強制避難させられたが、1か月後には立ち入り禁止区域の自宅に戻り、以後、そこを一度も離れることなく、25年間住み続けている。チェルノブイリ原発周辺の「立ち入り禁止区域」には、今も高齢者を中心に数百人が住んでいる。一般的な「死」のイメージとは違い、驚くほど健康的で自由に生活を営んでいる。



記事はこちら
http://asamamo.blog.fc2.com/blog-category-6.html

身体の中にも放射能

2012年01月11日 | 放射能パニック
人間の体には一定の割合(体重の0.2%)でカリウムが含まれ、そのうちの0.0117%が、放射性のカリウム-40という物質です。
カリウムは体内で筋肉を動かす働きをする重要な元素で、食物を通じて常に体内に取り込まれています。
また、呼吸で、空気中の炭素-14やラドンなどの放射性物質が体内に取り込まれます。

しかし、食べ物や呼吸などで取り込まれた放射性物質は、時間とともに放射能が減衰したり、新陳代謝により体外に排出されたりして、身体の中の放射性物質はほぼ一定に保たれています。



いろんな分野で活躍する放射線

2012年01月11日 | 放射能パニック
ゴムやプラスチックなどに放射線を照射するとその性質がいろいろに変化することが知られています。
その中で利用されているものに「橋かけ」反応があります。
ポリエチレンのようなプラスチックのポリマーに放射線を当てると、ポリマーとポリマーが強く結ばれて丈夫な構造に変化します。
このように丈夫で質の高い製品作りに、放射線は欠かせないものとなっています。
しかし、ゴムやプラスチックなどに放射線を当てても放射能を持つことはありません。



放射能を恐れすぎるな、フクシマの危機は過ぎた。

2012年01月11日 | 放射能パニック


アルチュニャン博士はチェルノブイリ事故以降25年間にわたり、事故の収束、調査研究を続けてきた。フクシマの原発事故について「危機は過ぎた。後はどう冷やすか」「放射能が怖いのは海中でも地中でもなく、空中への飛散。今回の事故で飛散した放射線物質はチェルノブイリの10分の1であり、必要以上に放射線を恐れることはない。」と語った。博士はプライベートで来日し、石巻市でボランティア活動に参加の後、会見を開いた。【取材・構成・撮影 田野幸伸(BLOGOS編集部)】翻訳文提供:自由報道協会

会見詳細はこちら
http://blogos.com/article/23718/


世界は日本をどう見ているか

2012年01月11日 | 日本人が勇気と誇りを取り戻す動画
世界は日本をどう見ているか

中村仁信 低線量の放射線は健康に良い!

2012年01月10日 | 放射能パニック
中村仁信 低線量の放射線は健康に良い!

太平洋戦争開戦の真相、マスコミの戦争責任

2012年01月10日 | 商業左翼マスコミに告ぐ!
太平洋戦争開戦の真相、マスコミの戦争責任

メディアの大騒ぎが作り出す原発の「危険神話」

2012年01月08日 | 放射能パニック
メディアの大騒ぎが作り出す原発の「危険神話」
過剰報道が風評被害と2次災害を拡大する
2012.01.04(水) 池田 信夫


JB-PRESSより

ちょっと宣伝めいて恐縮だが、今年から私の経営するアゴラ研究所ではGEPR(グローバル・エネルギー・ポリシー・リサーチ)というウェブサイトでエネルギー問題についての世界の研究を紹介することになった。

 その第1号の論文でオックスフォード大学のウェイド・アリソン名誉教授は次のように書いている。

 
福島の原子力事故から8カ月の間、原子力問題に関する報道が数多く出ている。しかし放射線による死者は出ていない。これは大変興味深いことだ。通常は、これほどメディアの注目を集め続けるような大事故であれば、何十、何百どころか何千人もの死者が出ているものだ。[中略] 私たちは何か間違いを犯したのだろうか。



■科学より主婦の実感を信じる朝日新聞

 たぶん誰かが勘違いしているのだろう。放射能による死者は1人も出ていないのに、その報道は2万人近い死者・行方不明を出した東日本大震災に劣らず大きい。

 特に過激な報道を続けているのは、朝日新聞である。10月から続いている「プロメテウスの罠」という連載は、毎日こんな記事が続く。

(続きは JB-PRESSへ)


敵兵を救助せよ!Japanese Bushido saved lives

2012年01月08日 | 日本人が勇気と誇りを取り戻す動画
Japanese Bushido saved lives (1/3 of 3/3)


Japanese Bushido saved lives(2/3 of 3/3)


Japanese Bushido saved lives (3/3 of 3/3)


