卓球メダリスト早田ひなさんが帰国会見で「今やりたい事は」と聞かれ「アンパンミュージアムにポーチを作りに行きたいなと思っているのと…あとは鹿児島の特攻資料館に行って、生きている事、そして自分が卓球を当り前にできている事というのが当り前じゃないというのを感じてみたいなと思って…」と。故やなせたかし氏(アンパンマン作者)も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろうと感じました。国を背負った人だからこその気概です。それに比べてTBS、インタビューで特攻資料館の部分をバッサリカットしました。やっぱりね~
終戦間際、南方への前線基地である鹿児島の知覧(ちらん)からは特別特攻隊が出撃し、439名もの若き勇敢な命が散っていきました。
戦後70年を経た今も知覧には戦争の爪痕が当時のまま残っています。戦争遺跡や資料に耳を傾け、自らの眼で、歴史の真実を見つめてみませんか。
わたしも両親と行きましたが涙が止まらなかったことを覚えています。鹿児島のシェラトンホテルに行ったときに行こうかどうか迷いましたが辛すぎていけませんでした。次は早田ひなさんの会見を聞いて行こうと思っています。