ニュージーランドのクライストチャーチで起きた直下型地震
テレビの報道を見るたびに・・・自然って怖いなぁ・・・と感じます。
実家は新潟ですから中越地震の被害のすごさなど目のあたりにしています。
本当に・・・地震は恐怖です。
直下型地震・・・私も過去に経験しています。
1993年8月8日午後6時35分・・・ホテルのロビーで夕食の待ち合わせ時間が6時30分・・・遅れてくる人もいるので10分くらいは待ってあげようなんて言っていたころでした・・・突然ものすごい・・・爆発音のような大音響が・・・私はてっきり爆発かと思ったのですが・・・・・その音に少し遅れて・・・すごい揺れに襲われて・・・ロビーにある和食レストランから・・・地震だ~・・・調理の火を落とせ・・・火を止めろ~・・・火災を起こすな~・・・という叫び声で・・・・・あっ地震なんだと気が付きました・・・・・友人と私は・・・近くの小さなテーブルの中にしゃがみ込みました・・・・・どのくらい続いたのかわかりませんが・・・割と短かったような・・・気がします・・・そのグアム島を襲った地震はマグニチュード8.1。
後になってそれを聞いてぞっとしたことを覚えています。
この大きな地震にも関わらず死者はゼロ、軽傷者約50人。まさに奇跡です。
なぜ、これほど被害が少なかったのでしょうか。
その要因は発生時間、地形、堅固な地盤などもありますが、台風の通り道のこの島で生きていくためのリスク・マネジメント(建築規制が厳しく、住宅は平屋建てが多く、非常用飲料水も各家庭で準備している))がしっかりできていたと言われています。
グアム島地震の奇跡なのです!
地震の恐怖をもうあまり覚えていないのですが・・・空港が閉鎖されて翌日のフライトが延期になったこと・・・ホテルの部屋に戻ると・・・テレビが床に落ちていて・・・引き出しが全部空いて・・・
一人で部屋にいることが怖くて眠れない人用にホテル側が大宴会場で眠れるように開放したこと・・・・・私はお部屋で過ごすことにしましたら・・・友人が怖いから一緒にいさせてと突然泊まりに来たこと・・・・・・二人で・・・夜通し・・・余震にびくびくしながら・・・いつになったら飛行機が出るかなぁ~・・・空港の被害状況はどうなんだろう?・・・滑走路は強固なはずだけど・・・・・なんて・・・話し合ったり・・・
水が出なくなり・・・朝の歯磨きや洗顔に・・・冷蔵庫のミネラルウォーターがなくなると・・・ウーロン茶で我慢したりとか・・・ロビーの水洗トイレだけは使えたこととか・・・そんな記憶が残っています。
こうなると・・・電気と水がどんなに大切か・・・どんなにありがたいことなのかと・・・改めて実感しました。
意外と早く空港は開港し・・・成田に帰ることが出来ましたが・・・家に帰って・・・トイレのフラッシュを見たりすると・・・本当に・・・本当に・・・幸せだなぁって・・・思いました。
あたりまえなことが・・・当たり前ではないと気付く・・・それは失ってみて・・・始めて知ることなんですね。
テレビの報道を見るたびに・・・自然って怖いなぁ・・・と感じます。
実家は新潟ですから中越地震の被害のすごさなど目のあたりにしています。
本当に・・・地震は恐怖です。
直下型地震・・・私も過去に経験しています。
1993年8月8日午後6時35分・・・ホテルのロビーで夕食の待ち合わせ時間が6時30分・・・遅れてくる人もいるので10分くらいは待ってあげようなんて言っていたころでした・・・突然ものすごい・・・爆発音のような大音響が・・・私はてっきり爆発かと思ったのですが・・・・・その音に少し遅れて・・・すごい揺れに襲われて・・・ロビーにある和食レストランから・・・地震だ~・・・調理の火を落とせ・・・火を止めろ~・・・火災を起こすな~・・・という叫び声で・・・・・あっ地震なんだと気が付きました・・・・・友人と私は・・・近くの小さなテーブルの中にしゃがみ込みました・・・・・どのくらい続いたのかわかりませんが・・・割と短かったような・・・気がします・・・そのグアム島を襲った地震はマグニチュード8.1。
後になってそれを聞いてぞっとしたことを覚えています。
この大きな地震にも関わらず死者はゼロ、軽傷者約50人。まさに奇跡です。
なぜ、これほど被害が少なかったのでしょうか。
その要因は発生時間、地形、堅固な地盤などもありますが、台風の通り道のこの島で生きていくためのリスク・マネジメント(建築規制が厳しく、住宅は平屋建てが多く、非常用飲料水も各家庭で準備している))がしっかりできていたと言われています。
グアム島地震の奇跡なのです!
地震の恐怖をもうあまり覚えていないのですが・・・空港が閉鎖されて翌日のフライトが延期になったこと・・・ホテルの部屋に戻ると・・・テレビが床に落ちていて・・・引き出しが全部空いて・・・
一人で部屋にいることが怖くて眠れない人用にホテル側が大宴会場で眠れるように開放したこと・・・・・私はお部屋で過ごすことにしましたら・・・友人が怖いから一緒にいさせてと突然泊まりに来たこと・・・・・・二人で・・・夜通し・・・余震にびくびくしながら・・・いつになったら飛行機が出るかなぁ~・・・空港の被害状況はどうなんだろう?・・・滑走路は強固なはずだけど・・・・・なんて・・・話し合ったり・・・
水が出なくなり・・・朝の歯磨きや洗顔に・・・冷蔵庫のミネラルウォーターがなくなると・・・ウーロン茶で我慢したりとか・・・ロビーの水洗トイレだけは使えたこととか・・・そんな記憶が残っています。
こうなると・・・電気と水がどんなに大切か・・・どんなにありがたいことなのかと・・・改めて実感しました。
意外と早く空港は開港し・・・成田に帰ることが出来ましたが・・・家に帰って・・・トイレのフラッシュを見たりすると・・・本当に・・・本当に・・・幸せだなぁって・・・思いました。
あたりまえなことが・・・当たり前ではないと気付く・・・それは失ってみて・・・始めて知ることなんですね。