のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

柴山文科相 / 「(教育勅語を)アレンジした形で今の道徳等に使える分野は十分にある、と言う意味では普遍性が見て取れる」

2018年10月03日 12時15分31秒 | 安倍某とそのお友達



教育勅語には、

「親に孝行せよ」とか書いてある。

一々の徳目について、

道徳的ではないとは言わない。

問題なのは、

その背後にある

「もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったもの」

(高橋源一郎✔@takagengenさんのツイート〔14:46 - 2017年3月15日〕参照)

という考え方だ。

だから天皇を慕えという命令が正当化される。

それが

教育勅語の核心であり、

柴山文科相が言うような

「普遍性が見て取れる」部分を一部取り出して見るなんて

芸当はできない。

もし、取り出したように見えても、

それは、

天皇の大義として肯定されたからに過ぎない

(拙稿「新閣僚に思う。脛に傷どころじゃない。この人たち、首相も含め、もろ犯罪容疑者じゃないか」の記事、「(6)柴山昌彦の場合」の項目を参照)。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/72b94edefc1c4eac9307680dc85f52ee

逆に言うと、柴山氏が指摘する

「普遍性」は、

幻影だ。

電車が発車すると、

駅が後方に徐々に走っていくように見えるだろう。

原理的には

あれと同じだよ。

普遍的なものが他にあって、

その動きを投影しているに過ぎないんだよ。

普遍性は、

親や友などの人間関係に宿っている動きにあって、

天皇や国家と言った

死んだ制度理念に外在するものじゃない。

天皇のために玉砕するとして、

そこに涙があるのは、

家族愛が普遍的であるからであって、

「天皇のために玉砕」という事実に普遍性があるからじゃない。

その間の事情を分かりやすく説明している

ツイートがあったので

紹介する。





教育勅語では、

高橋源一郎さんの翻訳によると、次の件が正義の本丸であり、義務の中身だ。

すなわち、

「永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」(高橋さんのツイート〔14:57 - 2017年3月15日〕参照)

ということだ。

こんな言い草に「普遍性」があるわけないじゃないか。

騙されちゃいけない。

どうしても安倍政権に付いて行くなら、

この政権は、

教育勅語を頻繁に引き合いに出したがる割に、なぜ、不道徳でふしだらなのか、

説明してからにして欲しい。次のような批判もあるよ。




なお、教育勅語について

こんな解説。




12個も徳目が書いてあるのか、

すごいな

と感心していると自分の命を失うことになるから

注意しなってことだな。

ちなみに、12の徳目とは、

以下の項目を言う。

1.父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)
2.兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)
3.夫婦相和シ(ふうふ あいわし)
4.朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)
5.恭儉己レヲ持シ(きょうけんおのれをじし)
6.博愛衆ニ及ホシ(はくあいしゅうにおよほし)
7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ(がくをおさめぎょうをならい)
8.以テ智能ヲ啓發シ(もってちのうをけいはつし)
9.德器ヲ成就シ(とっきをじょうじゅし)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(すすんてこうえきをひろめせむをひらき)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(つねにこっけんをじゅうしこくほうにしたがい)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(いったんかんきゅうあれはぎゆうこうにほうし)

