きむらゆい@yuiyuiyui11 さんのツイートです。
――吉田所長を美化したい人たちも同じ。@yuantianlaoshi: 「英霊のおかげで今の日本がある」といいながら、生き残った旧日本兵がこの水木しげるのように「戦争は嫌だ」とか「謝罪すべき」と言った時に、「黙ってろじじい」と一斉に叩く連中がいる。死んだ兵士はいくらでも美化できるけど〔13:20 - 2014年8月25日 〕――
番組で証言していた16歳の兵士になった
猪熊得郎さんという方も
バッシングの対象になったりしたのでしょうかね…
特集は、
6:30頃から始まります。
(なお、猪熊さんの情報は、サイト「 八十代万歳! (旧 七十代万歳) 」でも得られます。*http://hisakobaab.exblog.jp/i15)
(1)志願は、
父親が必死に止めたようです。
それを振り切っての
入隊でした。(7:50~)
証言をした猪熊さんが
入隊した1944年は、
神風特攻隊が初めて出撃した年で、
サイパン島で玉砕したという
戦況が過酷を極めたときでした。
猪熊さんの調べでは、
戦没者は1930年から42万にに上って
その内、30万人は、
終戦間近の1944年以降に
集中しているとのことです。
(2)猪熊さんは、1945年4月に満州に配属。
そこで、日本が唱導していた5族協和・王道楽土の実態を
日本兵の姿を通して見ることになります。(12:24~)
すなわち、略奪や強盗、強姦三昧だったことに
ことに大きな衝撃を受けられたようです。
(3)最初の外出のとき、
‟特別1番(避妊具)”の所持を求められたようです。
抵抗すると、
「女を買えん奴に敵が殺せるか」
と詰られたとのことです(14:30~)
日本の軍隊のあるところ、
慰安所があり、
民主主義も自由もありません。
ただ、無批判に無感動に敵を殺せる兵隊を作る
ことを目指していました。
常識があったら、
立派な兵隊になれない。
そういう中でリンチがあり、
自由もなく、
それの憂さ晴らしを、
兵士たちは慰安所に求めました。
それによって、
戦闘精神を燃え立たせていたのが
日本軍人の真実の姿だった、
ということです。
(4)猪熊さんは、
飛行場で、他の少年兵と知り合います。(17:25~)
そこで、「赤とんぼ」という訓練機で
待ち伏せして、
敵機に体当りする話を聞きます。
(5)8月、終戦。
そのとき、まっさきに逃げたのは将校だったという
なまなましい証言があります。(20:00~)
逃げた将校たちは、
「殺せ」「殺せ」などと末端の兵士を煽りながら、
自分たちは‟有意の人材”として、
何のためらいもなく日本に逃げ帰ったようです。
(6)シベリア抑留生活。(22:30~)
戦友が亡くなると、
衣服を剥いでパンに変えたと言います。
極限下で
戦友が下痢をするのさえ喜んだと言います。
壮絶な生活のなかで
人間性の喪失を感じました。
なぜ、こんな目にあったのか――。
ポツダム宣言を
受け入れた出来事ですので、
避けられた悲劇であったのに
軍部が
国体護持にこだわった状況判断の
過信、盲信の
責任は大きいと思います。
指導部の
「ソ連は責めてこない」
という判断ミスのために
たくさんな日本人が犠牲になりました。
(7)昭和22年11月、ナホトカの港から帰国。(32:20~)
錯綜するさまざまの気持ちの
整理をつけます。
(8)今に、思う。(35:30~)
‟加害行為に加担した(させられた)”被害者の立場を
自覚すべき。
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