教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

「いじめ」を無くしたい!(私から、大切な者へ)90

2014年08月05日 | 日記

《補われた知と対をなすもの-35》

 「自己のない心の樹」

理性を必要としない場面の記憶が幼いうち、つまり小さな一塊の事物として予測に応用することが専門的か一方向の領域に限られている状態、それが理性をあまり必要としない場面の記憶である。

その昔、特攻機に乗ることを志願し使命を果たした若者達がいた。国のため、親のため、兄弟のため、恋人のためと、<何かのため>という専門的一方向の領域に予測を応用する戦場での戦いと、不自由な自己とのもう一つの戦いを身にまとっていた。幼き頃の自身の「補われた知の樹」「自己のない心の樹」は、家族、兄弟、恋人(他者)という自然な関係の中で、自身のやり方、方法、ルールを規定し自然的な関係の中に適応させていた。限界づけられた領域ではあったが、両親、兄弟、恋人(他者)より教わった「補われた知の樹」は常に「自己のない心の樹」と共にあり、適応のための理性は皆、共通なものであると無意識のうちに信じていた・・・・・そして、年齢、性別、陸、空、海など、理性を予測に応用する専門的一方向の領域を持つ者たちにより、役割を「補われた知の樹」に植え込まれ、不自由な自己とのもう一つの戦いを強いられていった・・・・・日のあるところでは強制に対し適応することは必至であり、闇に隠れては不自由と戦っていた・・・・・いつしか強制適応と不自由は、自身に答えを導く「知」を望むようになった。「国のため、親のため、兄弟のため、恋人のためと、<何かのため>に勝って終わらせること」「共通の無意識のうちに、大切な者達を守ること」それともう一つ、「補われた知の樹自己のない心の樹により、それらを叶え生きて帰ること」・・・・・「知」は自身の中の選択という小さな自由へ意味を変えていった・・・・・つづく。


いつも私の戯言を暖かい目で眺めてくれる方々様へ。もし、時間的に余裕がありましたら、結ばれるための4箇所のクリックをお願い致します。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

ブログ

時間に余裕がありましたら「教科書やマニアルにはない考え方。」を探してクリックしてもらえたら光栄です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