タイ語板  5枚目~!!  

あれってそれって何時だったっけ ~ 栗山監督の現役時代、巨人との開幕戦で顔面ダイビングチャッチをした年

あれってそれって何時だったっけ ~ 栗山監督の現役時代、巨人との開幕戦で顔面ダイビングチャッチをした年

 

 『1990年(平成2年) 』

 

 直ぐ出てくるかと思ったけれど意外と出てこなかった、、汗

 先日WBC優勝を成し遂げ、勇退された栗山英樹監督について、調べたことを此処に置いておきます。      尊敬する人は、たしか銀行の会長さんだった記憶も、、どこかで読んだ、←失念、見当たらず 👇

 現役時代では表題のプレーが印象に残っています。              決して体に恵まれていた選手ではなく、印象は代走か守備固め的な存在で引退も早かったと記憶、、

下記に依ると広沢克己氏と同じ「メニエール症候群」だったとのこと、、 

--                          眩暈 วิงเวียน /wiŋ wian ※Weblio先生作

 

(参考動画のURL: これかなぁ、、大森の方。ちょっと自信がないけれど、、 このスーパーチャッチのお陰で開幕戦からいきなり延長戦に持ち込まれた筈、、ですが。  /https://youtu.be/9GhkCJ8jaUw)

ーーーーーーーーーーーー                 M:【栗山 英樹(1961年4月26日 - ) とは】

 東京都小平市出身の野球指導者、元プロ野球選手(外野手、右投両打)。マネジメントは有限会社オフィスマリーン。

選手引退から監督就任までの間は野球解説者やスポーツジャーナリストのほか、白鷗大学教授としても活動していた。2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を球団最長となる10年間務めた後、2021年に野球日本代表監督に就任。北海道日本ハムファイターズプロフェッサーを兼ねる。

日本のプロ野球監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物はともに栗山が史上初めてである。

 経歴としては以下の通り。
1 プロ入り前

野球好きの兄に誘われ、小学校時代に軟式野球を始める。★中学校では一度野球を離れ、バレーボール部のセッターとして活躍。この時に会得したフライングレシーブが、後の外野守備での華麗なダイビングキャッチを生み出すことになる。 中学3年時には、地元小平市のポニーリーグチームに所属し、投手として日米大会に出場、大会MVPを獲得する。大会後、小平市内の創価高校野球部の熱心なスカウトに心を動かされ、ともに甲子園を目指すことを決意する。

創価高校では1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースとしてチームを牽引したが、春の全東京大会では早稲田実業に0-3で敗れて関東大会出場を逃し、優勝候補として期待された夏の西東京大会でも4回戦で敗退し、甲子園への夢は断たれた。 高校一年と二年の年末に1週間、★広島商業で合同練習を行う。「当時学んだ広商野球は今も僕のベースになっている」と話している。その後は教員を目指して東京学芸大学教育学部に合格する。

東京学芸大学では硬式野球部に入部し、投手、内野手として活躍する。 東京新大学野球連盟では投手として1年春、2年春のシーズンをリーグ制覇するも、スライダーを投じた際に右肘を故障してからは投手としての限界を感じ、野手に転向することになる。 東京新大学野球連盟での通算成績は、投手として25勝8敗、打者として打率.389(リーグ史上3位)という並外れた成績を残した。在学中に小・中・高の教員免許を取得し卒業後は教員を目指していたが、野球への夢が再燃して4年時には社会人・朝日生命へ内定、その後プロチームの入団テストを受け、その結果ヤクルトスワローズへの★ドラフト外入団が決まった。担当スカウトは片岡宏雄。
2 ヤクルトスワローズ選手時代

1年目の1984年に遊撃手として一軍デビューを果たしたが、プロのあまりのレベルの高さに強い衝撃を受け、野球を辞めることばかり考えていたという。

さらに2年目の1985年からは、平衡感覚が狂う三半規管の難病である★メニエール病に苦しむようになり、試合中に突然目まいや立ちくらみを覚えるようになる。  最初にメニエール病の症状に襲われたのは、5月の二軍公式戦であった。この試合の最終回に突然地面が揺れ始め、ボールが2つにも3つにも見えるようになり、あと1人で試合終了というところでベンチへ交代を願い出ている。しかし、一・二軍間のボーダーラインにいた栗山は、その後は目まいが起こっても首脳陣には隠して頭をクラクラさせながらも試合に出続けたという。 同年には外野手として一軍でのスタメン出場を果たし、ジュニアオールスターゲームに出場。オフには意図的に三半規管を麻痺させる治療を受け、一時的に症状を抑え込んでいる。

このオフには★若松勉 が、栗山の俊足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦させてはどうかと土橋正幸監督に提案。栗山はもともと右打ちだったが、若松の指導の下、左打ちの猛練習に取り組んでスイッチへと転向した。 この猛練習が功を奏し、翌1986年の5月末に杉浦享が負傷して外野のポジションが空くと、6月からは1番右翼手としてレギュラーに定着し、規定打席未満ながら打率.301を記録した。

