のんきに介護

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毎日新聞、何やってんだよ! ~ 曽野綾子さんの取材の巻

2015年02月15日 19時07分42秒 | マスコミ論
平川克美
‏@hirakawamaru さんのツイートだ。

――毎日新聞、何やってんだよ。http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20150215ddlk13100002000c.html …〔19:04 - 2015年2月15日 〕――

リンクされたページの飛ぶと、

「読者登録」の必要な記事なので、

転載は控えるが、

内容は、

曽野綾子さんの別荘を訪問をしての取材。

2月15日付だ。

タイトルに

「旅活」という前置きにセミコロンが付してあり、

「人並みな暮らしがいい」

という文章が続く。

お訪ねした外国の話で盛り上がったのだろう。

記事には、

「私ね、イタリア、大好きで、本(自伝『この世に恋して』)でも書いてるんです」

  Come  stata  ricca   la   mia  vita(コーメ・スタータ・リッカ・ラ・ミア・ビータ)。「直訳すれば、私の人生、なんて豊かだったのという意味だそうですね」。庶民が自然に口にするセリフだ。「すごくいい言葉。リッカ(豊か)には家や自動車とかのぜいたくじゃなくて、人並みな暮らし、本当の人生が手に入ればいいってことなんですってね」

という曽野氏自身の言葉を引いている。

記者(藤原章生)氏が

「人生はうまくいかない。だからきれいな人を見たとか、下らない笑い話に派手に喜ぶところがラテン世界にはある」

と応じたところ、

「それ、才能ですよ、ちょっとしたことに幸せを求められるのがね。これ、カサゴの空揚げ、おいしいのよ」とのこと。

記事の最後の話は、

「体に泥を塗ってくれるおばさん、14歳からずっとやってるんですって。最後の日に『1週間楽しく過ごせたわ』ってお礼を言ったら、『コメディア・テルミナータ(喜劇はおしまい)』って言うの。面白かったってことでしょうけど、健康や美容とか私が過剰に期待するのも全ておかしくかわいくバカで、それが人間なのよって意味なのかしらって。だからおばさんの一言がとっても良かったの」。

これって、何だ?

昔あったテレビ番組に、

スチュワーデスの物語だったかな

「私は、愚かで、何たらかんたら、そそっかしいだけよ」

という風な歌詞を聞いたことがある。

要するに、それと同じで、

自分の悪口に見えて、実は、ぶりっこの自慢話じゃないか、

と思った。

現に、曽野氏の話は

何気に

「かわいく」

という言葉が忍ばせてある。

自慢話の証拠だよ。

この行を読んで、

僕は、思わず、

「お嬢ちゃん婆さん」という

辛辣な曽野綾子評を思い出してしまったよ

(拙稿「エアー右翼、己を知らない者たち」参照。
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/682ca7ed756278a55969c4362f2b2eae)。

然るに、

そうとも気づかず、

手伝いの女性と曽野さんが盛りつけたという、

酢をまぶした野菜にエビとホタテが乗ったカルパッチョに

舌鼓を打っている記者氏の幼げな

顔が思い浮かんだ。

子どもっぽい人のようだから、

悪びれず、

告白しているところは褒めてやるべきなのかしれない。

しかし、偏頗なく見て、

取材ではなく、

餌付けをされに行っているようなものだ。

言わしてもらえや、

そもそもふらっと外国旅行にでかけ、

1週間ほどお世話になったホテルを後にするとき、

「喜劇はおしまい」なんて言われて、

何が嬉しいものか――。

はっきり言って分析不足だな。

退社のとき、

「お疲れ様」じゃなく、

「喜劇はおしまい」と言われたら

どんな気がするか、

想像力を働かせながら記事をかけよ

と言いたい。

心の中の世界にしろ、

「俺は、てめぇらを笑わせるために生きてんじゃねぇ」

ぐらいの捨て台詞、吐きたくなるだろ?

それに、

時期が時期だ。

なぜ、アパルトヘイトの話にならなかったのか、

不思議だ。

平川克美さんではないけれど、

「毎日新聞、何やってんだよ」

という不満がじわっと

湧き上がってきた。

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