いまプーケットにいます。
夜が明けかけていて
耳を澄ますと
波の音が聞こえます。
時折
プールのタオルを運ぶ台車の音
朝食ビュッフェのかぐわしい匂いが
もう少しすると庭師の出番
ホテルの朝は早いです。
11月12日午前2時14分に他界
慌ただしいお通夜やお葬式
そして
いま
父が愛した
永住してもいいと思っているくらいマリオット好きだよ
ホテルの施設も素晴らしいけど従業員の雰囲気がいいね
タイの人の目はきれいだ
と言っていたプーケットに居ます。
心の中に
ぽっかりと穴があいて
そこから
スースーと呼吸をするたびに風が吹いて
寂しいです。
こうやって波の音を聞きながらブログを書いていても涙が自然とこぼれ落ちる
亡くなる数時間前に今後の治療をどうするか主治医と話し合いました。
その結果
もう延命の治療をやめて自然な姿に
父の遺志を尊重する
モルヒネの貼り薬
痛み止めのコントロールのみとする
姉と私で辛い決断をしました。
父の病室で姉と夫と3人で言葉少なに簡単な食事をとり
姉と夫が先に休みました。
何日も寝不足が続いていたのに
その時は全然眠気を感じなくて
父の枕もとでじっと父を見つめて
明日からの治療法で行くと確実に、近いうちに父は死んでしまう
本当のそれでいいのかと自分に問うていました。
そのうちに父の呼吸に変化が・・・・・・・・・・
今まで深く吸っていた呼吸が浅くなってきました。
姉が目を覚ましました。
次に夫も
父は天井の一角をじっと見つめています。
なんとなく
「お父さん。お母さんが来てるの?そこに居るの?」
その問いに
父は大きくはっきりと頷きました。
呼吸がどんどん浅くなっていきます。
「お父さん。大丈夫~ 大丈夫なの?」
の問いかけに
父はふざけているように悪戯そうな表情で
わからないよというように顔をゆっくりと動かします。
それなら大丈夫なのかなぁ
ナースコールしなくてもいいかな?
「お父さん。難義くない~難義くないの~」
(新潟の方言で苦しいことをなんぎぃと言います。わたしは方言が好きで大切に思っているのし、忘れないでいたいので、できる限り方言を使います。)
「大丈夫?難義くない~」
父は小さな声で
でもハッキリと
「難義くないよ~ 難義くない」
と2度言いました。
そして
意識が無くなり
少し赤かった顔の色が突然
さーーと打ち寄せる波が引くように変わり
11月12日午前2時14分永眠しました。
姉と私に手を握られて
夫に見守られて
安らかな死を迎えました。
大往生でした。
お父さん
10年間一人で過ごした家
いろんな工夫を凝らした家
まるで老兵がひっそりと暮らすような
さびしい思いをさせてしまった家
お父さん
11月12日午前4時帰宅




亡くなる前日には




孫やひ孫たちをうれしそうに見ていた父
まさかその十数時間後に死ぬなんて・・・・・・・
やられちゃったなぁ~
最後の最後まで
おとうさんに
夜が明けかけていて
耳を澄ますと
波の音が聞こえます。
時折
プールのタオルを運ぶ台車の音
朝食ビュッフェのかぐわしい匂いが
もう少しすると庭師の出番
ホテルの朝は早いです。
11月12日午前2時14分に他界
慌ただしいお通夜やお葬式
そして
いま
父が愛した
永住してもいいと思っているくらいマリオット好きだよ
ホテルの施設も素晴らしいけど従業員の雰囲気がいいね
タイの人の目はきれいだ
と言っていたプーケットに居ます。
心の中に
ぽっかりと穴があいて
そこから
スースーと呼吸をするたびに風が吹いて
寂しいです。
こうやって波の音を聞きながらブログを書いていても涙が自然とこぼれ落ちる
亡くなる数時間前に今後の治療をどうするか主治医と話し合いました。
その結果
もう延命の治療をやめて自然な姿に
父の遺志を尊重する
モルヒネの貼り薬
痛み止めのコントロールのみとする
姉と私で辛い決断をしました。
父の病室で姉と夫と3人で言葉少なに簡単な食事をとり
姉と夫が先に休みました。
何日も寝不足が続いていたのに
その時は全然眠気を感じなくて
父の枕もとでじっと父を見つめて
明日からの治療法で行くと確実に、近いうちに父は死んでしまう
本当のそれでいいのかと自分に問うていました。
そのうちに父の呼吸に変化が・・・・・・・・・・
今まで深く吸っていた呼吸が浅くなってきました。
姉が目を覚ましました。
次に夫も
父は天井の一角をじっと見つめています。
なんとなく
「お父さん。お母さんが来てるの?そこに居るの?」
その問いに
父は大きくはっきりと頷きました。
呼吸がどんどん浅くなっていきます。
「お父さん。大丈夫~ 大丈夫なの?」
の問いかけに
父はふざけているように悪戯そうな表情で
わからないよというように顔をゆっくりと動かします。
それなら大丈夫なのかなぁ
ナースコールしなくてもいいかな?
「お父さん。難義くない~難義くないの~」
(新潟の方言で苦しいことをなんぎぃと言います。わたしは方言が好きで大切に思っているのし、忘れないでいたいので、できる限り方言を使います。)
「大丈夫?難義くない~」
父は小さな声で
でもハッキリと
「難義くないよ~ 難義くない」
と2度言いました。
そして
意識が無くなり
少し赤かった顔の色が突然
さーーと打ち寄せる波が引くように変わり
11月12日午前2時14分永眠しました。
姉と私に手を握られて
夫に見守られて
安らかな死を迎えました。
大往生でした。
お父さん
10年間一人で過ごした家
いろんな工夫を凝らした家
まるで老兵がひっそりと暮らすような
さびしい思いをさせてしまった家
お父さん
11月12日午前4時帰宅




