今が全てではない
私事ですが、最近しっかり「哲学」をしている自分に驚いています。というのは、このシステムにかかわりだして「見えることとは」「時系列に」とか「仕事とは」「人はどのように変わっていくのか」とか考えていますと、知らず知らずのうちに自分自身の考え方も変わってきているのに気が付いてきました。ところで、非常にとっぴな話ですが、この世は3次元の世界だというのは当たり前です。しかし少し違う気もします。この世の全ての事象は因果関係を持っています。輪廻転生とでもいうのですか、全てのものは時間と切り離せないものだということです。もちろん人の意識も含めてそうだろうと思っています。すなわち、この世は4次元の世界なのです。立て、横、高さ、の事象の背景には常に時間が流れています。例えば大きな岩山が、長い時間の間には目に見えないようでも風化し、変化していきます。私達の立っている地球そのものが自転、公転をしています。じっと止まっているものは何も無いのです。
それから遺跡の発掘では、人骨のそばに埋もれた道具によって、いつ頃の時代の物だということが分かるそうです。また、原始人の骨か、猿の骨かを区別するのも側に道具があるかどうかで判断するそうです。したがって、人間の歴史は道具を創り出す歴史でもあったのです。そして、人間の創り出す道具は、あらかじめ使うだろう時期を見越して必要な道具を作っておく。それが、他の「道具」を作る動物とは決定的に違うのです。その道具を改良し、自然界のいろいろな事象を利用して、道具を進歩させてきました。何百万年という長い時間をかけた、道具作りの歴史の延長線上に現在があるのです。そのことが、人間の技術技能を進化させ、文化を発展させてきました。そしてこれから先も続いていくのです。これが「仕事」の歴史的意義なのです。
物の本によると、現在、宇宙の年齢は150億年。地球を含む太陽系、それを含む銀河が形成されたのは、95億年前ごろ。そして、太陽が生まれたのが、46億年前。地球もそのころに誕生しています。地球上に生命が誕生したのが38億年前ごろ。長い単細胞の時代を経て約7億年前にやっと多細胞生物が出現します。最初の脊椎動物が現れたのが5億年前。海で生まれたそれらの生物が、陸地に進出したのは4億年前。そして、ヒトの祖先が直立二歩行で「決定的な一歩」を地上に記したのが500万年前。直立二歩行は両手を自由にし音声を発達させました。言葉をもった人間はどんどん脳の働きを活発にし、やがて地球を支配するようになっていきます。地球の寿命は太陽と共にあります。太陽の「死」は約50億年後といわれています。そのことは、地球上でのこれまでの生命の歴史に比べて「これからの時代」のほうが長いということでもあります。
話が飛んでしまいました。わたしが言いたいことは、何事も「今見えていることが全てではない」ということです。個が個別に、意識的に、変わっていける可能性を、客観的に必然的に、もっています。急激にあるいは緩やかに持っているのです。全ての人とはあえて言いません。しかし特別な人だけではないのは確かです。いえるのは、「急激に」の人は今まで下地を作ってきた人であり、「緩やかに」の人はこれから下地も含めて成長する人なのです。そして、変わっていける条件は、物事の本質を知ること。本質は現象の裏側に隠れています。プロセス表現することの裏側は本質を表現することに通じます。すなわち「時系列に、順を追って」物事を見るということです。
人間とプロセス
本来の、人間のあるべき姿とはどの様なものなのでしょう。おそらくこれは、以前言った仕事(物を生産する)をすることによってのみそれが、社会的人間としての自覚となり得るのだろうと思います。現代社会に於いては、いくら「自給自足」と言っても一個人としては何一つ生産することは出来ません。一次産業的な農業や漁業にしても、全て何らかの「他人が作った道具」を必要とします。そしてまた、それらの「仕事」には全て「順序」があります。順序関係を無視して仕事はなりたちません。その全ての社会的「仕事」の順序関係の上に個々の人間が携わり、社会を形成しています。個々の企業を越え、地域を越えて、国を越えてこの順序は緻密に繋がっています。今、自分たちがやっている「仕事」には、膨大な量の「順序関係」が「時系列的」に前にも後ろにも繋がっているのです。
インターネットの普及は、世界を小さくしてしまいました。これを、仕事に取り込んでいる企業も多くなっています。しかし、圧倒的な数の個人はこのような情報ネットワークを仕事の上で利用していません。残念ながら、個々の仕事に必要なネットワークソフトがまだ整備されていないからです。