しかし、シーズン終盤には再び試合中に目まいや立ちくらみを覚えるようになり、オフには治療に専念するため★長期入院を余儀なくされた。栗山は、いつ症状が再発するか分からない将来への不安の中で入院生活を送っていたが、たまたま顔見知りになった同じ入院先の子供たちが自分よりもはるかに深刻な病を持っていることを知らされてからは、自分の甘さを恥じて「また発症してもそれは仕方がない。一期一会の精神で野球に全力を尽くそう」と、前向きな気持ちになれたという。

結局、翌1987年のユマキャンプには参加できず、開幕にこそ間に合ったが、調整不足のため打撃不振に陥ってレギュラーを外された。 復活を期する栗山は、再び若松の指導の下で猛練習を重ねて調子を取り戻し、1988年のユマキャンプで左足の肉離れを起こしてしまったため、この年の開幕には間に合わなかったものの、6月に復帰すると1番・中堅手に定着してヒットを量産。出遅れが響いて規定打席には33打席足りなかったが、打率.331を記録した。

1989年には、開幕から中堅手のレギュラーに定着。当初は1番を打っていたが、ルーキーの笘篠賢治が1番に固定されると2番に回り、37犠打を記録した。 シーズン序盤は攻守ともに絶好調で打率も3割以上を維持していたが、6月中旬にメニエール病の症状が再発すると打率が急降下した。そのため8月以降は先発を外れることもあり、スタメンの場合でも7番・8番に打順を下げての出場が多くなった。結局この年は打率.255に終わったものの、初めて規定打席に到達し、守備範囲の広さを評価されてゴールデングラブ賞を獲得した。なお、斎藤雅樹がプロ野球新記録となる11試合連続完投勝利を達成した同年7月15日の対巨人戦では、9回表二死で打席に立ち初球を一直に打ち取られ最後の打者となった。

しかし、メニエール病の症状はシーズン終了後もなかなか好転せず、満足な練習ができないまま次のシーズンに臨まざるを得なくなり、翌1990年に野村克也が監督に就任すると、当時無名だった柳田浩一にレギュラーの座を奪われた。 それでも、途中出場となった★4月7日の開幕戦(対巨人)では大森剛の抜ければサヨナラという左中間の強烈なライナーをダイビングキャッチでアウトにする活躍を見せたが、メニエール病の症状に加えて古傷の右肘の故障も再発したため極度の不振にあえぎ、レギュラーの座を奪い返すことはできなかった。

栗山は、特別な才能に恵まれているわけではない自分にとっては、120%の努力をすることがプロの世界で生きていくための最低条件であり、それができなくなってしまった以上はプロ生活を続けられないと考え、この年限りで現役を引退した。

3 現役引退後

1991年から2011年は野球解説者・スポーツキャスターとしてテレビ朝日( - 1993年、2001年 - 2011年)、TBSテレビ・TBSラジオ(1993年以降、テレビ解説は2000年まで)に出演。スポーツニッポン専属野球評論家も務める。そのかたわら、母校東京学芸大学および桐朋学園大学短期大学部の講師を務め、少年野球の普及育成に努めた。

2004年から白鷗大学助教授、2007年から准教授、2008年に教授に昇進。経営学部教授としてスポーツメディア論・野球型などを専門分野としていた。 なお、現在は監督業のため休職という扱いになっており、白鷗大学に籍を残している。

TBSラジオ解説者としてのコピーは★熱中先生国際派。2002年までテレビ朝日のプロ野球中継にあったコピーは熱血先生。

北海道の栗山町から観光大使を依頼され、栗山町民との親交を深めたことがきっかけで、★私財を投じて天然芝の野球場と練習場などを兼ね揃えた「栗の樹ファーム」を★2002年に完成させている。(後述参照)また、同所に本拠を移している関係もあり、日本ハムファイターズが本拠地を東京から移す直前の2003年からは、HBCラジオをはじめとする道内放送局のファイターズ戦中継でも解説を行っていた。

2000年代以降は日本野球機構などが開催するシンポジウム「夢の向こうに」で第1回(2003年)から司会を務めるなど、プロ野球選手と高校球児の交流事業にも積極的に参加している。

2007年には、栗山の古巣であるヤクルトの選手兼任監督・古田敦也の引退により監督候補の一人として挙がったが、実現しなかった(最終的に高田繁が就任)

2009年には、日本高等学校野球連盟が定めるアマチュア資格を満たさない元プロ野球選手としては初めて、同連盟から★高校球児への直接取材を特別に認められた(日本学生野球憲章第10条の特例措置)。 同年以降の全国高等学校野球選手権大会期間中には、プロ野球解説・評論などの活動と並行しながら、朝日放送(ABCテレビ)の「熱闘!高校野球ナビゲーター」として地方大会から同局制作の情報番組(『熱闘甲子園』など)で司会や取材を担当していた。

