三國連太郎さんが亡くなって息子である佐藤浩市さんが「孤高」ということばを使っていたけれど、
わたしも父が亡くなった時、「孤高」ということばを使って詩を書いた。
父が亡くなった時、暑い夏の明け方で父に新しい浴衣をきせた。
その夜、夢をみて、父はきれいな月が出ている海に小さな舟で独りで沖にこいでいく夢だった。
月の光に照らされた父の顔は凛としてとても強く静かな横顔で、痩せてしまった細い腕で艪をこいでいく。
新しい浴衣を着て、まっすぐ前を向いて立って舟を漕いでいった。
呼んでもふりむくことはなくて、まっすぐに力強くたったひとりで夜の海に漕ぎだしていく父の夢だった。
その姿は「孤高」ということばがよく似合うと思ったのだ。
誰も連れてはいかない、たった独りだ
死んでいくひとはたった独りでこの世界ではないところへいく。
その人の生きた歴史も、その死も、残されたものに手渡される。
父親という存在であるからこそ「孤高」なのかもしれない。
父の死は自分の歴史を反芻することでもある。
母の時はまた違って、母が亡くなって火葬にするときは、
母のお腹のなかから生まれてきたわたしは、自分の生まれてきた温かかった光の海がもう消えていくのだな
と思った。
自分はもうどこにも還れない・・・・・還るところはもうないのだと思った。
父も母も亡くなってしまうともう独りでがんばって生きていくしかないと思った。
それでも父は夜の海へ独りで漕ぎだしていった。
もう消えてしまった父の生まれた光の海を探していったかもしれない・・・
人はみんな「孤高」で生きていくべきなのかもしれない
佐藤浩市さんもまた「孤高の人」の顔をしていた・・・
わたしも父が亡くなった時、「孤高」ということばを使って詩を書いた。
父が亡くなった時、暑い夏の明け方で父に新しい浴衣をきせた。
その夜、夢をみて、父はきれいな月が出ている海に小さな舟で独りで沖にこいでいく夢だった。
月の光に照らされた父の顔は凛としてとても強く静かな横顔で、痩せてしまった細い腕で艪をこいでいく。
新しい浴衣を着て、まっすぐ前を向いて立って舟を漕いでいった。
呼んでもふりむくことはなくて、まっすぐに力強くたったひとりで夜の海に漕ぎだしていく父の夢だった。
その姿は「孤高」ということばがよく似合うと思ったのだ。
誰も連れてはいかない、たった独りだ
死んでいくひとはたった独りでこの世界ではないところへいく。
その人の生きた歴史も、その死も、残されたものに手渡される。
父親という存在であるからこそ「孤高」なのかもしれない。
父の死は自分の歴史を反芻することでもある。
母の時はまた違って、母が亡くなって火葬にするときは、
母のお腹のなかから生まれてきたわたしは、自分の生まれてきた温かかった光の海がもう消えていくのだな
と思った。
自分はもうどこにも還れない・・・・・還るところはもうないのだと思った。
父も母も亡くなってしまうともう独りでがんばって生きていくしかないと思った。
それでも父は夜の海へ独りで漕ぎだしていった。
もう消えてしまった父の生まれた光の海を探していったかもしれない・・・
人はみんな「孤高」で生きていくべきなのかもしれない
佐藤浩市さんもまた「孤高の人」の顔をしていた・・・