のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「レイシズム可視化プロジェクト」によって照らし出されたこと

2015年10月30日 22時00分33秒 | 安倍某とそのお友達
「レイシズム可視化プロジェクト」に絡む発言について

想田和弘さんが

こんな印象を述べておられます。

――「日本人であること」をいたずらに誇りたがる人々の中に、日本語の使い方が粗雑でおかしい人が多いのは、なかなか興味深い現象だと思う。〔1:28 - 2015年10月30日 〕――

レイシスト達の

言葉遣いは、

橋下徹氏に似ているんじゃないですかな。

「俺は、乱暴なんだぜ」

ということを言いたいかのようです。

しかも

彼らのレッテルの貼り方は、

ワンパターンです。

要するに、

「朝鮮人め」

と罵るわけですな。

中身が薄いので、

体をそっくり返す必要があり、

そのために、

侮辱しているように見えます。

さて、これから、

そういう人たちの

言い掛かりに関連した難癖や疑問を列挙、分析します。

現時点では、

(1)~(5)の

五項目を認めました。

宮前ゆかり
‏@MiyamaeYukari さんが言うように、

――やたら人の事を在日ナントカと主張する人たちは、まず自分のDNAで自分の血の由来を突き止めたほうがいい。DNAの渦、日本列島に「純粋」なニホンジンはいない。皆どこからか来て、どこかへと旅してるんだから。
http://www.dnaancestryproject.com/features/dna-haplogroups/ …
@KazuhiroSoda〔1:46 - 2015年10月30日 〕――

排他的になる前に、

己の血の「純粋性」を疑った方が

生産的です。

ただ、その前に、

「血」でなく、

「知性」の歪みにも

注意して欲しいなと思って、

想田さんの

ツイートを読みながら、

論点を整理すべく、

思考の淀みと感じたものを

ピックアップさせてもらいました。

(1)日本人に限らず、何処の国籍、何処の民族にも誇りは誰にでもあるのではないですか?
想田さんはその誇りはないのですか?〔1:39 - 2015年10月30日 〕


これは、

凛乃りのʚ◡̈⃝ɞ @rinon_nn さんが

想田さんの

「「日本人であること」をいたずらに誇りたがる人々の中に、日本語の使い方が粗雑でおかしい人が多い」

という指摘に反応されたものです。

想田さんは、

――想田和弘さんがリツイートしました 凛乃りのʚ◡̈⃝ɞ
日本は僕の祖国だし大事に思っていますよ。だからこそ政府や社会に苦言も呈するし。でも、誇りっていうと語弊がある。日本に生まれたのは偶然であり、別に誇ることでもなんでもないでしょう。ましてや他民族を貶めてまで誇りたいとは思わない。 〔1:56 - 2015年10月30日 〕――

と説明なさっています。

これに対し、

――そうですね。強制されてるべきものではないですね。誇りの概念は人それぞれの中に自然に湧いてくる泉のようなものだと私は思ってます。
それと、他民族は嵌めてるのは想田さんの中では日本人だけだと思われますか?違いますよね。それは想田さんもご存知でしょ。〔2:21 - 2015年10月30日 〕――

と反論。

文中「他民族は嵌めてるのは」の意味が了解しにくいです。

多分、想田さんのついーとにある

「他民族を貶めて」とある

「貶めて」の読みが分らず、適当に言葉を打ち込んだからでしょう。

この字は、

「おとしめる」と読みます。

そう書いてあるものとして相田氏の

コメントを読んで見ます。

――もちろん日本人だけが他民族をおとしめているわけではない。当たり前でしょう。〔2:31 - 2015年10月30日〕――

「おとしめている」の

漢字表記が読めないんだと指摘せず、

何気に

平仮名で書いて、

自分の気持ちを説明しておられます。

ちょっと脇道に逸れますが、

おーさん‏@osandesuyo さんという方が

――@KazuhiroSoda 確かに、他国を貶めてしか自国を誇れない人たちは愚かだと思います。しかし、自分がこの国に生まれたのは偶然…本当にそうなんでしょうか。遥か遠い過去から連綿と命が受け継がれた果てに今の自分という存在があることを理解できない人もまた不幸だと自分は思います。〔2:50 - 2015年10月30日 〕――

