タイ語板  5枚目~!!  

ドラマ板 未視聴編 ~ どてらい男

ドラマ板 未視聴編 ~ どてらい男(やつ)

 

 花登筺原作 関西テレビ 1973年 全186話

 昔よく視ていた記憶があります。 戦前戦後に「山善」という大阪商社を創った男の話で、大阪弁で語られていた。 VTR版もDVD版も未発売だそうですが、アマゾンプライムで視れるという3年前の記事を見つけたので此処に置かせていただきます。

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ーーーーーーーーーーーーー                                   M; 【西郷輝彦の伝説ドラマ、40年ぶりに復活 2019.2.15 06:00 】

 

当時、最高視聴率35.2%を記録した西郷輝彦主演のドラマ『どてらい男』

これまで再放送もDVD化もされていなかった、西郷輝彦主演の伝説のドラマ『どてらい男(やつ)』が、40年ぶりに復活。15日より1話単位で、好きなときに観られるようになった。

しかし、当時はテープが高価なもので、上書きして再利用するのが当たり前の時代。同局にも『どてらい男』の映像は★初回と最終回しか残っていなかったという。だが、幸運なことに、この物語の★モデルとなった大阪の大手専門商社「山善(やまぜん)」に、『どてらい男』の7~129話が保管されていることが判明、同局に寄贈されることとなった。

これをきっかけに、まだ揃っていない部分のビデオテープ(2話~6話、130話~180話)もどこかに存在するのではないかと、★2014年に「どてらい男捜索プロジェクト」を発足。その後、★横浜でさらに映像が見つかり、映像を補習するとともに、原作者の代理人に配信の許可をとり、各話のエンドロールから出演者をピックアップ。それぞれの所属事務所に確認するという地道な作業に数年を費やし、奇跡的な復活を遂げることに。

★2018年7月から「Amazon Prime Video」チャンネルの「京都Ch」で配信がスタートすると、「待ってました!」「もう見られないと思っていたのに、配信されるなんて感激!」と、視聴者からの反響も上々。そしてこの度、2月15日から「Amazon Prime Video」未加入でも1話単位での視聴が可能となった。

同プロジェクト配信担当のカンテレ・田中淳さんは、「『どてらい男』には、日本がものすごく元気な時代のパワーやエネルギーがストレートにぶつけられています。昔の日本人はこんなに生き生きしていたのかと思いを馳せながら、お楽しみください」とコメントしている。 (Lmaga.JP)

 

ーーーーーーーーーーーーーーー                                  M2;【どてらい男 ドラマストーリー 】

 故郷の★福井から大阪に出て来た主人公・山下猛造(やました もうぞう)が、昭和十年大阪立売堀の機械工具問屋「前戸文治商店」へ丁稚奉公に入る。同郷出身で裸一貫から起業し、立売堀でも指よりの問屋に育て上げた前戸商店の創業者前戸文之助の様な立派な商人になる大望を抱き、持って生まれたど根性と型破りな行動から故郷ではどてらい男と呼ばれた猛造の新米丁稚らしからぬ言動は、主人の前戸をはじめ生意気だと先輩店員たちの反感を買う。中でも、番頭の竹田が忌み嫌い店から追い出そうと執拗に嫌がらせをする。しかし親友の尾坂、★先代の娘弥生、支配人岡田、女中のお秋といった理解者に助けられ困難を乗り越えていく。