個が使えなかった生産管理ソフト
社会で一番必要とされる生産現場で、最も必要な情報ソフトは、今までいろいろと試み作られてきました。しかし、実際の仕事には様々な形があり過ぎて個別的な情報管理の位置までは届いていません。したがって、ある程度のところまで行くと集中管理的になり、現実的には活用しきれていないのが実情です。時間的現在の仕事の状況が全体、全量として把握できない限り、時間的将来の予測も計画も有り得ないわけです。今までいろいろな生産管理ソフトが開発されてきました。しかし、なかなか効率アップに繋がらなかった。使いこなすことができなかった。それは、個が使うことのできるソフトではなかったからです。管理部門、管理者等、現場以外の人間が使うものだという前提をぬぐい切れないで、現場からかけ離れた発想で開発されたものだからなのです。それは、企業家が、作業者レベルの人間を信頼することができなかったことに起因しています。現場の作業者は非常に正直な面を持っています。その一面をいかに信用するかが、現代に於いての、企業家の一番重要なハードルなのです。個人個人の仕事の感覚が持つ予定と、システムのはじき出す予定が一致しなければ、生産管理ソフトの役割は無に等しいものとなります。結果的に過去の集計にしかなりません。 現在のように仕事そのものが少なくなり、しかも非常に波が激しい。このような状況では、過去の集計による未来予測など全く意味を成しません。右肩上がりの経済を期待するだけ無駄な時代なのです。
成功できた条件
したがって「見える、見る、見せる、見られる」の要素は必ず必要です。自己主張の出し方として、ある一定の社会性。何かを創り出すという人間性。そして、それを生み出せる現実的な環境。それらが行動の背景にあれば、自然に自発的に自己主張は出てきます。しかし、現実には「見える、見る、見せる、見られる」のバランスが取れていません。「見える」環境にないことが「見る、見せる」の主体的自発性の積極性を摘み取ってしまい、「見られる」事の持つ「襟を正す」行動を殺してしまっています。自己主張のパワーは出てきようがないのです。
ところで成功を収めた企業家は、その、個の持っている自己主張のパワーを強く意識してそれを企業体質に昇華させたものと思えます。したがって、個の力を信用しそれを恒常的に引き出すことに成功した企業家のみが成功を収めることができるのです。そして、個の持つ自発性を引き出す環境が整えば個は自発的主体的に自己啓発を進めていきます。その、トータル的なエネルギーを考えイメージ付ける事のできる企業家のみが、21世紀を力強く生き抜くに値する企業体を創れるのです。人間の持つ精神的エネルギーの年齢はありません。年齢と共にそれが衰退してしまう環境にあることが問題なのです。そして、それらの人達のエネルギーを最大限に引き出せるシステムを作っていく「仕事」は、ある一面大変な「仕事」です。しかし、あくまでも個の動きを見つめられる目があれば、そして、それを認めるだけの技術に裏付けられた技量があるならば、その可能性は大です。そして、その事は今までの管理とは概念として異なるものです。
究極の管理
管理とは「取り仕切る」という意味を持っています。現代人はいままで何を取り仕切りたかったのか。それは時間そのものだったのです。流れている時間を管理することの難しさ。それを解決する道具がない。そのために、ありとあらゆる事象に対する「何百もの管理」が発生する要因となったのだろうと思えます。そして、私自身も今まで長い間「管理、管理」と言い立ててきた一人です。しかしながら、最近のモニター社を見ていると「何を管理するの?」という感じで仕事が流れています。納期が遅れる事はまずもって無いし、無駄が少なく作業効率も高い。品質も向上している。人の動きもすべて見えているし、在庫、財務の動きも良く見えるようになった。先々の仕事もすべて見えているし、過去の履歴もすべて残っていく。「人、物、金」の管理が、意識せずに自然体でできるようになってしまいました。いうならば、究極の管理とは企業から「管理」という言葉そのものがなくなること。「管理」という意識さえもなくなってしまうことです。残る管理は、人の健康管理でしょうか。しかしそれさえも、「血圧が上がるような」とか「心臓に悪い」「胃がいたくなる」とかの要因がなくなってしまえば、自然と健康状態も良くなっていくことと思います。
