にそくにりん

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生産管理システムの役割 (1)

1998年04月29日 | その他
『このシステムを世に出す前に』

 個へのこだわり
21世紀に向けこのシステムを創るにあたり。今後の社会がどのようなものを求めるのか。企業活動のありかたはどうなって行くのか。そして、そこに働く人達は何をもって働き続けるのか。21世紀を間近にし、ますます日本経済は崩壊の道をたどっています。安定した企業活動が非常にできにくい現在にあって、経営者はもちろん、従業員も不安を抱きながらそれでもがんばっています。企業体質を変革し強くならなくてはなりません。
個の集まりとしての企業は、価値観や考え方の違ういろいろな人達の集まりです。しかし、何らかの物を生産し、それらを商品として販売することによって、初めて成り立つことのできる企業なのです。個の価値観や考え方の違いを越えて、それ以前に商品として成り立つ品質や納期を確保しなければなりません。そしてその上に剰余価値、付加価値を乗せて拡大再生産を繰り返します。価値が価値を生まなくては、企業は死滅していきます。
 バブル崩壊後大きく低迷してしまった経済は、上向きになることを忘れてしまいました。多くの中小企業が、そして大企業までも倒産の憂き目に遭い続けています。今まで通りの企業活動ではやっていけない時代なのです。企業の持つ体質は個の集まりが形成しています。それらの個の繋がりが仕事を順序立てて流しています。価値を生み出す源です。しかし、右肩上がりで発展してきた経済は、総合的に個をないがしろにしてきました。そのしっぺ返しが現在の立ち直ることのできない長期不況でもあるのです。
 それでも現在の情報管理の世界に於いては、高度な物流管理システムをはじめ、先進的な情報管理システムによって大きく業績を延ばしている企業もでてきています。しかしまだ、個人、一個、という単位にまでは届いてはいません。それらの個別には到達している物もあるようですが。人と物とが一体に、あるいは同時に、時間を追って価値を生み出す瞬間を捕らえられるものは今だないようです。生産性と人の単価のバランスが崩れると企業は成り立たなくなります。そして、そのバランスが企業体質そのものでもあります。今まさに、人の個、物の個にもっと光を当てる必要があるのではないでしょうか。
 
 蹴られて どこへ
私たちは「自分のどこを蹴られたら、自ら動くことができるのか」というテーマから、考える事にしたのです。自分自身の問題として討論を重ね、結論として出たのはとにかく「見える」こと。仕事を進行する上でのあらゆる情報が欲しい。それが「見える」こと。受注から出荷まで。そして、その各工程のどこに自分は携わり、どういう仕事をしているのかプロセスとして表現できること。『自分はこういう仕事をしているのだ』と全体に知らしめることができ、その仕事の集合体が時系列として見えること。「何時、だれが、どこで、幾つで、幾らで」の言い古された言葉が全体を貫き、全ての情報が同じまな板の上に乗っかること。そういう状態で日々の仕事ができるならば、自身の疎外感は消え自己のアピールができ、仕事の結果が見え起承転結のストーリーが生まれる。やる気の源と言えるでしょう。人は常に今日よりも明日へと進歩しようとするものです。見えることに対しては責任が取れる。しかし、見えないことには責任の取りようがないのです。

モニターになってもらう
 システムの完成も間近となり、ある会社にモニターになってもらうことになりました。この工場は金型を製作する会社です。金型の仕事はプロセスとしても非常に複雑で、ちょっと見ただけでは訳が分からないというようなプロセス図となります。ということはそれだけ工程管理、品質管理、日程管理等に携わっている人達は大変な仕事となる訳です。日々情報の確認や物件の確認に追い回されています。上司からの圧力や現場からの突き上げ等休む暇もないほどです。
 システム導入の最初、プロセス全体を大まかに入力しながら現在の仕事、物件、受注が決定した全部を入力。約2カ月かかりました。システムのオペレーションに付く人も2人から4人、5人と増え各工程間のプロセスもより精密になっていきます。システムの使用上の問題点、要望もだんだん出てきてプログラムの追加修正などに毎日追われる日が続きます。実績の入力も各工程のリーダーが毎朝できるようになり、その時に目前のプロセスを修正、変更して割り付けなどの確認をしています。
 この頃から朝のミーティングに変化が起こり始めました。発言が少なくなってきました。工場もなんとなく静かになってきました。毎日の仕事の予定が、システムと同調しだし、システムに対する皆の信頼度もかなり高いようです。しかし、まだ全工程の人とまではいかないため部署によって情報の精度にばらつきがあるようで、ミーティングでの発言内容もちぐはぐ感があります。それを感じ取ってか、まだシステムに触っていない工程の人も段々触りに来ます。4・5カ月も経過した頃から、いわゆる工程間のけんかが、グンと少なくなり「出来る、出来ない」で大騒ぎすることがなくなりました。お互いの信頼関係が上がってきたのでしょうか、相手の話に耳を傾けるようになってきました。相対的に静かに仕事が流れて行きます。システムの製作者側とすれば現象的には少し不安を抱くほどの変化でした。

