教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

純粋・・・・(私から、大切な者へ)

2015年06月26日 | 日記

偶然のおかげで削ぎ落とされて行く自分自身の

心情は知らない・・・・。

 

経験は無垢な心情で得られるから

「生きること・活かすこと」を学べるんだよ^^

2015年06月24日 | 日記

 

変わってゆく心情はなかなか自分では確認できないものだ・・・・。

特殊な出来事がない限り認めることは出来ないものだよ^^

仲の良い人にとってもあまりに近すぎて真剣に振り返らない限り、

意識できないものだ・・・・。

 

でも、

時々会う叔父さんや叔母さん達には成長したことや、

心情の変化を一発で確認できる^^

人の心を覗き見るような偏見の混じった見かたではなく、

無垢な心情で見る事が出来るからなんだろうね。

 

※無垢=純粋であること

 

時間が経とうと当時のお前のことはしっかり覚えている。

お前は毎日の物事の中で沢山の影響を受け

曖昧にしか覚えていないはずさ。

 

人はね、

そんな成長や心情の変化を目の当たりにするたびに、

自分自身の記憶に呼びかけているんだよ。

喜んだり、悲しんだり、見くだしたり、怒ったり・・・・

 

でもね。きっと、叔父さんや叔母さんも

日常生活で交わっている人たちには偏見の目をきかせ、

自由に選択し、暮らしやすいグループを作っていると思うよ^^

(兄弟よ義兄弟よ、ゴメンね^^;)

 

何かに対して純粋な目で見ることが出来るのは、

自意識は無く

稀なものに対して働く力なのかも知れない・・・・

 

 

無垢(純粋)な目って難しいよね。

意識的に働かせることは出来ないんだ。

それに近いことが出来るとするならなら、

ひざを折り曲げ同じ目線まで、

内股とふくらはぎに力を入れて

下がるまたは飛びあがること

(それとまねること)

かな・・・・?

 

 

でも、時代の一般性というものは便利さと効率という意識を摘み取り

変わってゆく・・・・。

作りだしているのはいつも無垢(純粋)な心

なのにだよ・・・・。

 

些細な細部でしかそれを発揮することはできない・・・・

でも逆に言えば、

些細なものから発したものが

一般性を配置しているんだね・・・・^^

 


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