表題の
「無責任でかつ無能、かつ厚顔無恥」は、
岩上安身@iwakamiyasumi さんのツイート〔20:40 - 2015年6月20日 〕にあった
安倍某への評価です。
すなわち、
下のサラミス宮中 @seennno さんの言葉、
――「憲法違反決めるのは学者じゃない」なら何で憲法学者を呼んだのか?自民党が呼んだ長谷部教授が、安倍自民党の戦争法案を憲法違反とした。それを「無責任」と言う安倍総理。ならば安倍総理・自民党は憲法学者を呼んだ時点で無責任。――
を受けたものでした。
「無責任」を詰られても、
返す言葉を持ち合わさないから、
「無能」。
国会では俯いてりゃいいものを
野次を飛ばし
へらへら笑っているから、
「厚顔無恥」と非難されるわけです。
最近、
その首相の応援団を任じているのが
NHKです。
違憲主張する学者が相手では会見の場を設定しなかったくせに、
「憲法違反決めるのは学者じゃない」
という議論はすっ飛ばして、
安倍政権の尻拭いをするかのように、
安保法制が
合憲であるとする憲法学者を紹介してました。
違憲主張の学者は、
合憲の学者の場合と異なって
100%無視され会見の場さえ与えられないという意味で、
武器対等ではないのに、
あたかも公平ぶって報道するNHKには
鼻持ちならないものを感じます。
典拠:れもんた@montagekijyo さんのツイート〔19:36 - 2015年6月19日 〕
前3者の画像の背景を見ると、
外国特派員協会による会見を思わせます。
しかし、一見、そう見えるだけで、
違います。
違憲主張した学者たちは、
表舞台での
会見の場はなくて、
庶民は辛うじて「外国特派員協会」との
会見設定を通して、
ようやく「違憲を主張する根拠」を知るに至りました。
これに反して、
合憲主張を主張する菅官房長官推奨の
憲法学者たちの考えは、
聴衆は御馴染み、
権力に媚びる記者クラブの面々との会見を通して確認し得ました。
正直に感想を言わしてもらうと、
天下御免の、
これら学者たちが
「日本は、主権国家だ。他の国が持っているモノ、日本だって持っているんだ~」
と喚き散らしている姿って、
異様でした。
子どもが玩具を欲しがるように
“戦争する権利”を求めるのは間違っています。
そんなわけで、
会見ごっこはこれで御終いです。
もう顔を出さなくていいよ、百地さんたち。
サイト「BLOGOS]に
「この世界は、東大法学部を頂点とする護憲派のヒエラルキーが絶対的で、改憲派を名乗ることはある意味タブーです。私は清水の舞台を飛び降りる心境で学者となり、恩師にも胸の内を明かせませんでした。ひとたび改憲論者とレッテルが貼られれば、学会発表や専門雑誌での論文発表などからお呼びがかからなくなるのです」
という話が紹介されてありました。
☆ 記事URL:http://blogos.com/article/117475/
「恩師にも胸の内を明かせませんでした」
というしおらしさ、
もし、あるんなら今見せて欲しい。
今、百地さんたちが見せてくれているのは、
無責任にして無能、
かつ厚顔無恥な表情だけですよ。
たとえば、
上掲サイトに紹介されている
「集団的自衛権は国際法上認められた固有の権利であり、日本も当然保有しています。憲法がその行使を禁止していない以上、行使しうることは明らかです」
という考え方、
根本のところから変です。
国連憲章を引き合いに出さねばならない権利の
どこが「固有」なんですか?