と問いかけられました。

相田さんは、

――「遥か遠い過去から連綿と命が受け継がれた果てに今の自分という存在がある」とは僕も思いますよ。それを偶然と考えるのか、必然と考えるのか、哲学的に考えれば大きな問題です。 〔3:19 - 2015年10月30日 〕――

僕などは、

「遥か遠い過去から連綿と命が受け継がれた果てに今の自分という存在がある」

という真実性を前提にそれを辿る

無意味を感じます。

「理解できない」ことを「理解した」と錯覚する

愚かさに

むしろ、腹立たしいものを感じます。

さて、話戻って凛乃りのさんは、

こう質問を続けます。

――ですよね。日本人が率先して嵌めてると思われますか?10年前に遡ると一般的な日本人はどちらかと言えばに中韓には友好でしたよ。それは想田さんもご存知かと思います。何故このようなことになってるのか?日本人が嵌められるのに気付いたからですよね。〔2:41 - 2015年10月30日 〕――

せっかく「おとしめて」と

平仮名表記してもらっているのに

好意が通じてません。

「嵌められる」では意味が通じないだろうが

と突っ込みを入れつつ、内容を検討。

一言で言うと、これは、責任のなすりつけです。

相田さんの返答は、

次の通りです。

――つまり中国や韓国の人たちが先におとしめてきたから、こちらも相手をおとしめるというわけでしょうか?だとしたら、なんだか幼稚な発想ですよね。 〔3:26 - 2015年10月30日 〕――

優しい人ですな。

僕だったら、

「それは、責任のなすりつけだ。恥を知れ、愚か者めが」

でお仕舞ですよ。

この「愚か者めが」と叱りつけてやりたい気持ちに

鬼頭暁史 中学校社会の教室から @a_lasting_peace さんが

いい言葉で説明して下さっているので

紹介します。

――鬼頭暁史 中学校社会の教室からさんがリツイートしました 想田和弘
想田和弘監督の「レイシズム可視化プロジェクト」を見て、差別という行為の「貧しさ」を改めて感じる。思考も語彙も反応も定型化され、「かけがえのない私」を自ら捨てる。他者の人権を否定することが、自らを「からっぽ」にすると気づいていない。 〔3:36 - 2015年10月30日 〕――

懲りな人と言うか、

凛乃りのさんが

こんな反論をされていまさす。

――”レイシズム可視化プロジェクト,,もまた、やられたらやり返す的な発想のもと想田さんご自身が幼稚だと仰ったことを自らやってのけてませんか?
矛盾ですねhttps://twitter.com/kazuhirosoda/status/659812710582890496 …〔5:08 - 2015年10月30日 〕――

責任転嫁ができない相手だと分かると、

捨て台詞…

なんともはや、醜い心がフルスペック状態です。

もう感心するしかないですね。

相田さんも、

さすがに

「興味深いものがあります」と

感情を吐露されています。

――ほう。レイシズムを可視化する行為はレイシストに対する報復だとあなたは感じるわけですね。それが何を意味するのか、考えるとなかなか興味深いものがあります。 〔5:32 - 2015年10月30日
――

止めときゃいいのに

凛乃さん、

また、一言言います。

――そうですね。想田さんが可視化
し晒すことにより、それを見て想田さんを支持する方々が無駄に絡んで攻撃してくるのが現状ですね。1人の意見に対して想田氏支持者が多数で押し寄せる、これはある意味、可視化的報復ではないでしょうか?https://twitter.com/kazuhirosoda/status/659830184107859968 …〔5:56 - 2015年10月30日 〕――

一対多で

言論封殺しようとしているのは誰か、

「レイシズム可視化プロジェクト」が開示している

ツイートの多さが

雄弁に物語っています。

一体、凛乃さんの目はどこについているのでしょう。

こういう人は

放っておけばいいと思うのですが、

最後の情と言うべきか、

相田さんが

次のような提案をされています。

――いま教えていただいたばかりのブログ記事があなたにぴったりだとおもいましたので、読むことをお勧めします。ただし、見出しだけでなく、最後の最後まで読んでくださいよ。→レイシズム許容論 http://karasmoker.exblog.jp/21020172/ 〔6:02 - 2015年10月30日 〕――

リンクされている記事は、

次のような内容です。

非常に優れた論稿と思います。

一人でも

たくさんな人に読んで頂きたく、

以下、転載します。

「レイシズム許容論」

   サイト「なにさま映画評 →→→→→ 休止中」(2014-08-19 18:44)