個人の顔が見えてきた
そして、システム導入から一年が過ぎました。確かに個の力の効果は、結果的に出た数字でも分かるように大きな物でした。管理という言葉までも吸収してしまうような変化を遂げました。しかし、個々には意識として変革しきれない状態は続いているようです。雰囲気的には、非常に静かです。そして、気が抜けたような感じに見えもします。個々の格差も段々と見えてきました。今までの仕事が持っていた時間にまつわる諸々の問題。納期が遅れたり、それにより品質に悪影響が出たり。「ここまでしておかなければ」という基準に満たないまま、次工程に流さざるを得なくなり。不具合の対処もままならないと言う状態でした。その様な今までの「見えなかった」事に起因するあらゆる問題が、個人個人のプロセス管理と時系列的管理によって全て吸収された感じです。本来の仕事のみが相手になってきたのです。そして、それらの問題の中に埋もれてしまって「見えていなかった個人個人の顔」が、ここにきて見えてき始めたのでしょう。「先が見えた人」は、まだ「先の見えていない人」に、いらだちを感じ始めました。個々の関係が今までと異なる面を持ってきたのです。即ち、「仕事」に対するトータル的な意識がその人間関係の判断材料になるのです。と言う事は、個人の品質そのものが見えてきたのではないでしょうか。
仕上げの人達の話
仕上げ工程の人達の話を少し聞いてみると。
「活気がなくなった。」 「仕事の時間を多めに設定しているのに、それよりもオーバーする。」「時間稼ぎをしているように見える。」「会社のことを考えている人が非常に少ないと思える。」「納期意識がない。そのことに屁理屈を付けて逃げている。」「手が空いているのかブラブラしている人が多いように見える。」「もう少しでキリの付く仕事を、キリを付けないまま定時間が近付くと次の段取りをしてサッサと帰ってしまう」
今までと、話の内容は少しも変わっていないように聞こえます。自工程の内部の不満と、前工程に対する不信感がたくさんでてきます。しかし、「これでは面白くない。そこで、前工程の人達と話をする場を作った。響いてくる人とそうでない人が居る。」それから、「自分たちのところでは仕事の空きを見ながら予定外の仕事を入れさせて頑張った。少しでも儲けることを考えている。」これは、いまだかつて無かった動きです。
意識改革の出発点
人は、ネガティブな面から思考するもののようです。ネガティブさをまず外面的な要因として考え、行動を起こします。そして、その行動の繰り返しの中で自分自身の内面的なネガティブさに気が付くのです。その段階にきて始めてポジティブな意識改革が始まるようです。そしてまた、人は自分の内面に「正と負」のような矛盾した意識を同一同時に持っているようです。例えば、子供が「勉強をしたいけれども、したくない」。歌の文句で言うと「憎んでいるのに、愛している」とか「信じたいのに、信じたくない」のようなものでしょうか。その様な矛盾は、大きければ大きいほど少しのきっかけで変化します。そのきっかけとは「見える」ということです。勉強が良く分かり出した子供は勉強がおもしろくなるから、放っておいても自分で勉強をしだします。そして、相手の心が見えてくると「信じられなかったり、憎んだり」が「信じられたり、愛せたり」になるように変化します。意識の内部でのネガティブな面は、ポジティブな面を強く意識の中で要求しているのだと思います。そしてそれは、日々をどの様に感じてどの様に見ていたかの結果でもあります。否定的な言葉をたくさん持っている人ほど、現実的で肯定的な面を持っています。その肯定的な面をアピールしている言葉が、否定的な言葉として表面に現れるのでしょう。
ここから始まる
仕事の流れとして、全体的に見れば確かに同じテーブルの上に乗った。そして、その事が個人個人の実績を積み上げるスタートラインなのです。年齢の差、経験の差、いろいろと個人差はありますがここがスタートラインです。なぜなら、いまだかつて全体が同一条件で見えたことはなかったのです。そして、いまだかつて無い経験をモニター社の人達は味わっているのです。おそらく、一般的な製造業で個がここまで到達できる環境を実現した企業はまだ無い。いうならば歴史的な出来事なのです。管理されるという受動的な立場から管理するという要因を取り除くと、個そのものが表面化します。その個は次にどちらへ向かって進むのでしょうか。時系的に発生していた諸々の軋轢から解放され心理的ゆとりを持った個は次に自分は何をすれば良いのか。考えることをスタートしなければなりません。21世紀はグローバルな時代です。そのためにも高いインテリジェンス性を必要とする時代です。例えば、専門的な分野での知識を深める。あるいは、外国語を話せるように勉強する。そして、一般的な教養を身に付けるための学習をしていく。等。自分自身のポテンシャルを高める動きをするべきでしょう。