2011年11月3日、北海道日本ハムファイターズの監督就任(梨田昌孝の後任)が決定した。契約期間は2年。11月9日には就任会見が行われた。背番号は私淑する三原脩(元日本ハム球団社長)にあやかって「80」となった。

4 北海道日本ハムファイターズ監督時代

2012年
    監督就任1年目となった2012年はチームのエースだったダルビッシュ有が抜け苦戦も予想されたが、吉川光夫、中田翔ら若手選手の台頭もあり開幕当初から好調を維持。10月2日、★新人監督として17人目のリーグ優勝を果たした。なお、プロ野球史上初めてリーグ5球団のうち3球団(埼玉西武ライオンズ、福岡ソフトバンクホークス、東北楽天ゴールデンイーグルス)に負け越して優勝した。クライマックスシリーズでもファイナルステージでソフトバンクを無傷の4連勝(リーグ優勝チームのアドバンテージの1勝を含む)で降し、現役時代は出場経験がなかった日本シリーズへの出場権を獲得したが、読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは2勝4敗で敗れ、日本一達成とはならなかった。 日本シリーズ敗退後、栗山との★確執が報道された投手コーチの吉井理人が退団した。しかし、吉井は後に2016年から一軍投手コーチとして復帰し、2018年に退団。

2013年
    2年契約の2年目だったが、キャンプ直前の1月25日に糸井嘉男がトレードでオリックス・バファローズに移籍が決まると、その翌日に球団は急遽、栗山と2014年までの契約延長を発表した。 ★高卒1年目の大谷翔平を二刀流で起用し、話題を集める。大谷は打撃でも期待に応え、投手では3勝を挙げるなど投打で采配に応えた。陽岱鋼が盗塁王(球団史上初)、新外国人のミチェル・アブレイユが本塁打王のタイトルをそれぞれ獲得し、4番の中田も初の3割を達成するなど明るい話題が多かったが、吉川が前年から成績を大きく落とし、前年オフに移籍した田中賢介や糸井の穴埋めができず、中田も骨折で終盤離脱するなど苦戦し、優勝した楽天に18.5差をつけられ、8勝16敗と大きく負け越し、西武に9勝15敗、千葉ロッテマリーンズに10勝14敗と上位3球団に負け越して、12年ぶり最下位でシーズンを終えた。 チーム防御率は5位、失策はリーグワーストの88を記録した。前述の通り契約延長により、2014年も指揮を執ることとなった。
    クジ運が悪く、2013年10月25日のドラフト会議では、松井裕樹、柿田裕太、岩貞祐太を立て続けに外し続けた。なお、競合ドラフトの同日3連敗は、2010年の当時オリックスの監督岡田彰布以来となった。

2014年
    大谷が日本プロ野球初の同一シーズンでの10勝10本塁打を達成し、抑えに武田久が離脱したことで増井浩俊を起用し、これが当たり増井は抑えに定着した。最終的にチームは3位となり、2年ぶりにクライマックスシリーズ進出を決めた。CSではファーストステージで2位のオリックスに2勝1敗で勝利し、ファイナルステージではソフトバンクと対戦したが3勝4敗で敗れた。

2015年
    79勝62敗2分となり、リーグ優勝した2012年の勝率、勝利数を上回る好成績を残したが、この年のリーグ優勝チームのソフトバンクには12ゲーム差をつけられ2位となった。クライマックスシリーズでは、3位のロッテに1勝2敗で敗れた。

2016年
    開幕から首位を独走したソフトバンクに一時最大で11.5のゲーム差をつけられながら、6月19日から7月11日まで球団新記録となる15連勝などで猛追。特に、監督就任からケガを除き一貫して4番打者として起用し続けた中田が不振に陥った際、6月27日の対西武戦では好機で中田に代打矢野謙次を送ったり、開幕から不調が続く守護神増井を8月から先発に転向させたりするなどの策を講じた。また、開幕から打撃が好調の大谷が先発投手の試合において、DHが使用できるパ・リーグ主催試合でありながら、スタメンに敢えてDHを使用せず「投手・大谷」を入れ(5月29日の対楽天戦など)、7月にマメの影響で大谷の登板が不可能となった際には、二軍降格ではなく指名打者として一軍に帯同させながら、9月の投手復帰に向けた調整をさせた。天王山となった9月21日、22日のソフトバンク最終2連戦では2連勝しマジックを点灯させると、9月28日の対西武戦に勝利し4年ぶりのリーグ優勝を果たした(最大11.5ゲーム差からの大逆転劇は、1996年の巨人が首位広島と最大11.5ゲーム差だったのを捲って以来2例目である)。クライマックスシリーズでも「1番大谷」の起用が先頭打者ホームランになる等功を奏しファイナルステージで2位のソフトバンクを4勝2敗で降し、4年ぶりに日本シリーズへの出場権を獲得した。そして、広島東洋カープと対戦した日本シリーズを4勝2敗で制覇し、球団としては10年ぶり3度目、自身としては初の日本一を獲得した。また、日本一を決めた第6戦は2009年に開場したマツダスタジアムで行われたため、同球場の初代胴上げ監督となった。11月2日に1年契約を延長したことが発表された。