☆ 記事URL:http://karasmoker.exblog.jp/21020172/

インターネット上で差別的な発言を繰り返され、名誉を傷つけられたなどとして、在日朝鮮人の女性フリーライター・李信恵リシネさん(43)(大阪府東大阪市)が18日、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などに総額約2700万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴した。

 李さん側の弁護士によると、在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)を巡り、個人が賠償請求する訴訟は異例という。

(『読売新聞』記事より抜粋)

 レイシズム、ヘイトスピーチにまつわる愚見はツイッターでもことあるごとに申し述べてきたのでありますが、今一度ここで整理しておきたいなあと考え、お話しをする次第なのでございます。

 といって、昨今の事情、情勢、あるいは近隣諸国との歴史的経緯などを総ざらえするのはさすがに手に余るのでありまして、話の力点としたい部分だけを述べるのであります。

 一般的な考えを申すのであれば、レイシズムは許すべきではありません。相手の人種、民族という属性をもって、罵倒することを許してはなりません。

 などというと、いやいや、向こうの国は反日教育を施し、反日政策を是としているのであるから、こちらも黙ってはおれぬという議論が起こるのですが、それならばその反日政策を行う政府(つまりは韓国政府、北朝鮮政府、中国政府)だけを叩けばよいのです。民族的な話ではないはずです。

 などというと、いやいや、その政府を支持しているのは民族なのであるから、民族、国民自体がよろしくないのだという議論が起こるのですが、それはとても乱雑な捉え方でありまして、政府の意思はイコール民族、国民の意思ではあり得ません。安倍政権の考えが日本人全員の考えと同じでないのと同じことであります。反日教育にしてみても、その教育にすべての国民が同意しているわけではないはずでありまして、それは日本を見ても同じこと。日教組の教育を受けたからと皆が皆、日教組的思想を受け継ぐわけはないのでありまして、教育それ自体が国民の思想であるというのは、まったくもっておかしな見方なのであります。ゆえにして、反日政策や反日教育をもって、民族そのものへの憎悪を抱くのは、あまりにも蒙昧な考えであろうと思うのであります。

 などといっているうちに前置きがどんどんと長くなるため、この辺にしましょう。

 さて、ことほどさようにレイシズムとは許されるべきものではありません。

 しかし他方で、ぼくは思うのです。レイシズムを、許してやろうと。

 さあ、ここからが本題なのであります。


 皆様の感情を逆撫でそうなことをあえて述べますが、ぼくは、「レイシズムを、ひとつの立場として認める」という考えを持ちます。

などというと、当然反論のために、皆様の指先が動き始めるのでしょうが、まあお待ちくださいませ。要点はここからでございます。

 以前「ゴキブリ考」の記事でも述べたのですが、レイシズムはひとえに、「嫌いから始まる」ものなのです。嫌う理由を尋ねればあれこれと出てきますが、それはすべて後付けであって、根本には「単に嫌い」という感情が居座っている。朝鮮人が嫌いだ、中国人が嫌いだという方々はまずはそれをお認めになるのがよろしかろうと思います。「嫌い」が先にあって、その「嫌い」という感情を補強するために、さまざまに情報を集め、時には虚偽すらも感情の補強に用いる。自分の感情に反する情報は排し、ただ「嫌い」を正当化するために必要なものを摂取する。すべての根本に、「嫌い」がある。

 そして、それは致し方ないことだとぼくは思います。人間は理性の動物であると同時に感情の動物でありますから、感情から出発するのも仕方のないことなのです。「レイシズムを認める」といった理由はまずここにあります。「嫌いなものを嫌いだと言うな」。そのような命令は自由権にもとるものでございます。

 さて、しかしここでぼくは立ち止まります。

 そもそも「レイシズム」とはどういうものであるのか。一般的な認識としては、「特定の人種、民族を差別する思想」のようなものでありましょう。ですがぼくの場合は少し違う認識なのです。レイシズムの本質はそこにはない。レイシズムの本質とはすなわち、「人種差別、民族差別がこの世にあることを、積極的に認める思想」なのです。

 この違いをおわかりでしょうか。

 思うに、レイシズムとは「差別する思想」ではないのです。「差別し、差別されることを受け入れる思想」なのです。なぜだか世間では後半が抜け落ちる。ぼくにはそれが不可思議でならない。

