住友陽文@akisumitomoさんが
――アパホテルの本について「経営の自由」や「言論の自由」によって擁護する人は、「アウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキは陰謀によって捏造されたものだ」と言うのを、同じように言論の自由として擁護するのか。〔12:11 - 2017年1月22日 〕—―
という問いを立てる。
この問いは、
ネトウヨに向けられたものだろう。
思うに、
答はYESだな。
しかし、正直には答えないに違いない。
おるぐり@烏取ポケモン赤チーム募集中@allgreen76bさんは、
きちんと答えてくれているから、
ネトウヨではないんだろう(※)。
こう答える。
――法に触れず、人の営みを害するでもない程度の妄言であるなら言論の自由によって擁護すると共に言論によって打ち破れば良い。おい、頼むぞ学者。その程度の認識で教鞭をとってるのか〔12:15 - 2017年1月22日 〕—―と。
上掲、問いに対する答え
ということから、
次のことは前提されていると考えてよい。
(1)「アウシュヴィッツは陰謀によって捏造されたものだ」という主張は、
言論の自由として許される。
(2)ヒロシマ・ナガサキの否定も、同様の見地から許される。
(3)ⅰ)法に触れない、ⅱ)人の営みを害するでもない妄言は、言論の自由として保護される。
(4)(3)に該当する妄言は、言論によって打ち破れば良いのであるから、上掲の取り扱いでも不都合はない。
住友陽文さんは、
次のように反論される。
――法に触れるかどうかの話をしているわけでもなく、自由な言論とは何かを話しているのに、この人は何を勘違いしているのでしょうか。デマを言論の自由だということで看過する学者がいるのでしょうか。そのように言論で訴えているのに、「その程度の認識」と侮蔑する神経を疑いますね。〔12:30 - 2017年1月22日 〕—―
要するに、
「妄言」と断言できる限りで
言論の自由の問題から外れるということですな。
つけ加えて、
――デタラメや虚偽を言う自由があると叫ぶのに、それはデタラメで虚偽だと指摘し抗議する自由については「言論弾圧」と言って、抗議を認めない側を擁護する人がいるのは不思議だ。つまり最初から陣営が決まっているからなのだ。〔12:41 - 2017年1月22日 〕—―
皆さんは、
どう考えられます。
冗談の類も「妄言」の一種と考えられるので、
住友さんの
規準に従うと
とても人間関係が殺伐として堅苦しくなるでしょう。
ですから、
ここは、(3)に掲げる二つの条件ⅰ)、または、ⅱ)を満たさない
ということを上げて
言論の自由で保護すべき言論の域を超えた
という指摘をして
批判すればいいでしょうか。
ただ、
(4)の言い分は理不尽です。
なぜなら、「打ち破れば良い」という判定が
ネトウヨに関して言うと
通じない相手だからだ。
すなわち、
ネトウヨというのは、
精神的に鎖国をしてしまっている人と思う。
そもそも、
このような論争が成り立つ相手なら
根拠がないと分かっていて、
(1)や(2)の主張をしないことが明らかだからだ。
で、結局、
話せば通じる相手と思って
意見を求める限り、
なぜ、「言論弾圧」と言って、抗議を認めない側を擁護するのだろう、
「不思議だ」「不思議だ」と
ため息ついてなきゃしようがないってわけだな。
だからここは、
場合分けをして対処すべきと思う。
つまり、
昔から、
泣く子と地頭には勝てぬ
という諺があるだろ。
ネトウヨって、
よく考えて、泣く子と言うか、
地頭だ。
それに該当するか否かで対処法を変えるべきと思う。
この人は、
追い詰められると、
「分からん」を
連発する人だ、ネトウヨだなと思ったら、
論争を打ち切ったらいいだろう。
時間の無駄だからだ。
(※)この記事を書き上げた段階では、
住友さん同様に、
おるぐり@烏取ポケモン赤チーム募集中さんをネトウヨと決めつけたが、
よくよく考えて
論理破綻されていないので、
訂正する。