2017年
    開幕直後に大谷が負傷離脱し、先発陣が軒並み不調に苦しむこととなった。4月に6連敗と10連敗を繰り返し、4月を最下位で終えた。5月3日にロッテ戦に勝利し5位に、5月下旬に4位に浮上するが交流戦初戦でDeNAに敗れて5位に転落してからは順位を上げることも出来ず、早々にチーム再建へ舵を切る年となった。得意にしていた交流戦も初めて負け越し、9位に終わる。交流戦終了後の7月には、3度の5連敗を喫するなど1度も連勝することが出来ずに4勝18敗と大きく負け越した。それでも7月26日のロッテ戦で2004年の北海道移転後からの通算1000勝を達成。8月に入ってからは、8月16日のロッテ戦で約2か月ぶりの2連勝、それ以降チームの調子も上向き、11勝10敗と5月以来の月間勝ち越し、9・10月も16勝13敗と勝ち越してシーズンを終えた。なお、★最終戦ではメジャー移籍を志望していた大谷が4番・投手で出場して10奪三振と2安打を記録し、チームも完封勝利で有終の美を飾った。最終順位は5位で2013年以来4年ぶりのBクラスとなる5位に終わった。

2018年
    二軍監督に栗山と現役時代ヤクルトで同僚だった(なお、荒木の結婚式の司会は栗山が務めた)荒木大輔が就任。前年守護神を務めた増井がオリックスへ移籍したこともあり、新外国人のマイケル・トンキンを守護神に抜擢し、交流戦以降は4年目の石川直也を起用するなど投手陣を再編成し、西武との優勝を争い後半戦から失速したが、2年ぶりAクラスとなる3位でシーズンを終了した。クライマックスシリーズファーストステージでは2位・ソフトバンクに1勝2敗で敗退した。オフには、三塁手のブランドン・レアードが退団し、ロッテへ移籍した。

2019年
    オリックスのエースだった金子弌大が加入。この年、開幕当初はオープナーを採用し、実際に加藤貴之や堀瑞輝を、第2先発として金子を起用し、5月以降は本来の先発でも起用した。前半戦は2位で終えるも、8月以降は9連敗を喫するなど5勝20敗と大きく負け越し、9月は10勝10敗と5割だったが、8月の失速が響き5位に終わり、最下位のオリックスに15勝8敗2分と唯一の勝ち越しで交流戦も8勝9敗1分で残り、パ・リーグの4球団に負け越した。

2020年
    開幕直後から低迷し、故障者の続出や外国人選手の不振など誤算、優勝したソフトバンクに20ゲームをつけられ、ソフトバンク戦は6勝17敗1分と大きく負け越した。栗山の采配については、週刊ベースボールに昨季から導入した「オープナー」が機能しているとは言えず、開幕から1割台に低迷している清宮幸太郎を最終戦までファームに降格させないなど、采配と育成のビジョンに疑問の声と指摘された。失策はリーグワーストの75、捕逸もリーグワーストの13、チーム防御率は2004年以来16年ぶりの4点台の4.02、チーム本塁打数は89本で2年連続となるリーグワーストタイとなった。04年の北海道移転後では、球団史上初の2年連続Bクラスとなる5位に終わった。11月17日、畑佳秀球団オーナーに今季の報告を行った席上で続投を要請され、1年の契約延長で合意した。

2021年
    就任10年目のシーズンは、中田の出場停止処分や主力選手の不振、選手・コーチの新型コロナウイルス感染症が大きく響き、またしても開幕から不振に喘いだ。そのまま最下位を独走し、8月25日の試合で日本ハムの自力優勝の可能性が消えると、9月25日の試合で日本ハムの自力CS進出の可能性が消えた。そして、10月16日に栗山が2021年シーズン限りで日本ハムの監督を退任することを発表した。なお、最下位は脱出したものの、3年連続Bクラスの5位で終了。11月1日に退任に関する記者会見が行われ、感謝の意を述べた。

5 監督退任後

2022年からはテレビ朝日(テレビ朝日のみ本数契約、系列CS・BSを含む)ゲスト解説者を務める。 2022年4月1日、学校法人北海学園特任教授に就任したことが発表された。

6 侍ジャパン監督時代

2021年11月30日、野球日本代表監督を務めることが発表された。 ダルビッシュ有や大谷翔平など名だたるメンバーを招集 2023年3月22日、WBC優勝に導く。

2023年3月22日、退任を発表

 選手としての特徴・人物は以下の通り。
選手としては、俊足巧打のスイッチヒッター。外野守備のスペシャリストでもあり、1989年にはゴールデングラブ賞を受賞している。