前戸文治は跡継ぎの兄(弥生の父)が他界した為、銀行を退職して若旦になり創業者の父も他界すると、二代目店主になるも商人の才覚もなく遊郭で遊びまわり業績は悪化する。店の将来に不安を感じた弥生は叔父の前戸から勧められた竹田の結婚を断り、自ら経営に乗り出す、★結婚を断られた竹田は店を辞めると言い出す、営業トップの竹田に辞められると困る前戸は、嫌がる弥生を説き伏せる。★猛造は、お秋と深い関係にありながら弥生と結婚しようとする竹田から弥生を救おうと、前戸に竹田の倍売って倍儲け、半年間で竹田の倍売ったら破談にするとの約束を取り付ける。猛造は外交員に成り、はりきって得意先回りをするが、外交の基本を知らないため途方に暮れる。★“将軍”と言われる凄腕の外交員大石に出会い、商いの厳しさを教えられる。得意先の店舗の掃除周りから地道に始め、奉仕して猛造は得意先の心をつかみ、売上を上げ、竹田の成績に肩を並べ、ついには追い越すまでになった。焦った竹田はほかの店員の売上を自分の成績に加えるという姑息な手段に出て土壇場での巻き返しを図ったが、小細工はすぐにばれて猛造は勝った。しかし喜んだのも束の間、女手ひとつで店を切り盛りしようとした弥生は、無理がたたり入院。肺病の弥生と結婚しなくて良かったと暴言を吐く竹田はクビになった。戦争が激化してくる中、岡田支配人に召集令状が届き出征するなど、立売堀にも戦争の影が忍び寄る。販売課長に出世した猛造は軍需商品の需要が増える事を見越して、★東京への販路拡張に意欲を燃やし、前戸の反対を押し切って東京に乗り出す。元々東京の商いに乗り気でなかった前戸は、東京で円タクを使った外交の費用を猛造個人に負担させる。以前から前戸の経営方針に不満を抱いていたが、この一件で経営者としての前戸に見切りをつけ、一年間のお礼奉公をして★弱冠二十歳で独立し、山全商店を設立する。猛造の故郷では、母よねが村一番の出世頭になった息子のために、福井の洗濯屋兵庫屋に嫁いでいる実妹の娘茂子との縁談を勝手に進める。召集令状が届き入隊を控えて故郷に戻った猛造は、茂子の幸せを思い、明日にも知れない自分との結婚はやめたほうがいいと説得するが、茂子の嫁入りの決意は固く猛造と茂子は祝言を上げる。翌朝猛造が入隊すると、茂子は大阪の山全に向かい三人の丁稚と働き始める。入隊した猛造は病気を理由に除隊になり、大阪に戻った猛造は、茂子という最良の伴侶を得て、一層商売に邁進する。恨みを持つ前戸は経済警察に山全商店が軍の指定工場という名目で仕入れして闇取引を行っていると密告する。当時闇取引をしない問屋は皆無だった。そのため経済警察に逮捕され厳しい取り調べを受けたが猛造は、立売堀の同業者を守るために黙秘を貫き通し無罪放免になった。しかし二度目の召集令状が届く。今度は簡単に戻れないと判断した猛造は、山全商店を畳む。同じく竹田・前戸にも召集令状が届く。前戸に代わって前戸商店の看板を守る尾坂に、必ず戻って来るからそれまで立売堀の事は任せたと頼み、茂子には必ず生きて帰ってくると誓って出征する。

