未来へと続く中今

連綿と続く過去と未来、人とのつながりを綴るブログ

人は常に未来を創っている

2023-10-13 23:35:19 | 日記

この世はなぜ、不平等があるのか。

最近、親ガチャという言葉をよく聞くようになりました。

子どもの境遇は、ガチャガチャのように運により左右され、その後の人生は親の経済力により決定されるものとするものです。

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私の小中学生の頃の知り合いに、絵を描くのが大好きな女性がいました。

その女性は小学生のある日、母親が失踪してしまいました。その後、母親を探すために捜索を行いましたが見つかることがなく、父と弟と三人暮らしになりました。

それからその子は小学生でありながら、家庭を支えるために家事をするようになりました。

彼女は朝晩の食事の準備をして、ゴミ出しも行い、弟の世話を行いました。

これを小学生でありながら毎日行っていたのです。

彼女は子どもでありながら、本来なら親がすべきことを率先して行っていました。これはなぜなのでしょうか?

母親がいないから当然なのでは…こんな意見もあるでしょうが、だからと言って私たちがこのような境遇にあっても、泣いて拒否をすることもできたはずです。

 

彼女はその後、デザイン科の高校に進学しました

彼女は、中学生のころに人権をテーマにした演劇も行い、部活もしていましたが、そんな学生生活の中でも家庭のことをしていたはずです。

彼女がすごいなと思ったエピソードとして、「弁当の日」があります。

「弁当の日」とは、学生が弁当を自身で作るというもので、その「弁当の日」だけ、給食がなく弁当を持っていく必要があります。

その「弁当の日」は講演に来られていた方の話から学校で導入することになり、それについて全校集会で話がありました。

これには、高校進学を控えた3年生の先輩らから反発がありました。

弁当の日が何回あったのかは覚えていませんが、面倒くさかったことは覚えています。そこで私は弁当の日に”詰め合わせ”を行っていました。

弁当の日は自身の調理した料理のみを弁当にする決まりがあったので、冷凍食品や親の調理したものを弁当に入れることは禁止されていました。しかし、私は不真面目を選びました。それだけ朝早く起きにてご飯を作ることがとてもできなかったからです。

しかし、彼女は私や周りの学生が不満を抱いていた弁当の日よりも大変な毎日を過ごしていたのです。

そんな毎日の中で、美術部のなかった中学でも変わらず絵に情熱を注いでいたことでしょう。

彼女は誰よりもたくましく学生生活を過ごしたはずです。

高校からは彼女とは一度もあっていませんが、きっと才能が認められ、大好きな絵に携わる仕事をしながら心優しい女性になっていると思います

 

運命とは変えられないのでしょうか?迎えた運命は確かに変えられないと思います。しかし、これから未来の運命は私たち一人一人の思いから創られます。どんな未来になるかは、今現在も続く未来と過去の境にある「現在」から始まっています

私たちは、他者を見比べて自分の幸せを世間の価値観という虚構で比較しがちです。

価値観は平成まではメディアによる洗脳が大きいです。

どんな人生も私たちの物語です。過去や現在のどんな境遇も、あなたのこれからの人生のプロローグに過ぎないのかもしれません

私たちはあの世に還るまではこの世界であらゆる表現を通じ、成長をしていきます。そして、死後はあの世から子孫や地域、国、惑星を見守り、あの世でも多くの境遇を通じて魂の輪廻を通していくと感じています

これが古神道ではないかと感じています

 

 

 



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