資材のSさんに話を聞く
「最初に話を聞き見た限りでは素晴らしい事と思った。まだ世に無いものを使う、確かにこれからはこの方向だと。使っていくうち工程が細かくなり過ぎる、パソコンでの生産管理イメージとも違う。時間、手数がかかる。しかし、確かにスケジュールに基づいて仕事に掛るようになった。しかも誰かの指示ではなく。そして、自分の仕事がどれだけあるか、何からかかるかを見るために画面を開くようになった。資材業務のため金の絡み、日程、調達の精度など正確さを要求される。他部署の人は、手軽そうにやっているようだが自分には重く感じる。部品調達の真のタイミングが取りやすく他社、得意先とのやり取りも要領よくできるようになった。スケジュールに基づく動きに信頼感がある。
 それから、大きく変わったことは、会社が始まって以来個々に勝手に仕事をやり出したこと。大声を出しながらやっていたのがシステムにより静かになってしまった。そして、工場長からの日程的な指示がなくなった。画面も見慣れて全体的な繋がりも見えだし、何となく会社の将来も望めそうな気がしている。各工程の仕事のプロたちがスケジューリングした、仕事のおもしろさのようなものが見て取れる。気になるのは正確さを追求する余り、それがコスト的な足枷にならないかと危惧する思いもある事だ。しかし、正しい姿はそうたくさんはないと思っている。見えることで軋轢による攻めぎあいが少なくなり、見えないことによる圧迫を取り去ることで解放され、本来の能力を発揮することができる。いずれにしても、現段階でこのシステムが動かなくなるとパニックになるのは確かだろう」
 そしてこの頃中間決算となり、利益はすでに前年度1年分を越えていました。半期で前年度分が達成できたことに対するシステムの貢献度は、今はいえないにしても大いに期待できることです。工場の雰囲気も、『これはいけるのでは?!』といった確信めいたものがあるようです。営業部門の動きも完全にシステムを基に動いているようです。単独システムでシミュレーションをし、まとまるとマスターに入れミーティングで確認しあいます。どうしても資源枠に収まらない仕事については、先方との交渉で先手先手と解決できるようになりました。

スムーズな流れは、仕事を少なく見せる
 しかし問題が起きました。工場内の仕事がなくなったのです仕事は予定通りに進んでいるのですが、原料となる鋳物の入荷が遅れたのです。約3~4日機械が遊ぶような状態になってしまいました。仕事は山積みになっているはずなのに、なぜなのか。この時は全体的に2週間くらい仕事が薄い感じが続きました。実際には仕事はあるのですが、個々に思っている予定仕事、自分が掛りたい仕事がこない状態と言い換えたほうが良いのかも知れません。金型の工程間在庫がグンと少なくなったためと、出荷時点でのバタバタが減ったこと。スムーズに金型が出荷し出戻りの型が少なくなった事。人も出張改修等で取られなくなったこと。それらのことで、今まで持っていた工場のイメージとの差が目だって来たのでしょうか。しかし、そのような状態でも売り上げは落ちませんでした。
 なぜなのか、原因を色々考えてみました。例えば高速道路と渋滞している道路をイメージして下さい。同じ車線数であるとします。そこを走っている車は同じ時間でも通過している車は高速道路のほうが多いですね。その状態を上空から見るとどうでしょうか。車の量は、高速道路では少なく、渋滞路はたくさん見えるはずです。また、川の流れを時系列としてそこに木材を仕事に見立てて流します。川全体に海まで流れていくほどの量があります。しかし、実際に見ている部分は現在時という川の断面のみです。木材の量はそのとき目の前を流れている量分しか見えていません。仕事が少なく見えるのはそんな感じのものと思えます。渋滞路から渋滞の原因となる信号機や交差点、停車中の車などを取り除けば車は流れ始めます。流れ始めると道路は空いた感じになりスムーズに進行し始めます。目的地にも早く着けるわけです。

全体の仕事量の半分は無駄
 仕事の効率が上がり流れが速くなるとはどういうことでしょうか。ある人が仕事に掛ろうとしています。機械に金型をセットし準備します。準備が済み削りに掛ろうと思うとNCデータがありません。早速データ担当の人に催促します。データの人は、それはまだ出来ていないといいます。結局機械の人は切削の仕事は出来ず他の仕事に取り掛かるか、もしくはデータを待たなくてはなりません。データの人も今やっている仕事を中断させられ、後工程の人に催促されているからとその仕事に取り掛かろうとします。一つのボタンの掛け違い、仕事の順序が狂うと無駄は大きなものとなります。どのくらいの無駄の量かその工程の人に聞きました。『全体の仕事量の半分はそうだった』と言い切ります。そのような無駄が全工程に渡ってあったとすれば大変なことです。
 前記の無駄を結果的に数えてみると、
  1 機械の準備。
  2 機械の人がデータを確認に行く。
  3 データの人がそのデータを確認する。
  4 機械の中断停止。
  5 現在のデータ仕事の中断。
  6 要求されたデータ仕事の準備。
  7 機械の段取り変更。
  8 端末の中断停止。
  9 各人の情報の混乱。
ざっと数えただけで、一つのことが8つも9つにもなります。工数で言うとこの場合、人2H。機械1.4H。端末0.7H。の無駄工数がありました。さらには次の仕事にも同じ無駄を発生させる大きな要因ともなります。担当者の言う半分とはこれの繰り返しです。
 さて、先程の仕事がすいた状態について考えると。現実にある目に見えなかった全体的な無駄が少なくなり、仕事の流れがより速くなったためと思えます。しかし、仕事が空いたままで良いのかと言うとそんなわけにはいきません。工場では不安を抱き始めています。作業者とすれば満腹感がありません文句も出てきます。