猛造の配属された部隊の班長・★坂田軍曹は、元の職業は風呂屋の番台であり、インテリや成功した人間へのコンプレックスが強かった。その為、口の達者な猛造は早々に目を付けられ、ことあるごとにしごきを受ける。しかし煙草で商いをしたり兵隊仲間と株式会社を作って金儲けをしたりして軍隊を生き抜く。日本の敗戦が濃厚となり、本土は連日激しい空襲を受けるようになった。猛造たちを乗せた輸送船は、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没する。九死に一生を得て、沖縄に上陸した猛造たちの部隊は、アメリカ軍との戦闘を開始するが、猛造をはじめ生き残った日本兵は洞窟へ逃げ込む。絶体絶命のピンチに陥っても猛造の不屈の闘志は健在だった。                                           昭和二十年八月十五日、日本は敗戦した。終戦を迎えた日本兵たちはアメリカ軍の捕虜になり、捕虜収容所に収監される際に猛造は、陸軍大将塙団右衛門と名乗る。アメリカ軍により塙大将として日本人捕虜の最高責任者、大隊長に任命された。演芸会を開催して捕虜たちを勇気づけたり待遇改善に尽力したりと大活躍した。しかし坂田軍曹と竹田が捕虜収容所に入ってきて、猛造が二等兵である事を密告し、MPに逮捕され階級詐称の罪で裁判を受けることになる。大阪では主人のことを大将と呼ぶ習慣があると坂井が弁護するものの、猛造の有罪は確実と思われたが、司令官は、日本人将校の多くが敗戦後、責任逃れで階級を下に偽る中敢えて大将を名乗った猛造の勇気を称え無罪の判決を下す。坂井から敗戦国日本の円の値打ちが下がりアメリカのドルが強いことを知ると商魂が沸き、★アメリカ軍の倉庫の余ったパラシュートで、ネクタイやスカーフ等を製作販売した。多額のドルを稼いで、日本に戻ってからの商売の元手とするためだった。茂子と尾坂の二人は猛造は生きているとかたくなに信じていたが、それ以外の人たちは猛造は戦死したと考える。茂子の実家の両親は兵庫屋の従業員の楠と再婚させようとする。役場から猛造の戦死の知らせを受け取った猛造の母よねは、茂子を思い切らせるために茂子の籍を抜く。周囲の圧力に屈して茂子は楠との結婚を承諾する。そのころ沖縄では、一刻も早く帰国したい猛造が傷病兵が優先されることを知り、★しびれや神経痛の偽病が裏目に出て、アメリカ陸軍病院に長い間研究材料として入院することになる。しかし、ついに猛造にも帰国命令が出され、秘密裏にドルを持ち込むため体に包帯を巻き日系二世を装い復員船に乗船し帰国する。

名古屋港を経て福井へ戻った猛造は、焼け残った家屋の間をアメリカ兵のジープが走り回る変り果てた故郷の姿に暗い気持ちにさせられる。兵庫屋へ行くとお秋と堤先生に会い茂子の再婚話を聞かされたため、茂子を取り戻しに城ケ崎に向かう。途中で汽車が無く乗り換えたトラックも崖崩れで先に進めず山道をひたすら歩いて城ケ崎を目指し、★挙式寸前に婚礼会場の旅館に辿り着き、旅館の女将の計らいで花嫁衣裳の茂子と再会する。心ならずも猛造を裏切ったことに罪悪感を抱く茂子を大きく包み込む猛造。茂子を三方村の実家に預けて単身大阪へ戻った猛造は、三年ぶりの立売堀が焼け野原になっていることに呆然とする。谷町で前戸商店の看板を守っている尾坂と再会を喜び合う。同じころ前戸と竹田も復員して来た。沖縄で稼いだドルを元手に再び立売堀に店を興そうと考えるが、商売しようにも戦後の物資不足で肝心の商品が手に入らない。安価で仕入れしやすい機械工具を買って商売する仕入先として摂津工具というメーカーに目をつける。そこには、かつて前戸商店に摂津工具から外交として来ていた男が今は部長になっていた。巧みな駆け引きで品物を仕入れる約束を取り付けたが、統制品を扱うには営業許可証が必要で、★問屋で唯一許可証を持っている谷町の老舗問屋中西彌商店に代名義を融通してもらうたため正体を隠し、ただ働きをする代わりに商品を仕入れさせてほしいと、やり手の支配人門田に願い出て許される。猛造は一日も早く立売堀で商売をしたいとの思いから立売堀復興会を立ち上げる。門田が猛造の商人としての力量を見込んで、また、先代主人の娘かな子が好意を持っているのを知った猛造は中西彌商店を辞め、新会社設立に向けて本格的に動き出す。