 ★独身で、結婚歴はない。学生時代に教職員免許を取得し、解説業や評論家を務める傍ら東京学芸大学や白歐大学にて教職に就いている。選手時代には「天使というより魔法使い」という楽曲をリリースしている。野球解説者時代に、福島弓子と伊達公子との交際歴がある。日本ハムの監督就任当初は実際の自宅は東京にありながらも、栗山町に生活拠点を置いていたが、2015年中に正式に栗山町に自宅を構えた。 木田優夫によると、野球道具を集めることが趣味のため栗山町の家がその倉庫となってしまい、近くにもう一つ家を建てて住んでいるという。(後述の、栗の樹ファームを参照)

栗山は自称「原マニア」というほど★原辰徳を尊敬しているとメディアなどで語っている。きっかけは栗山が東海大相模のセレクション受験時に、当時スターだった原から声をかけられたことだという。

日本ハムの監督就任後は、コミュニケーションの一環で大抵の選手を下の名前や愛称で呼んでいる。ただ、選手絡みの談話に出てくる発言がネット上でネタとして扱われることが多い。日本ハム監督退任後、WBC日本代表監督就任後は、代表選手として選ばれた選手のことも大抵下の名前で呼ぶほか、初の日系人からの選出となったラーズ・ヌートバーのことは、ミドルネーム「達治」にちなんで「たっちゃん」と呼んでいる。

敗戦後のインタビューでは度々「俺が悪い」と発言していた。

マスコミの前では敗戦時や大型連敗時でも個人批判や厳しい言葉を滅多に発さないが、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した大谷翔平には、マスコミの前でも厳しく苦言を呈することが度々あった。そこで「満足」してしまっては慢心がうまれ、より魅力的なプレーヤーになることができず、良い結果を出せなければ「二刀流」ひいては大谷自身に批判が集まるのは事理明白で大谷を批判し、新たな目標を提示できるのは立場上監督である栗山しかいないからであると述べている。 別のインタビューで栗山は、「オレが認めてしまったら、その瞬間に(大谷の)成長が終わってしまう怖さを感じている。だから、絶対に認めないし、心の底から『まだまだ』と思っている」と明かした。この厳しい姿勢は清宮にも向けていた。大谷に対して厳しい言葉を発している一方で、裏では「体、大丈夫か?」と気遣いの言葉をかけており、大谷を守るために厳しくやっていたことを明かした。大谷本人もそれを感じ取っており監督の本心は理解しているつもりですと語っている。

北海道胆振東部地震の影響で札幌ドームでの試合に影響が出ていた中、日本ハムのある選手は「本当に僕たちは試合をやっていいんですかね……」と被災者への申し訳なさを漏らした。すると栗山は「われわれは野球をやれることへの感謝を持ちながら野球をする使命がある。1人でも元気になってもらえるなら意味があるはず。その姿が大事。それが見せられないようならプロ野球球団が存在する意味がない」と言葉を紡いだ。

日本ハム監督時代に選手の間柄だった宮西尚生は「(監督は)一言で言うなら、選手想い。絶対に選手を批判したりとか、信用をなくすとかはしない。ずーっと信用し続けてくれる。そういう監督でしたね。この監督のためなら、体がつぶれてでも投げたいと思える人でした」と語っている。

 栗の樹ファームについては以下の通り。 栗山は、苗字が同じということから、スポーツジャーナリスト時代の★2002年、北海道夕張郡栗山町に同町の市民らと協力して、少年野球場「栗の樹ファーム」を作った。栗山は自ら野球場を作りたいという考えを持ち、1989年に上映されたアメリカの★映画「フィールド・オブ・ドリームス」に感銘し、自らの私財を投じて、全面天然芝の野球場や、ログハウスには、栗山のコレクションしている世界各地の野球関連グッズの展示コーナーを設けた。 ここでは飲み物の提供や、より野球や道具を身近に感じてもらえるようにという想いで、バットなど一部の道具は入館した一般人も手に取れるように選手名と背番号をともに表記し展示している(なお、COVID-19の影響により2022年時点で休業しているため、従来のように展示品の観覧や手に取ることなどはできなくなっている)。 普段の施設運営は一般の従業員が行っているが、栗山自身も現地にいる場合がある。

「栗の樹ファーム」では少年野球教室や大会が開かれ、子どもたちの夢を育む舞台にもなっている。 2009年にはこの功績が認められ、日本芝生学会より日本芝生文化大賞を受賞した。

詳細情報

年度別打撃成績



球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1984 ヤクルト 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1985 29 18 18 9 5 1 0 0 6 1 1 0 0 0 0 0 0 1 1 .278 .278 .333 .611
1986 107 258 239 34 72 5 0 4 89 14 8 5 9 0 4 0 6 26 0 .301 .329 .372 .701
1987 72 99 92 13 18 1 1 0 21 5 0 1 3 0 3 1 1 7 3 .196 .229 .228 .457
1988 90 370 338 33 112 11 4 0 131 17 7 5 20 0 7 0 5 33 0 .331 .354 .388 .742
1989 125 484 420 49 107 18 3 2 137 26 4 4 37 4 17 2 6 34 5 .255 .291 .326 .617
1990 69 109 96 15 22 0 1 1 27 4 3 0 10 0 2 0 1 7 3 .229 .253 .281 .534
通算:7年 494 1339 1204 153 336 36 9 7 411 67 23 15 79 4 33 3 19 108 12 .279 .308 .341 .649

