江戸後期に起きた草刈山の入会権争いについて、市史を読んでいたら、
同じ章に「山村の暮らし」があり、マタギについて記述されていた。
それによると、カッチと呼ばれる大湯川上流の白沢・大楽前・堀内・箒畑・折戸の
集落に、マタギ呼ばれる人々が住んでいたという。
雪のある冬がマタギ本来の猟期であった、獲物は、
ツキノワグマ(イタズ)
熊の胆や毛皮を換金、熊3頭で一家の一年間の生活が賄えたという、
胆嚢は乾燥したのち同じ重さの金と、クマの毛皮は米3俵と取引された。
二ホンカモシカ(アオシシ・ケラ)
天然記念物に指定されるまではクマに次ぐ狩猟の対象、若芽を食べている春先は美味しい。
ホンドサル(マシ・サネ・エンコ)
明治中頃まで行われ、肉は美味しい、頭部は婦人病に用い、頭蓋骨は馬小屋の魔除けに。
ノウサギ
ワナやワラダで捕獲、冬期間一番捕獲された、山間の地では重要なたんぱく源になった。
オオカミ
オオカミに少年や娘が食い殺されたため、マタギに退治させたくれと藩に願いが出されている。
そのほか、ムササビ(バンドリ)・アナグマ(マミ)・キツネ・タヌキ・テン、リス・イタチ、
キジ・ヤマドリ・カモ類・ハトなど。
明治に入っても様々な動物が捕獲され、様々な用途に部位が利用されていたが、
獣肉はマタギ勘定といわれている仲間内の分配で、利用から見ておまけだったような気がする。