そしてついに念願の★立売堀に新会社天守産業株式会社を設立。開店初日には、大勢の人がお祝いに訪れた。立売堀の長年の歴史を見守って来た由緒ある灯篭が、今は無き立売堀の老舗問屋から届けられる。その灯篭に火をともすと猛造は必ずこの立売堀の昔のように活気ある街にすると尾坂と誓い合う。尾坂が苦労して戦争中も守り通した前戸商店の看板を、復員して来た前戸との話し合いの結果、尾坂と前戸の共同経営とするが、しばらくすると★復員して来た竹田が前戸に取り入って尾坂を差し置いて勝手し放題にするので、ついに尾坂も堪忍袋の緒が切れ独立を決意する。前戸に雇われた友子は尾坂の監視役であったが、尾坂の誠実さに魅かれ友子も前戸を去った。尾坂は商品受け渡し専門の★運送会社平和運送を猛造の支援により創業し、順調に業績を上げていく中、スピード運送なる新会社が二割引きでの運賃でのチラシを撒く。この会社は前戸と増田の共同経営に竹田を加えた会社であった。平和運送とスピード運送の対立は、傷害事件にまで発展し新聞沙汰になり、スピード運送の悪評が立つと、増田の実父、通称金増が前戸を解任して竹田を新社長に任命し、平和運送の信用を落とすために運転手を平和運送から金の力で引く抜く。窮地に立たされた尾坂は自分で運転するが、自損事故を起こし入院することになる。友子は自分を責めて尾坂を助けるため、前戸に身をまかせるがすでに前戸には何の権限もないことを知り、愕然とした友子は死を思い川辺にたたずむ。茂子は思いつめた友子を心配して探しに行くと川に浮かんでいる友子の靴を見つけた。尾坂は友子が入水自殺を図ったのではないかと苦悩し、平和運送は危機に陥っていた。三輪トラックの購入代金返済に苦労する尾坂を助けるべく猛造は平和運送の新規事業として三輪トラックを、円タクよりも小型の三輪タクシー“半タク”に改造し人を乗せて商売にすることを思いつき、トラック会社大星産業の森田社長に半タク製造を持ち掛け了承を取り付ける。スピード運送から半タク事業を妨害するために竹田に呼ばれた坂田元軍曹が、森田社長に反目している岡専務一派をけしかけて、半タクの試作車をスピード運送に提供させようとする。傷病兵の情報で猛造は海野を連れて海野の母の居場所に行き、無事親子の対面を果たした。その頃、先に大阪に帰った森田が猛造との半タク事業の契約書作成の途中で持病の心臓発作を起こして自宅で倒れ込んで急死する。大星産業で実権を握った岡専務たちは、半タク事業のパテントを申請して一歩先にでるが、猛造の熱意により半タク事業のパテントを見事に手中に収め半タクの試走にこぎつける。猛造にとっては尾坂を助けるだけでなく自分自身の時代を見極めるという重要なものだった。★当初半タクは知名度がなく客集めに苦労したが、一度新聞に取り上げられてからは、大反響を呼び大当たりした。猛造が半タクにかかりきりになっている間に天守産業は大きな危機に見舞われていた。仕入れを一手に任されていた蔵先が、自分の儲けも狙って売れる見込みも無いショベルを大量に仕入れて在庫の山を築いていた。猛造は、私利私欲を図った蔵先を激しく叱責した。猛造が下した蔵先への厳しい処分に、★癖のある新入社員の黒田がワンマン経営者の横暴だと糾弾し、社員たちを洗脳し天守産業に労働組合を結成する事になった。社内で孤立する猛造だったが労働組織体・総革新の森川正憲との話し合いで共鳴し、いずれは作らなければならない商人としての組合の在り方を考え自ら労働組合を結成する。結団式の席上で経営者としては異例の組合顧問に就任し、社長を茂子に譲ると発表する。猛造の考えを理解できない立売堀の経営者達は、天守産業を立売堀から追い出そうとする。天守産業が倒産するという噂が飛び交い、売掛金を集金するために多くの者たちが押し寄せたことで金庫が空になる。そこにきて大量の在庫の元凶であるショベルの仕入先平和プレス産業が売掛金の催促をしてきた。会社の評判を取り戻すため窮余の一手で考えついた巧みな駆け引きで売れ残りのショベルを新製品の文化鍋と交換させる。

