その頃の私は(年齢ははっきりと覚えていませんが小学校高学年から中学2年くらいかな?)
自分でも気持ちが抑えられなくて、なぜなのか、とにかく母を傷つけたい。
最愛の母なのに。
なぜそんな気持ちのなったのか自分でもまったく理解できないのですが・・・
母にひどいことを言って、自分も傷ついて、それだけじゃ気持ちがおさまらなくて・・・
言葉の暴力を、どんなことを言ったか覚えていないけれど・・・
言って、母を傷つけて、自分も傷ついて・・・
ついに母に
こんな子産まなければよかった。どうしてこんな子が生まれたんだろうと・・・
と、そこまで言わせて、
言われたことで、ついに母がその言葉を言ったことで・・・
そのことに、なんだか憑きものが落ちたように私の反抗期は終わりました。
真ん中の子は変わっている。
ちょっと姉と弟とは違う。
そう周りから言われ続け(今現在も)
母は、本当に小さい頃は変わった子でねぇ~、変わった子?
と楽しそうに私の子供の頃のさまざまなハプニングを話してくれました。
なんにでも好奇心旺盛で、散歩に行くと、これはなあに?あれはなあに?
どうして?なんで?と質問攻め。
答えるのに母は苦労したそうです。
母は専業主婦で、朝早くからくるくると良く動いて、家事をてきぱきと手抜きせずに、そんなに毎日しなくても?と思うくらい主婦業をこなしていました。
朝は母が、はたきがけをするポンポンという音(今の人は知らないかな?)
包丁のトントンという音。
目が覚めるといつもそんな音に包まれていました。
私は学校から帰ると即、外に飛び出して日が落ちるまで泥んこになって遊びました。
家に帰るといつも手を洗いなさいと言われ、洗った、その濡れた手を母の真っ白なかっぽう着で拭いていました。
私が子供のころの母の印象は、いつも真っ白な割烹着を着ていたこと。
割烹着で手を拭くのが、最初はう~~~んと背伸びをしてやっと拭いていたのに、だんだんと母が小さくなって簡単に拭けるようになり不思議だったこと。
(私が大きくなったんですけどね)
とにかく、母の愛情に甘えて、誰からも
のりこちゃんは一番のお母さんっ子だねぇ~
のりこちゃんはもしお父さんとお母さんが離婚したらお母さんについていくんだろうね?れい子ちゃんとけいちゃんは(姉と弟)お父さんについていくと思うけどね~
なんて言われていた。(大人は無責任なこといいますよねぇ)
実家のアルバムには幼いころの写真がたくさんあります。
特に待望の男の子、第三子長男の弟の写真。
長女の姉の写真。
私はいつもこの二人とツーショットの写真ばかりで、単独の写真はほとんどありません。
母は、
「おかあさんは男の子がほしくてね。
れい子は初めての子だったから女の子でもうれしかったけど、
のり子の時は、ちょっとがっかり。
(ここで私の様子をちらっと見る)
恵一の時は男の子ですよって言われてうれしかった~。
でものり子が一番お産が軽くて楽だったよ。
それに丈夫で病気知らずだし」
私がどんな反応をするのか楽しんで、観察しているようなところがいつもあった。
「そうか~ だから私の写真は少ないのか~?」
「初めての子は珍しいから写真も撮るし。
やっと生まれた男の子のけいいちは、赤ん坊のコマーシャルに出ませんか?
と言われるくらい愛らしい子で。
のり子は生まれた頃は色が黒くて、ちょっとおでこで・・・いつも丈夫そうなお子さんですねぇとしか言われなかったし・・・ふっふっふ(笑い)・・・」
なんだか子供の頃は母にいつもからかわれていたような気がします。
自分でも気持ちが抑えられなくて、なぜなのか、とにかく母を傷つけたい。
最愛の母なのに。
なぜそんな気持ちのなったのか自分でもまったく理解できないのですが・・・
母にひどいことを言って、自分も傷ついて、それだけじゃ気持ちがおさまらなくて・・・
言葉の暴力を、どんなことを言ったか覚えていないけれど・・・
言って、母を傷つけて、自分も傷ついて・・・
ついに母に
こんな子産まなければよかった。どうしてこんな子が生まれたんだろうと・・・
と、そこまで言わせて、
言われたことで、ついに母がその言葉を言ったことで・・・
そのことに、なんだか憑きものが落ちたように私の反抗期は終わりました。
真ん中の子は変わっている。
ちょっと姉と弟とは違う。
そう周りから言われ続け(今現在も)
母は、本当に小さい頃は変わった子でねぇ~、変わった子?
と楽しそうに私の子供の頃のさまざまなハプニングを話してくれました。
なんにでも好奇心旺盛で、散歩に行くと、これはなあに?あれはなあに?
どうして?なんで?と質問攻め。
答えるのに母は苦労したそうです。
母は専業主婦で、朝早くからくるくると良く動いて、家事をてきぱきと手抜きせずに、そんなに毎日しなくても?と思うくらい主婦業をこなしていました。
朝は母が、はたきがけをするポンポンという音(今の人は知らないかな?)
包丁のトントンという音。
目が覚めるといつもそんな音に包まれていました。
私は学校から帰ると即、外に飛び出して日が落ちるまで泥んこになって遊びました。
家に帰るといつも手を洗いなさいと言われ、洗った、その濡れた手を母の真っ白なかっぽう着で拭いていました。
私が子供のころの母の印象は、いつも真っ白な割烹着を着ていたこと。
割烹着で手を拭くのが、最初はう~~~んと背伸びをしてやっと拭いていたのに、だんだんと母が小さくなって簡単に拭けるようになり不思議だったこと。
(私が大きくなったんですけどね)
とにかく、母の愛情に甘えて、誰からも
のりこちゃんは一番のお母さんっ子だねぇ~
のりこちゃんはもしお父さんとお母さんが離婚したらお母さんについていくんだろうね?れい子ちゃんとけいちゃんは(姉と弟)お父さんについていくと思うけどね~
なんて言われていた。(大人は無責任なこといいますよねぇ)
実家のアルバムには幼いころの写真がたくさんあります。
特に待望の男の子、第三子長男の弟の写真。
長女の姉の写真。
私はいつもこの二人とツーショットの写真ばかりで、単独の写真はほとんどありません。
母は、
「おかあさんは男の子がほしくてね。
れい子は初めての子だったから女の子でもうれしかったけど、
のり子の時は、ちょっとがっかり。
(ここで私の様子をちらっと見る)
恵一の時は男の子ですよって言われてうれしかった~。
でものり子が一番お産が軽くて楽だったよ。
それに丈夫で病気知らずだし」
私がどんな反応をするのか楽しんで、観察しているようなところがいつもあった。
「そうか~ だから私の写真は少ないのか~?」
「初めての子は珍しいから写真も撮るし。
やっと生まれた男の子のけいいちは、赤ん坊のコマーシャルに出ませんか?
と言われるくらい愛らしい子で。
のり子は生まれた頃は色が黒くて、ちょっとおでこで・・・いつも丈夫そうなお子さんですねぇとしか言われなかったし・・・ふっふっふ(笑い)・・・」
なんだか子供の頃は母にいつもからかわれていたような気がします。