亡くなる前日には




孫やひ孫たちをうれしそうに見ていた父
まさかその十数時間後に死ぬなんて・・・・・・・
やられちゃったなぁ~
最後の最後まで

おとうさんに

素晴らしい家族に見守られて良かったのではないでしょうか。
姿は変わっても、父上は今プーケットに一緒にいるのではないでしょうか。
私の父もノンさんの父上と同年代で海軍少年兵でした。
岩国で終戦を迎えました。
大正15年生まれ、まだ生きる力は残っていますが、
父上と同様な魔物と対峙しています。
ノンさんやご家族の勇気を少しいただきました。
ありがとうございました。
その話を父に聞かせたらとても喜んだと思います。
あとでお部屋にいる父に話しますね。
父は戦友も友人もみんなあの世に行って寂しいと良くこぼしてました。
人は一度は死ななきゃならないのですが、真近で父を看取ったことはこれからの私の行き方に大きな影響を与えてくれたように思います。
プーケット小雨で涼しいです。
兄、姉、私。でそれぞれの受け止め方が違っていました。兄夫婦は老父母の介護をしていました。姉は深夜バスを使って、何度も岐阜から新潟に見舞いに行っていましたし、亡くなった時の落胆も大きかったようです。僕は2年に一度程度しか帰省せず、親不孝をしていました。今となっては後悔することばかりです。
父が病床に伏した頃から、今まで以上に3人兄弟の会話や会う機会も増えました。父は「お前達今まで通りにず~っと仲良くしなさい」そんな事を言っていたかも知れません。ノンさんのご姉妹、ご家族もとても仲良く感じられます。「その事をず~といつまでも」っとお父様は残された気がします。お父様は天国でまた奥様と世界中旅をされるはずです。(今はノンさんにお付き合いしてプーケットですが・・)
楽しかった思いで。沢山思い出されて下さい。
長文しかも支離滅裂な文章をお許し下さい。
波の音や吹く風に悲しみが癒されますように
ずっと見守っていただきありがとうございました。
どんなにずっとそばに居ても、遠く離れて見守っていても悔いのないお別れはなかなかないと思います。
まわりから良く看病したね
親孝行したね
と言ってもらってもたくさん悔いが残ります。
そういうものなんでしょうね。
日高さんは遠距離で思うように会えないぶんお辛かったことと思います。
弟は仕事が忙しくて休みが取れず父に会いにあまり来れなかったことを今頃悔やんでいることと思います。
そう思うことが供養になるのかもしれませんね。
プーケットの空気を吸いながらそんなことを思います。
見守っていただいてありがとうございます。
プーケットの空気を吸って
いつものお部屋で波の音を聞き
ジムで汗を流し
そんな感じで
マリオットが
少しづつ悲しみを和らげてくれるようです。
ノンさんお疲れ様でした。
ブログを拝見しながら、時期も同じく11月に旅立った父とが重なりました。
ゆっくり心も休めてください。
母の時より悲しい
母の時は父がいてくれていたからですね。
こんなに悲しく寂しい思いをするとは・・・・・・・
でも
プーケットでのんびりと心と体を休めています。
ずっと雨続きだったのですが、ようやく晴れてきました・
私もとっても悲しいです。お父様のあの笑顔、いまでも良く覚えています。皆を笑顔にしてくれる、優しい笑顔。
タイ人にも負けない飛び切りの笑顔。
プーケットの雨は、みんなからのお父様への悲しみの涙だったんでしょう。
ノンさん、お父さんが大好きだったプーケットで、お父さんの分もゆっくり体を休めてください。
ゆっくり流れるこの時間が、悲しみを少しずつ和らげてくれると思います。
お部屋でもオーナーパーティでも最高の笑顔を見せていました。
今日は抜けるような青空でお部屋からの美しい景色&青い海
父は楽しんでいると思います。
タイ人のハウスキーパーも理解しているようでいろんなタオル人形を作ってくれています。
この部屋で父の周りはとても賑やかです。