実践は、

自由にしたらいい。

ただ、「天皇の名において」やらないで欲しいな。

それだと、

心の掟である道徳の実践ではなくなってしまうから。


<追記>




2018年10月3日夕方 記



<追記-2>




2018年10月4日未明 記


<追記-3>




二兎を追う者、二兎を得るということが言いたいのかな。

あれもこれもという考え方が

この人にとっては、

Justiceだということだね。

「真犯人を捕まえる」「冤罪被害者を出さない」という結果の両立を

私は果たす、と仰りたい。

結構な目標だ。

しかし、「真犯人」という言葉を使った時点で、

冤罪被害者を想定している。

服は着てても、

俺は裸だという主張をしているだけで、

ただの言葉遊びだ。

犯罪者らしい人はすぐに見つかる。

しかし、その人が

冤罪被害者である可能性がある。

そういう痛し痒しの状況を避けるため、何をなし得るか――。

犯人を上げることでなく、

上げないことに軸足を置くことではないか。

しかし、

全ての事件を迷宮入りにしていいことではないので、

軸足を

犯人逮捕に置き、

冤罪被害者である可能性が

非常に低いとなった時、逮捕して取り調べを行うのだろう。

どちらが軸足かと言う話のとき、

要は、バランス感覚ということになる。

そういう話がしたかったのかな。

だとすると、

柴山文科相の可笑しいのは、

時間の経過を無視している点だな。

この人の論は、

無色透明の「中立論」を思い起こされる。

かつてのNHKの報道に

難癖をつけた、あの中立論だ。

教育勅語には、

普遍的な徳目が掲げてあり、

道徳として掘り起こせるという主張と

被っている。

こちらも時間の経過を無視している。

もし、

教育勅語が復活したら、

天皇から

教育が下賜されるときと、

下賜された徳目の実践のときの葛藤の

同時性のため、

道徳から普遍性が奪われてしまうだろう。

ニュースに

「中立性」の旗印の下、政府の介入がなされたため、

報道から、雑多なものを取り除き、

国民が理解しやすいように整理する普遍的な機能が失なわれたのと

軌を一にするのではないか。

エレベーターで、

上昇と下降ボタンを同時に押すのと

同じなのだ。

動きがなくなってしまう。

すなわち、思考停止状態に陥るわけだ。

その分、洗脳されやすくなる

(拙稿「北朝鮮の脅威を煽っておきながら、安倍晋三は花見の会に打ち興じている。参加者多数。森友報道激減に、言うことなしか」参照)。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/9466032d22dd4caa783d65965b0980e3

教育勅語が恐ろしいのは、

まさにこの点だ。

洗脳されやすい状態にありながら、

次のような欠陥のある

教育勅語って、半端でなく暴力的だ!





2018年10月4日未明 記


<追記ー4>





柴山文科大臣が、教育勅語の参考になる部分として上げた

「国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容」という記述に接し、

(ほんとか?)

と思い、教育勅語を読み返した。

該当箇所、

見つからんかったが、

見落としているのかと思っていた。

しかし、そうではないんだな。

では、柴山氏は、

事実でない、そのような報告、なぜしたのか。

単に多くの人に

教育勅語に目を通してもらいたくて、

嘘混じりでも気を惹きたかったということなのか――。

教育勅語には

「国際的協調を重んじる」ような価値観ではない。

親に孝など、

平俗な価値観を天皇の名において

権威付け、

天皇のマウンティング(示威的)宣言が記されてあるのが

教育勅語だ。

すなわち、天皇は、

こう宣言する。

日本という国は、私の先祖が作った。

その大前提を学べ。

そして天皇の名において親に孝行して兄弟仲良くしろ。

人生万端、すべからく天皇の名においてなせ。

もし、戦争が起こったりしたら、永遠に続く天皇家を護るために戦え。

それが忠実な臣下であるための証だ――。

といった調子で

「国際的協調」なんて、

はっきり言ってどこにもないよ。

文科大臣なるような人がそんなでたらめしゃべるか

と思う人もいるだろう。

以下に

教育勅語の原文と共に、

その高橋源一郎さんの現代語訳を転載しておく。


<原文>

朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽



<現代語訳>


①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」


②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです]

⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

以上、サイト「BUZZFEED」記事「教育勅語を現代語訳してみた結果…… 小説家・高橋源一郎さんのTwitterが話題に」参照。

☆ 記事URL:https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni20

2018年10月4日昼 記

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1 コメント

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Unknown (読者の一人)
2018-10-03 23:09:29
1948年に衆議院によって決議された『教育勅語等排除に関する決議』は言っている。
『根本的理念が「主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。』

教育勅語は国家神道を土台にしたものである。
明治の権力者には普遍性があった。
天皇が国家を作り、国家をどんな時代も維持してき
たとは言えない。
道徳教育は教育現場がすることである。
文科省の介入は認められない。

多くの日本市民は嘘つき総理では駄目だと考えている。
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