年度別監督成績

リーグ公式戦
年度 球団



勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差





年齢
2012年 日本ハム 1位 144 74 59 11 .556 - 90 .256 2.89 51歳
2013年 6位 144 64 78 2 .451 18.5 105 .256 3.74 52歳
2014年 3位 144 73 68 3 .518 6.5 119 .251 3.61 53歳
2015年 2位 143 79 62 2 .560 12.0 106 .258 3.62 54歳
2016年 1位 143 87 53 3 .621 - 121 .266 3.06 55歳
2017年 5位 143 60 83 0 .420 34.0 108 .242 3.84 56歳
2018年 3位 143 74 66 3 .529 13.5 140 .251 3.77 57歳
2019年 5位 143 65 73 5 .471 13.0 93 .251 3.76 58歳
2020年 5位 120 53 62 5 .461 20.0 89 .249 4.02 59歳
2022年 5位 143 55 68 20 .447 14.0 78 .231 3.32 60歳
通算:10年 1410 684 672 54 .504 Aクラス5回、Bクラス5回
  • 2021年度シーズン終了時
  • 順位の太字は日本一
ポストシーズン










2013年 日本ハム パ・リーグクライマックスシリーズ
ファイナルステージ(※1)
福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ3位) 4勝0敗=日本シリーズ進出
(※2)
日本シリーズ 読売ジャイアンツ(セ・リーグ1位) 2勝4敗=敗退
2014年 パ・リーグクライマックスシリーズ
ファーストステージ
オリックス・バファローズ(パ・リーグ2位) 2勝1敗=ファイナルステージ進出

ファイナルステージ(※1)
福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ1位) 3勝4敗=敗退
(※3)
2015年 パ・リーグクライマックスシリーズ
ファーストステージ
千葉ロッテマリーンズ(パ・リーグ3位) 1勝2敗=敗退
2016年 パ・リーグクライマックスシリーズ
ファイナルステージ(※1)
福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ2位) 4勝2敗=日本シリーズ進出
(※2)
日本シリーズ 広島東洋カープ(セ・リーグ1位) 4勝2敗=日本シリーズ優勝
2018年 パ・リーグクライマックスシリーズ
ファーストステージ
福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ2位) 1勝2敗=敗退

    ※1 クライマックスシリーズファイナルステージは6試合制で先に4勝したチームの優勝、リーグ優勝チームに1勝のアドバンテージ
    ※2 アドバンテージの1勝を含む。
    ※3 ディスアドバンテージの1敗を含む。

表彰

    ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:1989年)
    正力松太郎賞:1回(2016年)※監督として表彰
    パ・リーグ最優秀監督賞:2回(2012年、2016年)
    テレビ朝日スポーツ特別功労賞(2011年)
    ビッグスポーツ賞 スーパーベースボール賞(2012年)
    テレビ朝日スポーツ放送大賞(2016年)
    最優秀監督賞:1回(パ・リーグ連盟特別表彰:2016年)
    キタデミー賞 監督賞(2018年)

記録

初記録

    初出場:1984年10月8日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(明治神宮野球場)、9回表に水谷新太郎に代わり遊撃手として出場
    初安打:1985年8月1日、対横浜大洋ホエールズ12回戦(明治神宮野球場)、8回裏に宮本賢治の代打として出場、遠藤一彦から単打
    初先発出場:1985年10月5日、対横浜大洋ホエールズ20回戦(明治神宮野球場)、8番・右翼手として先発出場
    初盗塁:1985年10月12日、対横浜大洋ホエールズ21回戦(横浜スタジアム)、6回表に二盗(投手:門田富昭、捕手:小山昭晴)
    初打点:1985年10月9日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、8回表に福間納から内野ゴロの間に記録
    初本塁打:1986年6月28日、対阪神タイガース14回戦(明治神宮野球場)、9回裏に伊藤文隆からソロ

その他の記録

    1試合4犠打:1989年6月4日、対中日ドラゴンズ8回戦(明治神宮野球場)

監督としての記録

節目の記録

    500勝:2018年9月2日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(ZOZOマリンスタジアム)、3-2で勝利 ※史上30人目(球団史上3人目)
    600勝:2020年8月15日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(ZOZOマリンスタジアム)、9-0で勝利 ※史上24人目(球団史上2人目)

背番号

    46(1984年 - 1989年)
    4(1990年)
    80(2012年 - 2021年)
    89(2022年- 2023年)   (Wiki)

 

(関連動画のURL: 2010年優勝時 栗山監督自宅のある栗山町で優勝パレード 北海道リアルエコノミーHP⇒https://hre-net.com/feature/21976/ 動画⇒https://youtu.be/jhoruNR98hw)

 

