集落と集落の間に3基の石碑が建っている、1基は1日にアップした平成の無縁塔の横にある立石、
一基はリンゴ畑の縁にあり、刻字は剥落したかもともと無刻のもの、
そしてもう一基はこれ、刻は浅いが無縁供養と読める、3基とも来歴を知る由もない。
その昔、旅から旅へと歩んでいた者が、旅の中で行き倒れることも珍しくなかったのか、
「何国にて病死仕り候わば、御世話ながらその御所のご作法にて御葬らい下さるべく候。
この方へお附け届け及び申さず候。よって捨て往来一札、かくの如くに御座候。以上。
こんな捨て手形をもって、ふるさとへ2度と帰ることない四国遍路へでた者もいたらしい。
遍路では、そのような人が持っていた金剛杖を立て墓印としたと聞く。