日本兵はサムライでした。
武士道とは、弱った敵をも全力で救出することです。
この動画を見れば、南京大虐殺など、あるわけなさそうですね。


ドイツ代表/ユーロ予選 スタンドに日の丸&日本の被災者にメッセージ

2012年01月07日 | 東日本大震災関連
ドイツ代表/ユーロ予選 スタンドに日の丸&日本の被災者にメッセージ

メイド・イン・ジャパン

2012年01月07日 | 世界の中の日本
メイド・イン・ジャパン

世界各国のホテルで、最も評価が高いのは「日本人」

2012年01月07日 | 世界の中の日本
世界各国のホテルで、最も評価が高いのは「日本人」

ロシア第1号のユニクロに大行列 日本式接客が好評(10/04/03)

2012年01月07日 | 世界の中の日本
ロシア第1号のユニクロに大行列 日本式接客が好評(10/04/03)

米軍が名誉に思う「トモダチ作戦」と、たった一人の「ありがとう作戦」

2012年01月04日 | 東日本大震災関連


2011年4月20日 ロケットニュースより)

震災発生以来、日本の復興に尽力したアメリカ軍。「トモダチ作戦」と名付けられ、最大人員約2万人、艦船約20隻、航空機約160機を投入。物資を被災地に運び、自衛隊とともに三陸沖で行方不明者を捜索した。

原発事故に関しても、無人偵察機を飛ばして撮影した写真を日本側に提供するなど、数多くの分野で労を惜しまなかった。仙台空港の復旧にも力を発揮し、被災からわずか5日でメインの滑走路を使用可能にしたのである。

そんななか、「トモダチ作戦」にお礼を言いたいと、とあるmixiユーザーがたった一人で感謝を伝えに行ったのだ。彼は自らの行動を「ありがとう作戦」と称し、4月1日に仙台空港へと足を運んだのである。

彼は「拝啓 トモダチ作戦に参加されている合衆国軍全将兵の皆様」と切り出した手紙を携えて、空港へ。尽力してくれた米軍一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたかったという。そして手紙には、彼らに最高の賛辞を与えるため「伊達男」という言葉の説明が添えられていた(伊達男とは、宮城の武将伊達政宗に由来する言葉で、粋な男を意味する。伊達男=米軍)。

さらに、震災で荒地と化した町の本来の姿を映した写真を添えていたのである。英語力が拙かった彼は、mixiで協力を募り、なんとか手紙を完成させたそうだ。

会話に不安を抱いていた彼なのだが、さいわいにも応対してくれた大尉が日本語堪能な人物だった。大尉にお礼を伝えると海兵たちが次々と集まり、「サンキュー、トモダチ!」、「アリガトウ!」と温かく迎えられた。そればかりか、大尉の計らいで現場で指揮を執っていたコゼニスキー大佐と会うことに。大佐と会ったときのことを、彼はブログでこう綴っている。

「改めて事情をお話し、大佐の「あなたが撮ったの?」、「ここはどこの写真?」、「ご家族や家は大丈夫だったかい?」といった質問を、大尉さんに通訳してもらいながらお話ししました」

感謝を伝えに来たはずの彼だったが、大佐からは次のような言葉が飛び出した。

「海兵隊にいて長いが、こんなに嬉しいことはなかったよ」

そして、所属部隊のロゴが入った記念コインをいただいたそうだ。彼にとってこのメダルは一生の宝物になり、メダルに刻まれた「Semper fidelis」(ラテン語で「常に忠義・忠誠・忠実であれ」的意味)は彼の信条になった。物語はこれで終わらない。

彼はこの後に浜辺に移動し、流木などを使って、「ARIGATO」の文字を書いたのだ。「いびつだし、下手くそだからわかってくれるかはわからないけど、まあ、いい自己満足にはなったよ(笑)」と、発見される見込みが薄いのを承知で、砂浜に感謝の文字を書いたのだ。

ところが4月8日になって、この文字が「トモダチ作戦」指揮官、ロバート・トス空軍大佐に発見されたのである。そのときの様子が米軍横田基地のブログで紹介されたのだ。4月3日の出来事として、大佐自身の言葉でこう伝えている。

「走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、ふと下を見るとそこに日本語の「ARIGATO」の文字があるのに気がついた。津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。

我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。それどころか、我々が去った後も彼らの戦いは続くのだ」
と発見したときの驚きを伝えている。

また、「仙台空港においてオペレーション・トモダチに携わった米軍は、すべて本州と沖縄の駐留部隊である。支援活動に派遣された全米軍人に代わって言いたい事は、我々を迎え入れてくれた友人であり隣人の日本の人々を支援できたのは我々にとって名誉だということだ」、「日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません」として、復興支援について振り返っているのだ。米軍の尽力により、どれだけの被災者が救われ、どれだけの日本人が勇気付けられたことだろうか。感謝をしてもし切れないほどだ。