当座の危機を乗り越えて一息ついたのも束の間、茂子の実家から父・弥之助の危篤の知らせが届く。茂子は福井へ向かった、猛造も後を追った汽車の中で★広さんという風変わりな男と会った。得体のしれない箱を座布団を敷いて座席を占領していた。嫁さんの遺骨だと言う。広さんの体から甘いミルクの様な匂いがして猛造はケーキ屋だと思う。広さんこと日野広之進は天才肌のケーキ職人で物資が不足する中で大阪でケーキ工場を営んでいる気骨のある男であった。広さんのケーキを食べ、旨さに感動した猛造は甘味好きの義父弥之助のために広さんのケーキを買い、昏睡状態の弥之助にそのケーキを口にはこび食べさせると奇跡的に意識を取り戻し家族を喜ばせる。茂子は実家に残り弥之助の看病をする。大坂に戻った猛造に新たな問題が起こっていた。平和産業の★文化鍋が予想に反してまったく売れず逆に返品したショベルの注文ばかりだった。新製品の文化鍋は家庭用としては大きすぎたのだ。もともと専門が機械工具なのに、専門外の家庭雑貨に手を出したのが敗因だった。売れない鍋を山のように在庫として抱え途方に暮れる。弥之助は徐々に回復してきたが、茂子は年老いた両親のことを思い兵庫屋を継ぐことを決意し、戦争孤児を引き取って従業員として雇う。

そんな茂子のために猛造は広さんのケーキを注文するが、何故か嫌な予感がした。そのケーキが猛造の元に届けられた直後に地震が起き、震源地は福井で被害は甚大だという一報に、猛造は茂子のことを気遣いながらも、震災なら炊き出しで大きな鍋が必要となると踏んで身の危険も顧みず福井に向かう。福井に着いた猛造が見た町は目を覆いたく成る様な惨状だった。兵庫屋も倒壊し茂子は行方不明、地震で崩れた家屋の柱に挟まれた弥之助を助けようとして梁の下敷きになり臨時の診療所に担ぎ込まれた。茂子を必死で探し回り、地震で橋がなくなった川を必死で泳いで渡る猛造は震災臨時診療所にようやくたどり着いた。そして母よねと再会し、その場に横たわっている★茂子を発見する。茂子は猛造を待っていたかの様に、猛造の手を握りしめながら安心したかのように息を引き取る。福井で行われた合同慰霊祭に出席した猛造は尾坂に励まされるが茂子を失った痛手はかなり大きく憔悴しきっていた。大阪でラジオの実況を聴いていた広さんも富子に猛造がしばらく立ち直れないだろうと語った。茂子の遺骨と一緒に大阪に戻る猛造を見て、精神的な支えであり、苦楽をともにしてきた最愛の伴侶を失った悲しみと喪失感は大きいにもかかわらず涙を見せずに強がる姿を尾坂や従業員たちは見守るしかなかった。茂子の告別式の日悲しみの淵に沈む猛造をあざけるかのように、紅白の花輪が届けられる。差出人は前戸だった。一時は日雇い労働者まで身を落とした前戸だったが、大手不動産会社を経営する佐々木に取り入り孫娘の婿になっていた。前戸が立売堀に設立する佐々木産業の開店日に葬式の花輪を贈る。それまでの経過を知らない立売堀の商人たちは商人道義にもとると猛造の行為を激しく非難し、立売堀の連合会は退会処置をつきつける。茂子を失った悲しみで自分を見失い商人としては、やってはならないことを悟った猛造は、成長した木下を中心にしばらく従業員たちに天守産業をまかせて、★広さんから依頼されたメリケン粉の入手を試み、猛造の参謀を務める海野は広さんを訪ねて秘策を伝授してもらおうと考え、進駐軍が保管するメリケン粉の入手に専念する。広さんのためにパン粉の調達に奔走する猛造だったが自分の店に帰ってみると売り上げはゼロ。尾坂からも今の状態が続けばあと10日で倒産すると告げられまさに四面楚歌だった。富子は広さんに進駐軍の倉庫ならパン粉が売るほどあるはずなので泥棒に入る事を勧められ困惑する。猛造は広さんのために富子を連れて進駐軍のキャンプへパン粉の調達のために向かう。その途中で前戸が社長の佐々木産業の顧問に抜擢された坂田と再会し罵倒される。蔵先が佐々木産業に乗り込み坂田とケンカをし警察沙汰になってしまった。猛造は激怒するが尾坂には蔵先の意図が理解出来た。騒ぎを大きくして坂田のインチキ商法を暴露しようとしていたであった。尾坂は前戸の義父佐々木にこれまでの前戸の悪行を洗いざらいぶちまける。以前から前戸の言動に不審を抱いていた佐々木は前戸社長を解任し、社長に佐々木が就任して取引先に天守産業を助ける様に依頼する。この佐々木の依頼により天守産業は危機を脱する。猛造は生死が不明だった友子と偶然再会する、友子は夜の女になっていた。尾坂は友子と会うが、友子はわざと乱暴な言葉使いをし蓮っ葉な女の振舞いをして、尾坂にわざとシミーズ姿で坂田と寝ている姿を見せて「私はこんな女なのよ!もう、近づかないで」と言い、これを見た尾坂は愕然とし未練を断ち切り、尾坂に好意を持っていた若い従業員の美香との結婚を決意する。その友子は、戦前、前戸商店で支配人をしていた岡田老人と結婚する。竹田は最後落ちぶれた岡田老人に諭されて、竹田はぽつんと「ついてない…ほんまについてない」とつぶやき、坂田は悔い改めて仏門に入る。

