ハワイの風に吹かれて

大好きなハワイとウクレレのことを書きます

とても不思議な深い縁に感動\(^o^)/【長文でごめんなさい】

2017-01-14 00:01:14 | 日記

来週に迫った講演会「小原國芳 学校劇の100年」準備のために、『全人教育」という玉川学園機関紙(今は『全人』と改称)を読みました。1967年8月号で、二ヶ月前の6月に赤坂の日本都市センターホールで開催された『受難の聖史劇』というイエス・キリスト最後の7日間を描いたフランスの演劇の記事です。この時私は高校1年生で、照明係りの小間使いをしていました。そして本番当日は、2階席の最前列、小原國芳先生の隣から舞台に投影する字幕のスライドを操作していました。

文学部芸術学科開設から4年目の完成年度、小原國芳の「学校劇」命名から約50年、『学校劇論』上梓から45年目のことでした。演劇専攻生だけでなく多数の高等部生も参加していました。イエス様の本間さん、マリア様の工藤さん、本当に美しかった(*^◯^*) ユダ役は西岡徳美(現在、徳馬)さんでした。四方田公子さんはピラトの妻でした。

アロハストリートのブログランキングに参加中です。どうぞクリックをお願いします。ハワイの風に吹かれて いつもありがとうございます! 今日も皆様がハワイとウクレレでアロハな気分いっぱいで過ごせますように(⌒▽⌒)

この記事を読んでから「身辺雑記」という小原國芳の日記のような文章に目を移した時、大発見しました。
それは、『受難の聖史劇」の数日前の北海道での講演旅行の記事です。
な、なんと、やがて義母になる笑微ちゃんこと、苫小牧の「冨田夫人」のことが記されていたんです! びっくりしました。

東京に戻って数日後、小原國芳先生は毎日『受難の聖史劇』をご覧になり、毎回、私の横で泣いていました。時々、居眠りしそうになる隣の高校生(私)を「おい、そろそろスライドじゃないか?」と起こしくれながら(笑)文中の「岡田君」は岡田陽先生のことです。

アロハストリートのブログランキングに参加中です。どうぞクリックをお願いします。ハワイの風に吹かれて いつもありがとうございます! 今日も皆様がハワイとウクレレでアロハな気分いっぱいで過ごせますように(⌒▽⌒)

この「身辺雑記」にはさらに奇遇とも言えるご縁が記されています。それは、この時の北海道講演旅行で札幌市長を表敬訪問した時、「沖の小島」「城ヶ島」「どんぐりころころ」などで有名な童謡作曲家梁田貞の記念碑を札幌に建立したいと申し出たそうです。

翌年、この記念碑の除幕式が行われ留学旅行で札幌を訪問した私たちは公会堂で梁田先生の曲を歌いました。そして私は、田中末広作詞・梁田貞作曲「沖の小島」の独唱部分を歌いました。作詞の田中末広先生は最初の文学部教育学科主任で、私の恩師飯塚友一郎先生(小原國芳の京都帝大同級生松原寛(寛平)と共に日本大学藝術学部を創った一人)の娘婿、つまり坪内逍遥の孫娘の旦那さんです。
深い深いご縁に感謝いたします。

長い記事、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
 アロハストリートのブログランキングに参加中です。どうぞクリックをお願いします。ハワイの風に吹かれて いつもありがとうございます! 今日も皆様がハワイとウクレレでアロハな気分いっぱいで過ごせますように(⌒▽⌒)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。