決算期を迎える。
システム導入後約2年が経過しました。そして、システムを通年使用した初の決算を迎えます。前期決算での成績は前年度比200%の伸びで、経常利益率は倍加し売上高に対する比率は18.4%と一般製造業としてはかなり高い数値が出ました。気になる今期決算は、前期比売上高+20%の伸び、利益も+12%の伸び、利益率も19%と高水準でした。内容として、特筆すべきは運輸費-57%、旅費-32%、そして電力費-9%。運輸費は最も効率のよいタイミングと、金型業界の避けて通れなかった納入後の型の行き帰りが高品質のお陰で半減しました。それにともなって燃料費も大幅に減少しています。 そしてまた、不必要な人の移動も減り出張等の旅費もグンと少なくなっています。全体的な工数低減で、電力費も約1割の減となります。稼働日数が減少した分そのまま減となりました。反面、通信費はインターネットの利用等で74%のアップとなっています。稼働率が上がってきたためか、設備機械類の修繕費もアップしています。
リードタイムの大幅な短縮による回転率の良さは、システムが日常的に保持しているためよほど大きな外因がない限り高回転で安定しているようです。システムの持つプロセス表現、山崩しの基本的な考え方が大きく作用していると思えます。大変なエネルギーをかけてやり方を変えたにしても、人が常にそのエネルギーを出し続けなければ継続し得ない仕組みではすぐに元の杢阿弥になってしまいます。後戻りしないためのシステムでもあるのです。そしてそれが一番大切なことなのです。グローバル経済が、どの様に変化しても内的な力量は維持発展し変革させて行くことができます。そして何よりも、客先の信頼は仕事を取りやすくします。全体的に仕事の薄い状況が続くなかでも、先々の仕事量を計画的に確保し得るのです。当然のように4S、6Sの向上にも繋がります。ISO9000シリーズの様な高度の管理体制も容易に出来上がることでしょう。
結果的に出てくる利益を個々のゲインとして配分することも安心してできるようになります。この事が新しい力となり、より効率の高い高品位な「仕事」となって、社内全体が大きな知恵袋になって行きます。自在にプロセス表現ができ、そのプロセスが資源舞台上の時系列に並べられる。それらの全てがリンクされて居る。この事は、今まで非常に複雑だと思われていた「仕事」の内容をすっきりとシンプルなものに変えてしまいます。そして、そのシンプルな「物」の流れに沿って工程そのものもさらにシンプルになり圧倒的なリードタイムの短縮に繋がって行くのです。
今やっている事の意味
今までリードタイムそのものが「見えていなかった」。そのことにより、受注単価が適性かどうか判断できなかった。しかし、各工程の必要工数が正確になり次工程とのタイミングがピタリと合致してくると、品質的にも向上してきます。今までは、無駄と思われていた工数が必要な作り込みのための工数であったり、必要と思っていた工数が前工程での作り込みにより不要になったり。各工程でのいろいろな作業環境が整理されて行きます。それが品質そのものにフィードバックされ無理のない適正な工数が表面に現れてきます。工程のどこを切っても同一品質が保証できるのです。各工程間の品質はそのまま最適な物流関係を生み出し、よりリードタイムを短くします。受注活動のその場でシュミレーションし、単価、品質、納期等、細かな打ち合わせが可能となり営業活動もより正確でシンプルになって行きます。「見える」事があらゆる事象に波及し変革を求めてきます。それにどう対処して行くのかリアルタイムの動きが必要になります。今対処したことが将来の起こるであろう事象に対してダイレクトに繋がることになるのです。その繰り返しがなければ、今やっていることは何等意味を持たないことになってしまいます。すなわち、「見える」という大前提がなければ、あらゆる動きが無駄に浪費していると言う事であり「見えない」ことは無駄の最大要因なのです。
1998年