また、「憲法がその行使を禁止していない以上、行使しうる」という命題は、
法治主義を肯定しながら、認められますか。
「禁止していない」とは、
規定がないということと同じなわけでしょ。
したがって、
「禁止していない」ことをもって
許容されたと考えるのは、
論理矛盾です。
行政権の権能・権限は、法律に規定があってこそ、
それら権能の行使に根拠があることになるはずだからです。
もし、規定がなく、根拠がないなら、
法治主義の下で、そのような権能・権限は、
許容されようがないです。
「無責任でかつ無能、かつ厚顔無恥」は、
岩上安身@iwakamiyasumi さんのツイート〔20:40 - 2015年6月20日 〕にあった
安倍某への評価です。
すなわち、
下のサラミス宮中 @seennno さんの言葉、
――「憲法違反決めるのは学者じゃない」なら何で憲法学者を呼んだのか?自民党が呼んだ長谷部教授が、安倍自民党の戦争法案を憲法違反とした。それを「無責任」と言う安倍総理。ならば安倍総理・自民党は憲法学者を呼んだ時点で無責任。――
を受けたものでした。
「無責任」を詰られても、
返す言葉を持ち合わさないから、
「無能」。
国会では俯いてりゃいいものを
野次を飛ばし
へらへら笑っているから、
「厚顔無恥」と非難されるわけです。
最近、
その首相の応援団を任じているのが
NHKです。
違憲主張する学者が相手では会見の場を設定しなかったくせに、
「憲法違反決めるのは学者じゃない」
という議論はすっ飛ばして、
安倍政権の尻拭いをするかのように、
安保法制が
合憲であるとする憲法学者を紹介してました。
違憲主張の学者は、
合憲の学者の場合と異なって
100%無視され会見の場さえ与えられないという意味で、
武器対等ではないのに、
あたかも公平ぶって報道するNHKには
鼻持ちならないものを感じます。
典拠:れもんた@montagekijyo さんのツイート〔19:36 - 2015年6月19日 〕
前3者の画像の背景を見ると、
外国特派員協会による会見を思わせます。
しかし、一見、そう見えるだけで、
違います。
違憲主張した学者たちは、
表舞台での
会見の場はなくて、
庶民は辛うじて「外国特派員協会」との
会見設定を通して、
ようやく「違憲を主張する根拠」を知るに至りました。
これに反して、
合憲主張を主張する菅官房長官推奨の
憲法学者たちの考えは、
聴衆は御馴染み、
権力に媚びる記者クラブの面々との会見を通して確認し得ました。
正直に感想を言わしてもらうと、
天下御免の、
これら学者たちが
「日本は、主権国家だ。他の国が持っているモノ、日本だって持っているんだ~」
と喚き散らしている姿って、
異様でした。
子どもが玩具を欲しがるように
“戦争する権利”を求めるのは間違っています。
そんなわけで、
会見ごっこはこれで御終いです。
もう顔を出さなくていいよ、百地さんたち。
サイト「BLOGOS]に
「この世界は、東大法学部を頂点とする護憲派のヒエラルキーが絶対的で、改憲派を名乗ることはある意味タブーです。私は清水の舞台を飛び降りる心境で学者となり、恩師にも胸の内を明かせませんでした。ひとたび改憲論者とレッテルが貼られれば、学会発表や専門雑誌での論文発表などからお呼びがかからなくなるのです」
という話が紹介されてありました。
☆ 記事URL:http://blogos.com/article/117475/
「恩師にも胸の内を明かせませんでした」
というしおらしさ、
もし、あるんなら今見せて欲しい。
今、百地さんたちが見せてくれているのは、
無責任にして無能、
かつ厚顔無恥な表情だけですよ。
たとえば、
上掲サイトに紹介されている
「集団的自衛権は国際法上認められた固有の権利であり、日本も当然保有しています。憲法がその行使を禁止していない以上、行使しうることは明らかです」
という考え方、
根本のところから変です。
国連憲章を引き合いに出さねばならない権利の
どこが「固有」なんですか?
また、「憲法がその行使を禁止していない以上、行使しうる」という命題は、
法治主義を肯定しながら、認められますか。
「禁止していない」とは、
規定がないということと同じなわけでしょ。
したがって、
「禁止していない」ことをもって
許容されたと考えるのは、
論理矛盾です。
行政権の権能・権限は、法律に規定があってこそ、
それら権能の行使に根拠があることになるはずだからです。
もし、規定がなく、根拠がないなら、
法治主義の下で、そのような権能・権限は、
許容されようがないです。
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