2度目のホノルルは1978年の春だった。
前年4月、大学院を修了して玉川大学文学部芸術学科(演劇研究室)に勤め始めた。
1977年は勤めた途端に多忙を極めた。6月には、たまがわがくえん創立者の奥様・小原信先生(私たちは、おばさまと呼ばせてもらっていました)が昇天され、翌年に控えた玉川学園音楽演劇舞踊団のアメリカ・カナダ公演の準備に忙殺されていた12月、今度は創立者小原國芳先生(オヤジさん)が昇天されてしまった。
1978年2月、原忠男博士(その後、ロサンゼルス国際学園長)と音楽演劇舞踊団の公演準備のために前乗り。まず、ホノルルでハワイ大学マノア校野外劇場で心理学のDr Kozumaなどと公演打ち合わせを行い、元日本語学校長長谷川さんや古谷さん、日本から駆け付けた岡田陽先生と新聞社やKIKU-TVなどで広報をお願いした。総勢73名の宿舎探しは難航したが、セスナ観光会社を経営する鈴木さん(原先生と同じく元日本軍特攻隊員)のおかげで、アラモアナのパコダテラスの予約ができた。概ね準備が終了した私たちは、現地の劇場情報などを日本へ送り、次の公演地ロサンジェルス、シアトル、カナダのナナイモ、バンクーバー、カルガリーに向けて出発した。
(アラモアナの写真は、http://www.hawaiiscoop.com/?p=11475より引用させていただいた)。
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