「誰かを差別する」ということは、「誰かに差別されてもかまわない」という意思の表明なのです。考えてみれば当たり前のことです。「俺はおまえを差別するが、おまえは俺を差別するな」などというのは、あまりにも子供じみた発想で、取るに足らない。語る必要もない。それでは「思想」の名に値しない。レイシズムを語るときには、むしろこの「誰かに差別されてもかまわない」のほうをこそ考えるべきなのです。

 だからぼくは言うのです。レイシズムを許容しろと。

さあ、そろそろ牙を剥きましょう。わかりやすくするために、会話形式でお届けします。

「俺は朝鮮人を差別するぞ。思想の自由だ。表現の自由だ」

「OKです。自由は許容されるべきです。ですが、レイシズムとは『差別する立場』であると同時に、『差別される立場』でもあります。差別する自由を認める代わりに、差別されることもまた、受け入れてもらわねばなりません」

「そ、そんなのは嫌だ。俺は差別したいんだ。差別されるのは嫌だ」

「子供ですかあなたは。それではあまりにもあなたに有利すぎる。あなたの差別を許しますので、あなたの身にたとえどんな不当な差別が降りかかっても文句を言ってはいけません」

「ふ、ふん。別にいいや」

「つまりあなたは、『差別される自由』を最大限行使できるのであり、差別が許されない社会においては、あなただけが唯一、差別の対象として扱われます。たとえば街中で、突然殴る蹴るの暴行を受けても、文句を言ってはいけません。あなたはレイシストであり、つまりは『不当な差別構造の存在を、受け入れる人間』です。とんだ茨の道ですが、あなたは自ら、そうありたいと願ったわけですから」

「ふ、ふん、じゃあ逆に、俺が街中で朝鮮人を殴る蹴るしてもいいわけだな」

「駄目です」

「なぜだ。話が通らないじゃないか」

「朝鮮人はレイシストではありません。その構造を受け入れていません」

「ふふふ、あいつらは反日政策をして反日教育で、日本人を差別していて……」

「あなたは本当に馬鹿だ」

「なんだと畜生、工作員! 在日乙! 必死www、ええと、それから」

「あなたはどうしてそうも自分中心なのです。いいですか、私たちはあなたを差別することができます。しかし裏を返せば、あなたのことしか差別できません。あなたは差別を一手に引き受けると先ほど表明しましたが、その対象はあくまであなた一人のこと。なぜあなたが、朝鮮人全体を差別していいのですか。あまりにも釣り合いが取れません」

「わ、わからないぞ。あ、そうだ、反日はお帰りください!」

「私たちはあなた一人しか差別できない。そのくせあなたは朝鮮人全体を差別すると言っている。それではあまりにもあなたに有利すぎる。と、そう言っているのです。それに、朝鮮人一人一人がレイシストかどうか、全員に調査したのですか。したはずはない。あなたはそのぼんやりとした目で、集団として見ているだけだ。レイシストでない可能性のある人間を差別するのは、ルールに反します。レイシストではない人間は、『差別される自由』を行使できないからです」

「そ、そんなの、それじゃああまりにレイシストが不利じゃないか。損じゃないか」

「ええ、しかし安心してください。あなたの立場は守られるべきです。あなたは世界で唯一、不当に差別されることを受け入れた人間です。あなたが大事にしたい差別構造を、私たちは全力で守ります。あなたは公道を歩いてはいけないし、公共の施設を利用してはいけないし、人権侵害にも反論してはいけません。それはあなたの意にも沿うはずです。あなたはそうやって、差別構造の存在を、この世に保全することができるのです。なんと素敵なことでしょう」

「じゃ、じゃあ俺も誰かを不当に差別してもいいんだな。半島へ帰れ」

「ええ、しかしそれはレイシスト同士に留めるべきでしょう。レイシストではない人を差別すれば、理に反します。繰り返しになりますが、レイシストではない人は差別されることを受け入れませんから、『朝鮮人を殺せ』などと公衆の面前で言ってはいけません」

「自由はどこへいった」

「お忘れですか。あなたは不当な被差別を自ら負うと宣言したのですよ。あなたから自由がなくなっても、それに反論することはできない。あなたに自由があるかどうか、あなたは決める権利を持ちません。あなたが望んだことじゃないですか。しかしそれは些細なことですよ。大事なのは、あなたが今から、差別され放題だということ。さあ、レイシズムを満喫しましょう!」