私事ですが、最近しっかり「哲学」をしている自分に驚いています。というのは、このシステムにかかわりだして「見えることとは」「時系列に」とか「仕事とは」「人はどのように変わっていくのか」とか考えていますと、知らず知らずのうちに自分自身の考え方も変わってきているのに気が付いてきました。ところで、非常にとっぴな話ですが、この世は3次元の世界だというのは当たり前です。しかし少し違う気もします。この世の全ての事象は因果関係を持っています。輪廻転生とでもいうのですか、全てのものは時間と切り離せないものだということです。もちろん人の意識も含めてそうだろうと思っています。すなわち、この世は4次元の世界なのです。立て、横、高さ、の事象の背景には常に時間が流れています。例えば大きな岩山が、長い時間の間には目に見えないようでも風化し、変化していきます。私達の立っている地球そのものが自転、公転をしています。じっと止まっているものは何も無いのです。
それから遺跡の発掘では、人骨のそばに埋もれた道具によって、いつ頃の時代の物だということが分かるそうです。また、原始人の骨か、猿の骨かを区別するのも側に道具があるかどうかで判断するそうです。したがって、人間の歴史は道具を創り出す歴史でもあったのです。そして、人間の創り出す道具は、あらかじめ使うだろう時期を見越して必要な道具を作っておく。それが、他の「道具」を作る動物とは決定的に違うのです。その道具を改良し、自然界のいろいろな事象を利用して、道具を進歩させてきました。何百万年という長い時間をかけた、道具作りの歴史の延長線上に現在があるのです。そのことが、人間の技術技能を進化させ、文化を発展させてきました。そしてこれから先も続いていくのです。これが「仕事」の歴史的意義なのです。
物の本によると、現在、宇宙の年齢は150億年。地球を含む太陽系、それを含む銀河が形成されたのは、95億年前ごろ。そして、太陽が生まれたのが、46億年前。地球もそのころに誕生しています。地球上に生命が誕生したのが38億年前ごろ。長い単細胞の時代を経て約7億年前にやっと多細胞生物が出現します。最初の脊椎動物が現れたのが5億年前。海で生まれたそれらの生物が、陸地に進出したのは4億年前。そして、ヒトの祖先が直立二歩行で「決定的な一歩」を地上に記したのが500万年前。直立二歩行は両手を自由にし音声を発達させました。言葉をもった人間はどんどん脳の働きを活発にし、やがて地球を支配するようになっていきます。地球の寿命は太陽と共にあります。太陽の「死」は約50億年後といわれています。そのことは、地球上でのこれまでの生命の歴史に比べて「これからの時代」のほうが長いということでもあります。
話が飛んでしまいました。わたしが言いたいことは、何事も「今見えていることが全てではない」ということです。個が個別に、意識的に、変わっていける可能性を、客観的に必然的に、もっています。急激にあるいは緩やかに持っているのです。全ての人とはあえて言いません。しかし特別な人だけではないのは確かです。いえるのは、「急激に」の人は今まで下地を作ってきた人であり、「緩やかに」の人はこれから下地も含めて成長する人なのです。そして、変わっていける条件は、物事の本質を知ること。本質は現象の裏側に隠れています。プロセス表現することの裏側は本質を表現することに通じます。すなわち「時系列に、順を追って」物事を見るということです。
人間とプロセス
本来の、人間のあるべき姿とはどの様なものなのでしょう。おそらくこれは、以前言った仕事(物を生産する)をすることによってのみそれが、社会的人間としての自覚となり得るのだろうと思います。現代社会に於いては、いくら「自給自足」と言っても一個人としては何一つ生産することは出来ません。一次産業的な農業や漁業にしても、全て何らかの「他人が作った道具」を必要とします。そしてまた、それらの「仕事」には全て「順序」があります。順序関係を無視して仕事はなりたちません。その全ての社会的「仕事」の順序関係の上に個々の人間が携わり、社会を形成しています。個々の企業を越え、地域を越えて、国を越えてこの順序は緻密に繋がっています。今、自分たちがやっている「仕事」には、膨大な量の「順序関係」が「時系列的」に前にも後ろにも繋がっているのです。
インターネットの普及は、世界を小さくしてしまいました。これを、仕事に取り込んでいる企業も多くなっています。しかし、圧倒的な数の個人はこのような情報ネットワークを仕事の上で利用していません。残念ながら、個々の仕事に必要なネットワークソフトがまだ整備されていないからです。
