津田大介@tsuda さんのツイートだ。
――この世の中から差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかるインタビューになってる。 / 荻上チキによる曽根綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目
http://npx.me/mW7R/Biex #NewsPicks〔9:23 - 2015年2月19日 〕――
津田さんについては、
東大話法の
百貨店のような
池内恵氏の「中東・イスラーム学の風姿花伝」というサイトの
「『イスラーム国』は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している」の記事が
発信されるや
――イスラム国は日本の支援が非軍事的と知りつつジハードの対象にしたという池内さんの分析。一層理由が知りたくなる。 / 「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している - 中東・イス...
http://npx.me/ceX9/Biex #NewsPicks〔7:28 - 2015年2月3日 〕――
ツイートされていた。
そのとき、
(あ~、この人はジャーナリストとして『御用』なんだ)と
思い知らされた
(拙稿「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/aeef34b72ca1bce53ec7ae460bb9d2dd)。
その点、荻上チキ氏については、
『御用』ではないという心証があったので、
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
という同人のしたインタビューについての
評価に違和感を感じた。
それで、
何をもって津田氏が
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
と解したのか
「一層理由が知りたく」なったというわけだ。
予備知識として知っておくべきは、
次の2つの画像の違いだ。
まずは、これ。
典拠:空@ai_to_kansha さんのツイート〔10:17 - 2015年2月17日 〕にリンク付けられたサイト「木走日記」にある「産経新聞に掲載されたコラム」として紹介されてあるURL:http://pbs.twimg.com/media/B9hkP4DIAAAGKYa.jpg:large?.jpgpdf参照
次は、こちら。
違いがわかるかな。
後者には、
上の画像に無い文言が読めるのだ。
それは、
「その契約を守らせることは」
という主語だ。
この主語に重きを置かない読み方をするから
アパルトヘイト(黒人と白人の住み分けを推奨する政策)の
何が差別的なのかが見えないのだと思う。
上の津田氏のツイートに
リンク付けされた
荻上チキ氏の「さかなの目」という記事には
曽野綾子氏へのインタビューの内容が書き起こされている。
☆ 記事URL:http://p9.hatenablog.com/entry/2015/02/18/205213
荻上チキ氏のサイト
「荻上チキ Session 22」の
「2015年02月17日(火)「改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード)をポッドキャスティングで聴く」の
文字列をクリックすると、
音声が聞ける。
荻上氏も認める通り、
白戸圭一氏によるアパルトヘイト解説が鋭い。
極力、曽野氏の
インタビュー記事のみを読むのでなく、
そちらにも関心を向けて欲しい
(主には音声ビデオ、34:20から聴ける)。
ところで、インタビューをするに当たって、
事前に
曽野氏の方から審査があったようだ。
つまり、
ある質問がなされ、
荻上氏は踏み絵を踏まされたというわけだ。
その結果が
インタビューとして結実したのだから、
結構、大切なポイントして
チェックしておくべきだ。
どのような踏み絵が用意されていたのか――。
わざわざ荻上氏に問うたのは、
「水が出なくなっても、住み続けられますか」
ということだった
(音声ビデオ、32:00~)。
荻上氏は、
2択で問うことの必然性につき、
疑義を唱えられた後、こう答えたと説明しておられる。
「改善策を模索する。
どうしても水が出ないとなったら引っ越しを考える」と。
これで、踏み絵は、
一応、パスだ。
しかし、取り上げたい問題は、
この設題で
「住み続ける」
という選択肢を選ぶ黒人がいるのかどうかだ。
曽野氏は、
「水が出ない」
というマンションの欠陥を
無条件で黒人のせいにするため
彼らの“大家族主義”を持ち出している。
しかし、ならば問うが、
白人は、
大家族主義ではないのだろうか。
映画などに描かれる
白人のパーティは、
明らかに大家族主義を思わせる人間の関係があるではないか。
イタリア人にユダヤ人の家族は、
実際、大家族だと
歴史の専門書に書いてあったように思う。
「少数者」を意識したとき、
家族に頼る気持ちが生じるのは、
人間の感情として
自然なのだ。
別に、黒人の特性でも何でもない。
むしろ、米国では、
黒人社会は、
小家族制が普通だった。
というか、白人が黒人の団結を恐れ、
黒人にそのような小家族形態を押しつけられていた。
だから近親相関の弊害が生じた。
また、日本人は、小家族制だと
曽野氏は指摘する。
しかし、ブラジルに移民した日本人たちは、
大家族で住んでいる。
NHKが
かつて、そういう人間関係につき
ドキュメンタリー番組を製作している。
それこそ、
曽野氏言うところの“区別”を自らしているというわけだ。
しかし、だからと言って、
その状態がいいとは誰も思わないだろう。
生活の必要上、
万やむ無く、そのような生活形態を選んでいるに過ぎない。
大家族主義などという主義は、
そもそも存在しないのだ。
しかし、もっともっと
根本的に
曽野氏の見方で可笑しいのは、
上述した通り、
黒人の住む
マンションの特色として
「水が出ない」
ということを既成事実として主張しようとしている点だ。
津田氏が
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
というコメントをするのも、
たまさかあった「水が出ない」不満をもって
揺るぎない事実として認知するからだ。
曽野氏は、
そのような偏見に満ちた目で観察すれば
生じる不安や恐れを
事実と認めさせ、
自分を正当化する論法で