猛造のお陰で思う存分ケーキ作りができるメリケン粉を入手した広さんは、マッカーサー元帥に自分のケーキをプレゼントしたいという新たな相談を猛造に持ち掛ける。日本とアメリカを結ぶケーキ親善大使を自称して尾坂のトラックで大阪から東京へケーキを運ぶ。マッカーサー元帥の誕生日ケーキを作ることになり、猛造は材料のココナツを仕入れるために、尾坂と共にハワイへ行く。ハワイで目にしたアメリカ製の機械工具の優秀さに感激した猛造は早速輸入する商談を現地で取り結ぶ。「三方村の猛やんが、立売堀の猛やん、大阪、日本、そして世界の猛やんになるんやな」と尾坂が言えば「ロックフェラーに負けとられんぞ」と猛造が答える。それから三十年後、尾坂の予言通り山下猛造は世界の猛やんになった。そこには金縁の眼鏡に派手な柄シャツに白い背広を着た猛造。ハワイのビーチでグラスを傾けて寛いでいる。長い髪のビキニ姿の女性が前を通り過ぎ、その姿が亡き妻茂子にそっくりで昔を思い浮かべ、一人寂しそうであった。山下猛造の”どてらい男”の物語。(Wiki)

 

ーーーーーーーーーーーーー                                    M3; 【花登 筺(ハナトーコバコ)】 とは

 1928年昭和3年)3月12日 - 1983年昭和58年)10月3日)は、★滋賀県大津市出身の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。

★昭和30年代の上方喜劇ブームの立役者であり、またテレビ草創期におけるスター脚本家であった。高度経済成長期には、大阪商人を主人公とした商魂物・根性物を多数執筆した。

移動する新幹線の車内でも原稿用紙に向かい、「カミカゼ作家」「新幹線作家」の異名も取った。最盛期における執筆ペースは★月に原稿用紙2000~3000枚、生涯に書いた脚本の数は★6000本を超えると言われる。また、劇団喜劇の主幹でもあった。

主な作品に、『やりくりアパート』、『番頭はんと丁稚どん』、『船場』、『道頓堀』、『細うで繁盛記』(『銭の花』)、『ぼてじゃこ物語』、『アパッチ野球軍』(アニメ)、『どてらい男』、『おからの華』、『あかんたれ』、『鮎のうた』、『ぬかるみの女』、『女商一代 やらいでか!』などがある。人気作品の多くは、人間の成長過程を描いた物でもある[1]

生涯3度の婚姻歴がある。最初の妻は武智鉄二の義妹、2人目の妻は元・宝塚歌劇団娘役で女優由美あづさ、最後の妻が女優の星由里子である。

麻雀もプロ級の実力で、日本プロ麻雀連盟の設立に尽力した。

俳優大和田獏に「獏」という芸名を与えた名付け親でもある。

藤本義一と不仲と噂されたが、これは週刊誌の嘘であると藤本自身の著書で書かれている。あるパーティーの席で、その噂が流れていると知った二人は、その後のパーティーで会話をせずに不仲を装い、後で他の客の反応を電話で話すという噂を逆手に取ったイタズラをしていたという。