個が使えなかった生産管理ソフト
社会で一番必要とされる生産現場で、最も必要な情報ソフトは、今までいろいろと試み作られてきました。しかし、実際の仕事には様々な形があり過ぎて個別的な情報管理の位置までは届いていません。したがって、ある程度のところまで行くと集中管理的になり、現実的には活用しきれていないのが実情です。時間的現在の仕事の状況が全体、全量として把握できない限り、時間的将来の予測も計画も有り得ないわけです。今までいろいろな生産管理ソフトが開発されてきました。しかし、なかなか効率アップに繋がらなかった。使いこなすことができなかった。それは、個が使うことのできるソフトではなかったからです。管理部門、管理者等、現場以外の人間が使うものだという前提をぬぐい切れないで、現場からかけ離れた発想で開発されたものだからなのです。それは、企業家が、作業者レベルの人間を信頼することができなかったことに起因しています。現場の作業者は非常に正直な面を持っています。その一面をいかに信用するかが、現代に於いての、企業家の一番重要なハードルなのです。個人個人の仕事の感覚が持つ予定と、システムのはじき出す予定が一致しなければ、生産管理ソフトの役割は無に等しいものとなります。結果的に過去の集計にしかなりません。 現在のように仕事そのものが少なくなり、しかも非常に波が激しい。このような状況では、過去の集計による未来予測など全く意味を成しません。右肩上がりの経済を期待するだけ無駄な時代なのです。
成功できた条件
したがって「見える、見る、見せる、見られる」の要素は必ず必要です。自己主張の出し方として、ある一定の社会性。何かを創り出すという人間性。そして、それを生み出せる現実的な環境。それらが行動の背景にあれば、自然に自発的に自己主張は出てきます。しかし、現実には「見える、見る、見せる、見られる」のバランスが取れていません。「見える」環境にないことが「見る、見せる」の主体的自発性の積極性を摘み取ってしまい、「見られる」事の持つ「襟を正す」行動を殺してしまっています。自己主張のパワーは出てきようがないのです。
ところで成功を収めた企業家は、その、個の持っている自己主張のパワーを強く意識してそれを企業体質に昇華させたものと思えます。したがって、個の力を信用しそれを恒常的に引き出すことに成功した企業家のみが成功を収めることができるのです。そして、個の持つ自発性を引き出す環境が整えば個は自発的主体的に自己啓発を進めていきます。その、トータル的なエネルギーを考えイメージ付ける事のできる企業家のみが、21世紀を力強く生き抜くに値する企業体を創れるのです。人間の持つ精神的エネルギーの年齢はありません。年齢と共にそれが衰退してしまう環境にあることが問題なのです。そして、それらの人達のエネルギーを最大限に引き出せるシステムを作っていく「仕事」は、ある一面大変な「仕事」です。しかし、あくまでも個の動きを見つめられる目があれば、そして、それを認めるだけの技術に裏付けられた技量があるならば、その可能性は大です。そして、その事は今までの管理とは概念として異なるものです。
究極の管理
管理とは「取り仕切る」という意味を持っています。現代人はいままで何を取り仕切りたかったのか。それは時間そのものだったのです。流れている時間を管理することの難しさ。それを解決する道具がない。そのために、ありとあらゆる事象に対する「何百もの管理」が発生する要因となったのだろうと思えます。そして、私自身も今まで長い間「管理、管理」と言い立ててきた一人です。しかしながら、最近のモニター社を見ていると「何を管理するの?」という感じで仕事が流れています。納期が遅れる事はまずもって無いし、無駄が少なく作業効率も高い。品質も向上している。人の動きもすべて見えているし、在庫、財務の動きも良く見えるようになった。先々の仕事もすべて見えているし、過去の履歴もすべて残っていく。「人、物、金」の管理が、意識せずに自然体でできるようになってしまいました。いうならば、究極の管理とは企業から「管理」という言葉そのものがなくなること。「管理」という意識さえもなくなってしまうことです。残る管理は、人の健康管理でしょうか。しかしそれさえも、「血圧が上がるような」とか「心臓に悪い」「胃がいたくなる」とかの要因がなくなってしまえば、自然と健康状態も良くなっていくことと思います。
個人の顔が見えてきた