2017年1月23日朝 記
――アパホテルの本について「経営の自由」や「言論の自由」によって擁護する人は、「アウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキは陰謀によって捏造されたものだ」と言うのを、同じように言論の自由として擁護するのか。〔12:11 - 2017年1月22日 〕—―
という問いを立てる。
この問いは、
ネトウヨに向けられたものだろう。
思うに、
答はYESだな。
しかし、正直には答えないに違いない。
おるぐり@烏取ポケモン赤チーム募集中@allgreen76bさんは、
きちんと答えてくれているから、
ネトウヨではないんだろう(※)。
こう答える。
――法に触れず、人の営みを害するでもない程度の妄言であるなら言論の自由によって擁護すると共に言論によって打ち破れば良い。おい、頼むぞ学者。その程度の認識で教鞭をとってるのか〔12:15 - 2017年1月22日 〕—―と。
上掲、問いに対する答え
ということから、
次のことは前提されていると考えてよい。
(1)「アウシュヴィッツは陰謀によって捏造されたものだ」という主張は、
言論の自由として許される。
(2)ヒロシマ・ナガサキの否定も、同様の見地から許される。
(3)ⅰ)法に触れない、ⅱ)人の営みを害するでもない妄言は、言論の自由として保護される。
(4)(3)に該当する妄言は、言論によって打ち破れば良いのであるから、上掲の取り扱いでも不都合はない。
住友陽文さんは、
次のように反論される。
――法に触れるかどうかの話をしているわけでもなく、自由な言論とは何かを話しているのに、この人は何を勘違いしているのでしょうか。デマを言論の自由だということで看過する学者がいるのでしょうか。そのように言論で訴えているのに、「その程度の認識」と侮蔑する神経を疑いますね。〔12:30 - 2017年1月22日 〕—―
要するに、
「妄言」と断言できる限りで
言論の自由の問題から外れるということですな。
つけ加えて、
――デタラメや虚偽を言う自由があると叫ぶのに、それはデタラメで虚偽だと指摘し抗議する自由については「言論弾圧」と言って、抗議を認めない側を擁護する人がいるのは不思議だ。つまり最初から陣営が決まっているからなのだ。〔12:41 - 2017年1月22日 〕—―
皆さんは、
どう考えられます。
冗談の類も「妄言」の一種と考えられるので、
住友さんの
規準に従うと
とても人間関係が殺伐として堅苦しくなるでしょう。
ですから、
ここは、(3)に掲げる二つの条件ⅰ)、または、ⅱ)を満たさない
ということを上げて
言論の自由で保護すべき言論の域を超えた
という指摘をして
批判すればいいでしょうか。
ただ、
(4)の言い分は理不尽です。
なぜなら、「打ち破れば良い」という判定が
ネトウヨに関して言うと
通じない相手だからだ。
すなわち、
ネトウヨというのは、
精神的に鎖国をしてしまっている人と思う。
そもそも、
このような論争が成り立つ相手なら
根拠がないと分かっていて、
(1)や(2)の主張をしないことが明らかだからだ。
で、結局、
話せば通じる相手と思って
意見を求める限り、
なぜ、「言論弾圧」と言って、抗議を認めない側を擁護するのだろう、
「不思議だ」「不思議だ」と
ため息ついてなきゃしようがないってわけだな。
だからここは、
場合分けをして対処すべきと思う。
つまり、
昔から、
泣く子と地頭には勝てぬ
という諺があるだろ。
ネトウヨって、
よく考えて、泣く子と言うか、
地頭だ。
それに該当するか否かで対処法を変えるべきと思う。
この人は、
追い詰められると、
「分からん」を
連発する人だ、ネトウヨだなと思ったら、
論争を打ち切ったらいいだろう。
時間の無駄だからだ。
(※)この記事を書き上げた段階では、
住友さん同様に、
おるぐり@烏取ポケモン赤チーム募集中さんをネトウヨと決めつけたが、
よくよく考えて
論理破綻されていないので、
訂正する。
2017年1月23日朝 記