 おわかりですね。

「レイシズムを認める」とぼくが言ったのはこういうことです。

彼らは「差別の構造を守ろう」と言っている。それはすなわち、「不当な差別を受け入れる」と言っているに等しいのです。

 なぜそんなことを言うのかぼくにはまるでわかりませんが、まあ世の中には生粋のマゾヒストというのもいらっしゃるわけです。彼らの主張を守りましょうじゃありませんか。差別が許されないこの世の中で、唯一自らの意思で、自らへの差別を受け入れてくれるという彼ら。彼らの主張を守るとは、彼らを叩きつぶすことでもあります。彼らを叩きつぶすことは、彼らの望みでもあるわけですから、結果的には守ってあげることになるでしょう。その意味においてのみ、ぼくは言うのです。レイシズムを、許容してやろうと。


(2)c_okuno @c_okuno9 さんのツイートです。

――@KazuhiroSoda 初ツイします。前から思ってたんですが、想田さんは暴言吐くようなネトウヨにちゃんと向き合ってますよね。かなりアホらしくて面倒くさいと思うんですが、その優しさはどこから出てるのでしょうか?あとそれで変化があったってことありますでしょうか?〔3:04 - 2015年10月30日 〕――

変化は、

問うべきではないでしょう。

相田さんの返答は、

次の通りです。

――優しさでやっているわけではありません。説得できるとも考えていません。どちらかというと、自分の考えを述べるためのきっかけであったり、好奇心であったり、可視化するためであったり、相手をする目的はそのときどきで変わります。 〔5:48 - 2015年10月30日 〕――


(3)Kojiro Fujioka @DaydreamKF さんのツイートです。

――@KazuhiroSoda 想田さん、前からご意見を伺いたかったのですが、もし血縁に差別的な人間がいたらどう対応されますか?差別は人類が持つ性質であるのは自明ですが、僕はそれから抜け出す事を常に意識してます。それが理解されなかったり、説得も無理だったら、潔く訣別が必要でしょうか。〔5:24 - 2015年10月30日 〕――

どこまで身近かに依るでしょうね。

共依存になっていることも考えられるでしょう。

関係の切れにくさの度合いと

精神衛生の悪さの相関関係で決するしかないように思います。

相田さんは、

次のように答えていらっしゃいました。

――どうでしょうね。ケースバイケースではないでしょうか。一概に当てはめるような方程式はないと思います。 〔5:49 - 2015年10月30日 〕――

(4)晴雨堂ミカエル @seiudomichael さんのツイートです。

――「ネトウヨ」といっても、発言を観る限り何が「右翼」で「左翼」なのかよく理解していない人が多い。本物の右翼なら論理矛盾をきたすのでまず言わない屁理屈も多い。ニセモノが多い。〔5:52 - 2015年10月30日 〕――

ネトウヨで括れる人は、右翼ではありません。

この方は、

その辺りの認識が甘いですな。

相田さんは、これに関し、

――ネトウヨという言葉はきちんと定義して使わないとミスリーディングな面がありますよね。僕の定義ではネトウヨと呼ばれる人々の核心は嫌韓・嫌中なので、最近はネトウヨという言葉を使わずに「嫌韓・嫌中の人」という表現を使うようにしています。〔5:54 - 2015年10月30日 〕 ――

という見方を提示されています。

賛成です。

nobito3510@nobito3510 さんの

――エンデ
デモーニッシュなものを可視化し、命名することは、私たちに、それと対峙し、それを凝視し、それによって、すでにその本来的な危険性を取り去る可能性を与えるのです。闇と不安を秘密にする文学は、本当には治癒的に作用できない、・・。〔6:05 - 2015年10月30日 〕 ――

というツイートは、

この見方に対する返信ではありませんが、

実に

相応しいタイミングです。

僕は、

相田さんの「ネトウヨという言葉」云々のツイートに向けて

発せられたものと受け取らせて頂きました。

「デモーニッシュなものを可視化し、命名することは、私たちに、それと対峙し、それを凝視し、それによって、すでにその本来的な危険性を取り去る可能性を与えるのです」

という把握の仕方、

納得です。

いつまでも記憶に留め置きたいと思いました。

でも、エンデって、何者?