そして、システム導入から一年が過ぎました。確かに個の力の効果は、結果的に出た数字でも分かるように大きな物でした。管理という言葉までも吸収してしまうような変化を遂げました。しかし、個々には意識として変革しきれない状態は続いているようです。雰囲気的には、非常に静かです。そして、気が抜けたような感じに見えもします。個々の格差も段々と見えてきました。今までの仕事が持っていた時間にまつわる諸々の問題。納期が遅れたり、それにより品質に悪影響が出たり。「ここまでしておかなければ」という基準に満たないまま、次工程に流さざるを得なくなり。不具合の対処もままならないと言う状態でした。その様な今までの「見えなかった」事に起因するあらゆる問題が、個人個人のプロセス管理と時系列的管理によって全て吸収された感じです。本来の仕事のみが相手になってきたのです。そして、それらの問題の中に埋もれてしまって「見えていなかった個人個人の顔」が、ここにきて見えてき始めたのでしょう。「先が見えた人」は、まだ「先の見えていない人」に、いらだちを感じ始めました。個々の関係が今までと異なる面を持ってきたのです。即ち、「仕事」に対するトータル的な意識がその人間関係の判断材料になるのです。と言う事は、個人の品質そのものが見えてきたのではないでしょうか。
仕上げの人達の話
仕上げ工程の人達の話を少し聞いてみると。
「活気がなくなった。」 「仕事の時間を多めに設定しているのに、それよりもオーバーする。」「時間稼ぎをしているように見える。」「会社のことを考えている人が非常に少ないと思える。」「納期意識がない。そのことに屁理屈を付けて逃げている。」「手が空いているのかブラブラしている人が多いように見える。」「もう少しでキリの付く仕事を、キリを付けないまま定時間が近付くと次の段取りをしてサッサと帰ってしまう」
今までと、話の内容は少しも変わっていないように聞こえます。自工程の内部の不満と、前工程に対する不信感がたくさんでてきます。しかし、「これでは面白くない。そこで、前工程の人達と話をする場を作った。響いてくる人とそうでない人が居る。」それから、「自分たちのところでは仕事の空きを見ながら予定外の仕事を入れさせて頑張った。少しでも儲けることを考えている。」これは、いまだかつて無かった動きです。
意識改革の出発点
人は、ネガティブな面から思考するもののようです。ネガティブさをまず外面的な要因として考え、行動を起こします。そして、その行動の繰り返しの中で自分自身の内面的なネガティブさに気が付くのです。その段階にきて始めてポジティブな意識改革が始まるようです。そしてまた、人は自分の内面に「正と負」のような矛盾した意識を同一同時に持っているようです。例えば、子供が「勉強をしたいけれども、したくない」。歌の文句で言うと「憎んでいるのに、愛している」とか「信じたいのに、信じたくない」のようなものでしょうか。その様な矛盾は、大きければ大きいほど少しのきっかけで変化します。そのきっかけとは「見える」ということです。勉強が良く分かり出した子供は勉強がおもしろくなるから、放っておいても自分で勉強をしだします。そして、相手の心が見えてくると「信じられなかったり、憎んだり」が「信じられたり、愛せたり」になるように変化します。意識の内部でのネガティブな面は、ポジティブな面を強く意識の中で要求しているのだと思います。そしてそれは、日々をどの様に感じてどの様に見ていたかの結果でもあります。否定的な言葉をたくさん持っている人ほど、現実的で肯定的な面を持っています。その肯定的な面をアピールしている言葉が、否定的な言葉として表面に現れるのでしょう。
ここから始まる
仕事の流れとして、全体的に見れば確かに同じテーブルの上に乗った。そして、その事が個人個人の実績を積み上げるスタートラインなのです。年齢の差、経験の差、いろいろと個人差はありますがここがスタートラインです。なぜなら、いまだかつて全体が同一条件で見えたことはなかったのです。そして、いまだかつて無い経験をモニター社の人達は味わっているのです。おそらく、一般的な製造業で個がここまで到達できる環境を実現した企業はまだ無い。いうならば歴史的な出来事なのです。管理されるという受動的な立場から管理するという要因を取り除くと、個そのものが表面化します。その個は次にどちらへ向かって進むのでしょうか。時系的に発生していた諸々の軋轢から解放され心理的ゆとりを持った個は次に自分は何をすれば良いのか。考えることをスタートしなければなりません。21世紀はグローバルな時代です。そのためにも高いインテリジェンス性を必要とする時代です。例えば、専門的な分野での知識を深める。あるいは、外国語を話せるように勉強する。そして、一般的な教養を身に付けるための学習をしていく。等。自分自身のポテンシャルを高める動きをするべきでしょう。
