家の上の電線で、朝からずっとカッコウが鳴いています。
初夏になると毎年聴くカッコウの声は、爽やかな高原のイメージです。
閑古鳥と呼ばれてあまり閑古鳥が鳴くのは人間社会ではいい意味ではないけれど、私はこのカッコウの声好きです。
カッコウは托卵で有名ですが、ずるいわけではなくて、爬虫類から進化した鳥の中には、体温を一定に保てなくて、仕方なく違う鳥の巣に卵を産んで育ててもらっているそうです。
初夏に鳴くのは違う鳥のモズやノビタキの雄が托卵されたくなくて、追いかけてきて、そのモズなどの雄が巣
を離れると、雌も巣を離れたりするので、その隙にカッコウの雌は他の鳥の巣に卵を産むんだそうですが、
命は生きることや子孫を残すことに一生懸命ですね。
他の鳥に雛を育ててもらうカッコウだって、仕方なくしていることで、本当は自分で子育てしたいのかもしれないし、心の中は分かりませんが、
カッコウの声がなんとなく悲しく寂しげなのはそんな親鳥の心さえも歌っているように聴こえてきます。
そしてカッコウの雛のせいで、巣から落とされてしまう他の鳥の雛もいるので、それはそれで切ないですが。
私は昨年出した詩集の中の「卒業」という詩のなかで、違う親に育てられた少年のことを書きました。
カッコウの托卵のことを思いながらかいた詩です。