のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

140815 報道するラジオ 「16歳の兵士~戦争に奪われた青春~」

2014年08月25日 15時42分35秒 | 天皇制と戦争




きむらゆい@yuiyuiyui11 さんのツイートです。

――吉田所長を美化したい人たちも同じ。@yuantianlaoshi: 「英霊のおかげで今の日本がある」といいながら、生き残った旧日本兵がこの水木しげるのように「戦争は嫌だ」とか「謝罪すべき」と言った時に、「黙ってろじじい」と一斉に叩く連中がいる。死んだ兵士はいくらでも美化できるけど〔13:20 - 2014年8月25日 〕――

番組で証言していた16歳の兵士になった

猪熊得郎さんという方も

バッシングの対象になったりしたのでしょうかね…

特集は、

6:30頃から始まります。

(なお、猪熊さんの情報は、サイト「 八十代万歳! (旧 七十代万歳) 」でも得られます。*http://hisakobaab.exblog.jp/i15


(1)志願は、

父親が必死に止めたようです。

それを振り切っての

入隊でした。(7:50~)

証言をした猪熊さんが

入隊した1944年は、

神風特攻隊が初めて出撃した年で、

サイパン島で玉砕したという

戦況が過酷を極めたときでした。

猪熊さんの調べでは、

戦没者は1930年から42万にに上って

その内、30万人は、

終戦間近の1944年以降に

集中しているとのことです。


(2)猪熊さんは、1945年4月に満州に配属。

そこで、日本が唱導していた5族協和・王道楽土の実態を

日本兵の姿を通して見ることになります。(12:24~)

すなわち、略奪や強盗、強姦三昧だったことに

ことに大きな衝撃を受けられたようです。


(3)最初の外出のとき、

‟特別1番(避妊具)”の所持を求められたようです。

抵抗すると、

「女を買えん奴に敵が殺せるか」

と詰られたとのことです(14:30~)

日本の軍隊のあるところ、

慰安所があり、

民主主義も自由もありません。

ただ、無批判に無感動に敵を殺せる兵隊を作る

ことを目指していました。

常識があったら、

立派な兵隊になれない。

そういう中でリンチがあり、

自由もなく、

それの憂さ晴らしを、

兵士たちは慰安所に求めました。

それによって、

戦闘精神を燃え立たせていたのが

日本軍人の真実の姿だった、

ということです。


(4)猪熊さんは、

飛行場で、他の少年兵と知り合います。(17:25~)

そこで、「赤とんぼ」という訓練機で

待ち伏せして、

敵機に体当りする話を聞きます。


(5)8月、終戦。

そのとき、まっさきに逃げたのは将校だったという

なまなましい証言があります。(20:00~)

逃げた将校たちは、

「殺せ」「殺せ」などと末端の兵士を煽りながら、

自分たちは‟有意の人材”として、

何のためらいもなく日本に逃げ帰ったようです。


(6)シベリア抑留生活。(22:30~)

戦友が亡くなると、

衣服を剥いでパンに変えたと言います。

極限下で

戦友が下痢をするのさえ喜んだと言います。

壮絶な生活のなかで

人間性の喪失を感じました。

なぜ、こんな目にあったのか――。

ポツダム宣言を

受け入れた出来事ですので、

避けられた悲劇であったのに

軍部が

国体護持にこだわった状況判断の

過信、盲信の

責任は大きいと思います。

指導部の

「ソ連は責めてこない」

という判断ミスのために

たくさんな日本人が犠牲になりました。



(7)昭和22年11月、ナホトカの港から帰国。(32:20~)

錯綜するさまざまの気持ちの

整理をつけます。



(8)今に、思う。(35:30~)

‟加害行為に加担した(させられた)”被害者の立場を

自覚すべき。


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