来歴

  • 1928年(昭和3年) - 滋賀県大津市北国町に、旧姓名・川崎善之助として、近江商人の家に生まれる。花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改めた。
  • 1947年(昭和22年) - 北国町青年団の一員として演劇活動を始める。
  • 1948年(昭和23年) - 大津で「自主劇団 人間座」の結成に参加。その後「文芸座」を設立、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。
  • 1951年(昭和26年) - 同志社大学商学部卒業。大阪の綿糸問屋に勤務するも肺結核により翌年退社し、一時重体に陥るも回復、作家を目指しラジオ局へラジオドラマの脚本を持ちこむ中で採用されるようになり、フリーの脚本家となる。
  • 1954年(昭和29年) - 東宝と契約してラジオの台本作家、ミュージックホールの構成・演出を手がける。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年) - 『やりくりアパート』にレギュラー出演していた子役・中山千夏を東京の舞台公演へ出演させたい、とする東宝側の要請を花登が固辞したことから関係が悪化し東宝から独立[3]松竹の支援で『劇団・笑いの王国』を設立する。当時花登の下で人気を博していた大村崑芦屋雁之助芦屋小雁らが追随するが、同じ花登グループだった佐々十郎茶川一郎らは東宝からの慰留もあり残留、グループが分裂する結果となった。
  • 1963年(昭和38年) - 劇団内では「人気の崑、実力の雁之助」という図式の下、2枚看板が成立していたが、雁之助は主演舞台を評価されながらも2番手に甘んじている事など自身の処遇に対する不満などから、主宰者の花登、座長の大村から距離を置くようになり、弟の小雁、芦屋雁平や花登に不満を抱く一部座員もこれに追従し始める。こうした事がやがて劇団内の軋轢となり、雁之助は大村主演の舞台にスッピンのままで出るなど傍目にも花登への猜疑心を露わにするようになっていく。加えて「元・宝塚娘役」、「主宰者・花登の妻」というプライドから看板女優の座に居座る由美あづさの横暴、孤立化する座長・大村など、座員間の不協和音が次第に表面化していく中、1964年、花登は劇団解散を決め、雁之助、小雁らは花登の下を離れる。
  • 1971年(昭和46年)2月6日 - 自身の喜劇三千本を記念して、プロデューサー、脚本、監督の3役を務めた東宝映画『喜劇 おめでたい奴』が公開。
  • 1972年(昭和47年) - 東宝の支援で新たに『劇団「喜劇」』を主宰。
  • 1974年(昭和49年) - 既に、妻である由美との関係は修復不可能になっていた中、花登と女優の星由里子との不倫問題が発覚した。劇団の看板俳優である大村は、花登と同様に、花登の当時の妻・由美にも恩義があり、自身の妻・瑤子も由美と親しい仲であったため、板挟みとなり、花登の行動を容認できない状況に陥っていた。結局、花登に劇団退団を申し出、花登と大村の長きにわたる「師弟関係」は終わりを告げた。
  • 1975年(昭和50年) - 由美との離婚成立後、星と再婚。
  • 1983年(昭和58年)- 10月3日 - 肺癌のため死去。享年55。
死後
  • 1983年(昭和58年)12月 - 朝日新聞社より「私の裏切り裏切られ史」が出版された。病床で最後の力を振り絞って綴った自叙伝である。その赤裸々な表現は、「死を感じた人だからこそ書けた芸能界への遺書」として話題を呼んだ。
  • 1986年(昭和61年) - 遺族の寄付金をもとに、青少年の文芸活動推奨を目的とした「花登筐文芸奨励賞」(大津市内在住の小中高生が対象のコンクール)が設けられた。また同年、遺族から8300点超の資料(著作・脚本・蔵書など)の寄贈を受け、大津市立図書館本館に「花登筐記念文庫」コーナーが設置された。

受賞

弟子

直弟子

孫弟子(いずれも花紀の弟子)

曾孫弟子(いずれも間寛平の弟子)

(Wiki)

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