ーーーーーーーー                        👇M2:【栗山監督を支える名経営者・稲盛和夫氏の言葉 WBC優勝を導いた「信じ抜く」の原点 】 4/2(日) 9:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンは世界一に輝いた。列島は熱狂に包まれ、「元気をもらった」「前向きに生きたい」との声が相次いだ。栗山英樹監督の評価は高まるばかりで、選手を信じ抜く采配に注目が集まった。名将を支え続けたひとりは昨年8月に死去した名経営者・★稲盛和夫氏だった。

侍J“ポスト栗山”の本命は栗山監督だけ? セ球団幹部が「続投の可能性ある」と話した根拠

 東京ドームの1次ラウンドで不振だった村上宗隆を最後まで信じ続けた栗山監督に、20代の大学生は「信じ抜く大切さを教わった」と言う。

 準決勝のメキシコ戦は村上の一打でサヨナラ勝ち。試合後の会見で栗山監督は「世界をビックリさせるバッターであると僕は信じてきた」と語っている。

「あそこまで選手を信じるのは難しいことです。信念を貫く姿勢は見事でした。侍ジャパンの優勝で日本はお祭り騒ぎ。経済効果は膨大で、低迷していた株式市場も活気が戻った感じがします。日経平均の3万円突破は近いと思います」(経済評論家の倉多慎之助氏)
ど真剣に生きる

 栗山監督は読書好きで知られている。自身の著書「栗山ノート」(光文社)に、北海道日本ハムファイターズ監督時代の一文がある。日本ハムは連敗中だった。

<真剣ではなく、「ど」がつくほど真剣に、今日は勝てると思っているのか?(中略)「ど真剣に生きる」──苦しいときにいつも救われた本のなかにあった稲盛和夫さんの言葉が、心に浮かんできました>

 稲盛氏は、27歳のとき★京セラを立ち上げ、52歳で★第二電電(現KDDI)を設立。65歳で得度し、70代後半で日本航空会長に就き、経営再建に尽力した。若手経営者の勉強会「盛和塾」の塾長も長く務めた。名言も数多い。そのひとつが、「ど真剣に生きる」だ。

■小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり

 サッカー日本代表元監督の岡田武史氏との対談(雑誌「致知」追悼稲盛和夫、2022年)では、稲盛氏の言葉を1つ挙げろと言われたら、「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」だと語った。

<ファイターズの監督をしていた最後の数年はキャンプ中もシーズン中もずっと、黒板にこの言葉を書いていました>(同誌から)

 この言葉に、どういう意味が込められているのか。稲盛氏の「京セラフィロソフィ」(サンマーク出版)にこうある。

<上司と部下の関係でも、信念もなく部下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。(中略)逆に信念を持って厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大善です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当に良いのかを厳しく見極めることなのです>

 監督(上司)と選手(部下)の関係で栗山監督が貫いている考え方といえそうだ。

「生き方」は大谷翔平も愛読

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擦り切れるぐらい読んだ渋沢栄一「論語と算盤」

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ーーー                          初版20230326 予報一転、朝からしっかりと雨。しかも寒い、、