プロセスについて
 プロセスに問題があるのかもしれません。営業担当者が受注した各金型の標準プロセスを、受注金額に応じて工数配分し直したプロセスでシミュレーション確認し、マスターに入力します。そのプロセスは、設計完了後設計担当者がより具体的にチューニングしていきます。そして、各工程担当者は順次再チェックしながら仕事を進めています。その時点で、予定していても実際には結果的にしなくてもよかった仕事も含むことがあります。その量が何%あるのかによって、予定では100%の仕事量が現実にはその分少なくなってしまうのです。それならばもっと多く入れておけば、例えば120%とか150%の仕事量とか。しかし、予定したとおりの仕事量に結果としてなった場合、オーバーした20なり50%の仕事はどうなるのでしょう。客先に迷惑を掛け、休出、徹夜、深残業で無理やり詰め込むのか、その判断は難しいところです。より精度の高いプロセスが受注段階で出来るには、もう少し時間が必要かも知れません。標準プロセスは、何循かするごとに精度は高くしていけるのです。
 ここで、再度プロセスについて考えてみましょう。プロセスとは手順、手続き、過程、経過のような意味があります。実際の仕事を現実に見合った手順に図にしようとすると、これは大変な作業になります。何故なら自工程のみならず他部署に関わらざるを得ないし、仕事に絡む設備、機械、そこを流れていく物件や情報、それらの全てを全工程に渡って考えなければ意味を成さないからです。それが可能となる数少ない一つの方法が、このシステムの特徴でもあるのです。そのプロセスを誰もが、とはいえ仕事の内容が分かる人であれば作成できて、それを時系列的にシュミレーションすることができる。それはどういう事なのでしょう。正確にリンクの取れたプロセスを作る過程に於いて、必ず前後工程を視野にいれる必要がありますし、自工程の内容のアピール『私は、これだけ仕事をしているのだ』と言う意志も出てきます。そこに於いては工程分析、作業分析についてもより深い考慮が成される訳です。より効率的により早く、より高精度にと言う気持ちも沸いてきますし、己の作成したプロセスに責任感も出て来ます。
 見えると言う事は、見せると言う積極性も裏返しで実在している訳です。自分の手の内は他人には見せたくないものです。しかし、見せる以上は他人にも同様な要求をする筈です。そして、そのバランスが取れたと実感出来た時おそらくその人、その工程、その会社の人達はそれ以前の人逹ではなくなっているはずです。見える範囲が広がりより深まっていく過程で、ポテンシャルも上がり見地見識、即ち人格の向上に繋がっていくことなのだと思います。

石を投げれば職制に当たる
 会社組織の事について触れてみましょう。組織=ピラミッド構成が一般的です。社長以下、役員、部長、課長、係長、平、企業によって呼び名は色々でしょうが、ほとんどの企業はこの形態でやってきました。しかしどうもそうでは無いのでは、という感じもします。組織的に上から下へ管理することが、実際には仕事の邪魔になっているのではないでしょうか。一人一人が見えている範囲は以外と狭いものですし、書類やデータは見た端から頭から消えて行くものです。情報の分断にしかなりません。管理しきれる部下の頭数にも限りがあります。毎朝仕事に来て『今日の仕事は何ですか』と問われて100%準備出来ている管理者がどれ程いるでしょうか。自分の仕事も儘ならずという人も多いのではないでしょうか。そこで管理者がどんどん増えていくわけで「石を投げれば職制に当たる」と言う状態です。直間比率も上がってきます。手続きや経路も増えて非常に高価なピラミッドです。確かに高い位置で仕事の全体を見なければならないこともありますが。
 ここで、何故ピラミッドのことなのかというと、今まで見てきた人達はすべて班長か係長クラスの人達、即ち実際に作業もしている現役のプロ達なのです。そのプロ達に自発的に動いてもらうこと、プロセスをプロの勘と経験で作成し管理してもらう。それを基に各作業者も実績入力等での参画でより高精度なプロセスになっていきます。前記したとおり高精度なプロセスは高速道路なのです。ハイスピードで製品がプロセスに沿って流れて行きます。そこには既に管理者の主観は必要としていないのです。高位置での全体的な管理は、例えばカメラでいうと魚眼レンズ、森は見えても個々の木は観えません。問題がおきるとマクロレンズに切り替えるのですが、今度は全体の構図が曖昧になってきます。色々なレンズが必要ではあります。その中で、標準レンズは明るさ、画角、ピント、深度、色合い、表現力等、全てに於いて無理なく等身大に表現出来ます。そして使い込む毎に味も出てきます。現場こそがこの標準レンズなのだと思います。



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