《補われた知と対をなすもの-40》
「自己のない心の樹」
専門的一方向の領域「補われた知の樹」は入力と出力あるいは、トップダウン方式の内的言語が働くため単純な思考回路を複雑な推理とともに簡素化できずに「自己のない心の樹」と付き合うことになる。しかし、「補われた知の樹」はその名の通り外界があって内界を作ることを可能とする絆という領域であって、単にコンピューターのようにプログラミングされた領域のようなものとは違う、自己という内外界を統合しているかのように思われる世界を示すものである。「自己のない心の樹」が示す感覚と運動の指示は外界との関連はなく、内的な「知」よりももっと深くにある、基本「生きる」という絶対条件のうちに「自己のない心の樹」は「根・幹・枝・葉・花・実」を広げ、各箇所と結びつき共有し、そこから自身の内的言語に「生きているから知りえる感覚」を与える。その影響と共にある「補われた知の樹」との関係が一般に言われる「心」である。・・・・・つづく。
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