ー時節項追記同日深夜未明 ※25土のニュースが中心、微追記校正同日 M2項見つかったので追記👆0422                    ①新潟 黄砂を観測 全国で今年初 24金       ②国会 28火 初年度予算案可決・成立の見込み   ▷高市議員 放送法「政治的公平」関連文書 「逃げ切った」とみる向き  > もう少し議員らには、自身の発言に責任を持たせられないものかと、、   ▷岸田首相 前中国大使の離任面会 断る   ▷平成大合併で 議員空白区 122区       ➋ゼ氏 ウク復興に 日本の指導力必要   ▶仏全土 一斉スト 英国王の訪仏も延期に   ▶挑発に「代価を」 尹大統領 北をけん制       ③東海道新幹線 2028年頃 自動運転   ▷相次ぐ EV充電器の撤去 動く企業  > 鶏と卵の関係とも。22年度新車販売に占めるEV比率は1%で、中国、独の20%と地球温暖化対策にも大きく開きがあるのが現状、、      ➌サンマ 漁獲枠25%削減 国際合意       ④       ⑤笹生優花 アルバトロス達成 米ツアー・ドライブオン選手権で  > 渋野は64、とも、、   ▶松山英樹 首痛で棄権 今季2度目  > マスターズが近いですが大丈夫?   ▷世界選手権男子フィギュア ミスがあったものの宇野が301.14で連覇 友野は6位  > 韓国チャン・ジュンファンが2位、韓国史上初の世界選でのメダル、4Aのマリニンは粗さ目立ち演技構成点の減点があるも3位。共に初メダル。 大会前足首怪我の宇野、SPで+2TだったのがFSでは4T+1Tとスケールダウン、基礎点引かれず上手く逃げた形。試技後リンクに大の字に寝転んでいた、、次回世界選24年度はカナダ・モンチリオールで開催、とも。   ▷サッカー 日本1-1ウルグアイ 24金  > 追いついた分けでした。       ⑥動物園の池 落下 スッキリが謝罪   ▷関空従業員 荷物ぶん投げ仕分け動画 物議  > コレ、タイだけでなく日本の空港でも何度も憂き目に遭った。コンベア前で出てくるのを待っている間、作業の様子を録画の上持ち主にモニタで見せれば改善するのでは?       ➏BKKスワンナプーム JALサクララウンジ 内装工事  > ご利用の方はご留意を   ▶米 ペンシルバニア州で 大規模爆発       ⑦       ➐ベトナム・ホーチミン 日本人観光客からボッタクリ タクシー運転手 罰金11.4万円と免停2カ月  > コレ、タイでも終日厳しく取り締まるべきかと。       ⑧富士の麓で タイフェス2023 5/27土、28日開催へ       ⑨NPBOP戦 ソ8‐2広 ハ1‐2ヤ 西5‐0De 巨5‐2楽 中1‐0ロ 神7‐0オ   ▷阪神先発・秋山 4回2安打無失点1四球3三振 62球、、   ▷阪神・伊藤将 肩の張り 開幕絶望   > ビーズリーも3月早々に開幕絶望で代役はケラーか浜地か。岩貞も急遽リリーフへ戻すと2日に云っていた矢先に今度は先発、、   ▷今季初 大山佐藤のアベック本塁打 OS砲炸裂   ▷巨人・坂本 OP戦打率.056に  > 昔の落合?                          🔴昨日のセンバツ結果<第8日> 3月25日(土)
09:00  2回戦  クラーク記念国際(北海道)1-3沖縄尚学(沖縄)
11:30  2回戦                    東邦(愛知)6-3高松商(愛媛) 
14:00  3回戦          作新学院(栃木)9-8英明(香川)     ▷沖縄尚学 2014年以来の甲子園 2勝目   ▷沖縄尚学 東恩納が2試案連続 完投勝利   ▷高松 先制し、1点差に追い詰めるも追いつけず 惜敗   ▷作新 両軍25安打のシーソーゲームを制す   ▷英明 逆転に継ぐ逆転 8裏2年生百々(ドド)君 逆転3ラン  > まるでWBC観ているような良い試合だった   ▷英明 大健闘先発全員安打の12安打8点も、あと僅か及ばず リード守れず逆転許す  > 逆転打を打った百々君が今度は逆転ツーランを作新5番武藤君に打たれました、、作新は23年振り、一番乗りでベスト8進出。       ➒WBC分配金 日本に不平等すぎ たったの13%  > ゴルフの場合、全賞金の20%が優勝賞金になっていますからね。 WBC側が66%を得て、残りを各国に分配するとも   ▶WBC吉田 優勝時に転倒!? 苦笑   ▶大谷 ヌートにあげた時計 実はお強請り   ▶大谷 WBC後初登板 マイナー相手に5回途中 8K   ▶大谷の「憧れるのをやめよう」コメ 全米でも 称賛の声   ▶大谷 チェコの帽子でマイアミ入り チェコ国民は一気に崇拝   ▶チェコ 歯医者さん 実はグラウンドキーパーだった   ▶元巨人マイコラス 同僚ヌートに「金メダルは(キャンプ地へ)絶対持ってくるべきでない」  > 後輩への配慮の書き込みなんだろうけれど、ファンは見たい、との書き込みも多かったとか    ▷ハム新球場 大谷&ダルの巨大壁画前が 人気撮影スポット   ▷中日ファン秘かな喜び 世界で侍に黒星 中日が唯一  > 成程。壮行試合で勝ったのは確かに中日だけだ、、(笑)        ⑩        ➓インテル創始者 ムーア氏死去

 

ー                               (画像・1上・下) 北海道栗山町に同名であることをきっかけに土地を購入。後に移り住み、創ったという少年野球のための球場施設「栗の樹ファーム」。 映画「フィールドオブドリームズ」に感銘を受けた影響もあったとのこと、、  上/スポニチ  下/栗山町

 

(画像・2) 併設のログハウス内には野球グッズがいっぱい。  上/栗山町  中/トリップアドバイザー  下/スポニチ

(参考動画のURL; 栗の樹ファーム ログハウス内 /アネスタ⇒https://youtu.be/2MjTXbkS4JM)

 

ー以下は時節項画像

(画像・3) WBC優勝の瞬間、飛び出すときコケる吉田正尚。 本人曰く水原一平通訳を避けた折とった「受け身」だったそうですが、、  /ヤフーニュース

 

(画像・4) 同上。 …傍目にはちょっと… 越えるには〇の長さが、、(笑)   /Youtube

 

(参考動画のURL: 転倒シーン。 云われるまで全然気づかなかったなぁ、、  /Youtube⇒https://youtu.be/CwLq8kofovE)

(参考動画のURL: 9回大谷登板から優勝のシーンまで ノーカット。 現地観客撮影。 よく見ると此処にも映っちゃってますね。  /https://youtu.be/vRBlAUGSEn0)

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