――へええ、ミヒャエル・エンデがそんなこと言ったんですか。面白いですね。 〔6:09 - 2015年10月30日 〕――

という返信で、

とりあえず、ファースト・ネームが「ミヒャエル」であることは

了解出来ました。

(5)お婆ん@骨は真っ白 #左的感覚右的思考 さんのツイートです。

――@KazuhiroSoda 教えてください。私はこのレイシズム可視化プロジェクト(26)の発言の言葉使いには上から目線を感じますが、私が理解している範囲では内容にレイシズムはないと思います。私はこの発言の内容に同感します。この発言のどういうところがレイシズムになるのでしょうか?〔8:43 - 2015年10月30日 〕――。

ここで、

疑問を提起されている

可視化プロジェクト(26)のツイートというのは、

これです。

――想田くんとやら、世の中にはいろんな人がゐる。己の狹い世界觀で他人をカテゴライズするのはやめたらどうか。

君がやつてゐることは「可視化」ではない。「憎惡の幅」だ。〔6:47 - 2015年10月30日 〕――

ここでカテゴライズされているのは、

「他人」ではなく、

TL上を流れているツイートです。

ツイートを吐いている人は、

幾つものアカウント、

普通、千個は持っていると言われる匿名の人物であり、正体不明です。

対するに、

相田さんの場合は、

写真までアップしておられ、

逃げられる立場ではないのです。

すなわち、

「憎惡の幅」と言うけれど、

憎悪が帰属すべき、

あるいは、憎悪が増幅される

単位としての個人が特定されていないことを

まずもって素直に認めるべきです。

せいぜい生じる手間は、

副垢につく

「レイシスト」という

批難から目を逸らすために、

別の副垢を

用意する必要が生じるだけでしょ?

しかし、そんなことを言えば、

「なぜ、副垢と分るのか」

とすっ呆けるつもりでいるのでしょう。

問題の核心は、

仮面を被った人物がいい加減な道案内をしています。

それが迷惑なわけです。

Tamotsu Iwaki @TamotsuIwaki さんが

――想田さんが「可視化」してるレイシズム発言があまりにひどくて暗い気持ちになる。現在まさに交流の「現場」にいる僕らとしては、レイシズム発言やヘイト発言は本当に迷惑でしかない。〔2:53 - 2015年10月30日 〕――

と述べておられる通りです。

だから止めろと言っているわけです。

痴漢されそうになって、

「この人、痴漢です」と叫ぶ

自力救済行為と何も変わらないと思います。

「痴漢」か否かは、

事実認識の問題です。

決して、

範疇が話題になっているわけではないはずです。

「この人、痴漢です」

と叫べば、

確かに、女性への憎悪を増幅するに違いありません。

もし、痴漢行為の動機が

女性に対する憎しみからならば、

その指摘の通りです。

しかし、女性への憎悪を増幅させないため、

「泣き寝入り」を

要求するのは、

(1)で、

論争になったやり取りで、

最後にした

凛乃りの捨て台詞と同じです。

――想田さんが可視化
し晒すことにより、それを見て想田さんを支持する方々が無駄に絡んで攻撃してくるのが現状ですね。1人の意見に対して想田氏支持者が多数で押し寄せる、これはある意味、可視化的報復ではないでしょうか?〔5:56 - 2015年10月30日 〕――

という理屈でした。

つまり、報復が報復を生むから止めろ、ということですよね。

人殺しはするけど、

「人殺し」というレッテルは貼るな、

という考えは

自分に都合がよすぎます。

理解出来ない奴は、

「憎悪を増幅する」などと非難して、

痴漢のし放題!

誰が許すか、そんなものと思います。



一体、

生意気なのは誰なのでしょうか。

差別しながら、

「私たちは、差別と無縁です」

と宣言する方が生意気だという話です。

相田さんは、

次のように反論されていました。

――想田和弘さんがリツイートしました お婆ん@骨は真っ白 #左的感覚右的思考
あなたは、たとえばAさんが差別発言したことをBさんが世の中に公表した時に、Aさんの発言は不問にふしながら、Bさんを「憎悪を増幅する」と非難する人をどう思われますか。Aさんと同じ穴の狢だと思いませんか。 〔15:02 - 2015年10月30日 〕――

このAさんとBさん、

痴漢と

痴漢の被害に遭った女性を取り調べる警察官と

考えたら納得しやすいです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