決算期を迎える。
システム導入後約2年が経過しました。そして、システムを通年使用した初の決算を迎えます。前期決算での成績は前年度比200%の伸びで、経常利益率は倍加し売上高に対する比率は18.4%と一般製造業としてはかなり高い数値が出ました。気になる今期決算は、前期比売上高+20%の伸び、利益も+12%の伸び、利益率も19%と高水準でした。内容として、特筆すべきは運輸費-57%、旅費-32%、そして電力費-9%。運輸費は最も効率のよいタイミングと、金型業界の避けて通れなかった納入後の型の行き帰りが高品質のお陰で半減しました。それにともなって燃料費も大幅に減少しています。 そしてまた、不必要な人の移動も減り出張等の旅費もグンと少なくなっています。全体的な工数低減で、電力費も約1割の減となります。稼働日数が減少した分そのまま減となりました。反面、通信費はインターネットの利用等で74%のアップとなっています。稼働率が上がってきたためか、設備機械類の修繕費もアップしています。
リードタイムの大幅な短縮による回転率の良さは、システムが日常的に保持しているためよほど大きな外因がない限り高回転で安定しているようです。システムの持つプロセス表現、山崩しの基本的な考え方が大きく作用していると思えます。大変なエネルギーをかけてやり方を変えたにしても、人が常にそのエネルギーを出し続けなければ継続し得ない仕組みではすぐに元の杢阿弥になってしまいます。後戻りしないためのシステムでもあるのです。そしてそれが一番大切なことなのです。グローバル経済が、どの様に変化しても内的な力量は維持発展し変革させて行くことができます。そして何よりも、客先の信頼は仕事を取りやすくします。全体的に仕事の薄い状況が続くなかでも、先々の仕事量を計画的に確保し得るのです。当然のように4S、6Sの向上にも繋がります。ISO9000シリーズの様な高度の管理体制も容易に出来上がることでしょう。
結果的に出てくる利益を個々のゲインとして配分することも安心してできるようになります。この事が新しい力となり、より効率の高い高品位な「仕事」となって、社内全体が大きな知恵袋になって行きます。自在にプロセス表現ができ、そのプロセスが資源舞台上の時系列に並べられる。それらの全てがリンクされて居る。この事は、今まで非常に複雑だと思われていた「仕事」の内容をすっきりとシンプルなものに変えてしまいます。そして、そのシンプルな「物」の流れに沿って工程そのものもさらにシンプルになり圧倒的なリードタイムの短縮に繋がって行くのです。
今やっている事の意味
今までリードタイムそのものが「見えていなかった」。そのことにより、受注単価が適性かどうか判断できなかった。しかし、各工程の必要工数が正確になり次工程とのタイミングがピタリと合致してくると、品質的にも向上してきます。今までは、無駄と思われていた工数が必要な作り込みのための工数であったり、必要と思っていた工数が前工程での作り込みにより不要になったり。各工程でのいろいろな作業環境が整理されて行きます。それが品質そのものにフィードバックされ無理のない適正な工数が表面に現れてきます。工程のどこを切っても同一品質が保証できるのです。各工程間の品質はそのまま最適な物流関係を生み出し、よりリードタイムを短くします。受注活動のその場でシュミレーションし、単価、品質、納期等、細かな打ち合わせが可能となり営業活動もより正確でシンプルになって行きます。「見える」事があらゆる事象に波及し変革を求めてきます。それにどう対処して行くのかリアルタイムの動きが必要になります。今対処したことが将来の起こるであろう事象に対してダイレクトに繋がることになるのです。その繰り返しがなければ、今やっていることは何等意味を持たないことになってしまいます。すなわち、「見える」という大前提がなければ、あらゆる動きが無駄に浪費していると言う事であり「見えない」ことは無駄の最大要因なのです。
1998年
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