逃げ切るつもりなんだろうと思う。
しかし、闇は、
光が立ち上がれば消失するごとく、
曽野氏の指摘は、
合理的な目で観察しさえすれば
たちどころに吹き飛んでしまう蜃気楼のようなものだ。
かくして、同氏の主張によって明らかになったのは、
「偏見故の提案は、真実を含まない」ということだけだったことが判明する。
すなわち、曽野氏は、
自分の思い込みを吐露したにすぎない。
議論すべきことは、
黒人の住むマンションは
水が出ないのか――ということではなく、
そういう妄想に近い
思い込みで、
彼らの住めない場所を
自分たち(差別者)の好みの問題として
作ろうとすることの是非だ。
世界の良識は、
アパルトヘイト時代への逆行として
それを許さない。
南アフリカが達成したのは、
「(アパルトヘイトを受容する)その契約を守らせることは」
人道に悖るという
考え方に立ち返ったということに尽きるだろう。
なぜ、人道に悖るかと言うと、
契約が対等の力を持つ者同士で取り交わされたものでないからだ。
この話は、
慰安婦問題に似たところがある。
安倍某らは、
「強制連行などなかった」
という1点に固執する。
しかし、強制的か否かは、
「力関係」という観点から公正・公平な契約がなされた
と言えるかということが大切だ。
「騙された」「逃げだせなかった」
という証言から
強制性が認定されている。
そこに立ち戻らない限り、どこまで行ったって
水掛け論に終わる。
安倍某らの主張は、
そこを狙った暴論にしか見えないから
世界から相手にされないのだ。
力関係のバランスが悪く、
「強制」にしか見えない人間関係の間になされた
契約は、
契約としての意味をなさないわけだ。
別の例を出そう。
よく特攻隊が
「志願制」だったと言われる。
しかし、これも予めなされる「指名」にもとづいた申し出だという
証言に照らし合わせて考えると、
志願の実体を有しないと言わざるを得ない。
それと全く同じだ。
形式を見て実体を考察しないと
差別を見破れない。
見破れなければ、当然、差別を根絶など
画餅に帰する。
荻上氏は、
曽野氏からの
“質問”という名の恫喝に屈して
「水が出ないとなったら引っ越しを考える」
と答えた時点で
差別を見破る材料をすでに手放してしまっていたのだ。
それに気づかない限り、
津田氏みたく
「この世の中から差別を根絶するは難しい」と
生涯つぶやき続けねばならない。
――この世の中から差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかるインタビューになってる。 / 荻上チキによる曽根綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目
http://npx.me/mW7R/Biex #NewsPicks〔9:23 - 2015年2月19日 〕――
津田さんについては、
東大話法の
百貨店のような
池内恵氏の「中東・イスラーム学の風姿花伝」というサイトの
「『イスラーム国』は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している」の記事が
発信されるや
――イスラム国は日本の支援が非軍事的と知りつつジハードの対象にしたという池内さんの分析。一層理由が知りたくなる。 / 「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している - 中東・イス...
http://npx.me/ceX9/Biex #NewsPicks〔7:28 - 2015年2月3日 〕――
ツイートされていた。
そのとき、
(あ~、この人はジャーナリストとして『御用』なんだ)と
思い知らされた
(拙稿「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/aeef34b72ca1bce53ec7ae460bb9d2dd)。
その点、荻上チキ氏については、
『御用』ではないという心証があったので、
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
という同人のしたインタビューについての
評価に違和感を感じた。
それで、
何をもって津田氏が
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
と解したのか
「一層理由が知りたく」なったというわけだ。
予備知識として知っておくべきは、
次の2つの画像の違いだ。
まずは、これ。
典拠:空@ai_to_kansha さんのツイート〔10:17 - 2015年2月17日 〕にリンク付けられたサイト「木走日記」にある「産経新聞に掲載されたコラム」として紹介されてあるURL:http://pbs.twimg.com/media/B9hkP4DIAAAGKYa.jpg:large?.jpgpdf参照
次は、こちら。
違いがわかるかな。
後者には、
上の画像に無い文言が読めるのだ。
それは、
「その契約を守らせることは」
という主語だ。
この主語に重きを置かない読み方をするから
アパルトヘイト(黒人と白人の住み分けを推奨する政策)の
何が差別的なのかが見えないのだと思う。
上の津田氏のツイートに
リンク付けされた
荻上チキ氏の「さかなの目」という記事には
曽野綾子氏へのインタビューの内容が書き起こされている。
☆ 記事URL:http://p9.hatenablog.com/entry/2015/02/18/205213
荻上チキ氏のサイト
「荻上チキ Session 22」の
「2015年02月17日(火)「改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード)をポッドキャスティングで聴く」の
文字列をクリックすると、
音声が聞ける。
荻上氏も認める通り、
白戸圭一氏によるアパルトヘイト解説が鋭い。
極力、曽野氏の
インタビュー記事のみを読むのでなく、
そちらにも関心を向けて欲しい
(主には音声ビデオ、34:20から聴ける)。
ところで、インタビューをするに当たって、
事前に
曽野氏の方から審査があったようだ。
つまり、
ある質問がなされ、
荻上氏は踏み絵を踏まされたというわけだ。
その結果が
インタビューとして結実したのだから、
結構、大切なポイントして
チェックしておくべきだ。
どのような踏み絵が用意されていたのか――。
わざわざ荻上氏に問うたのは、
「水が出なくなっても、住み続けられますか」
ということだった
(音声ビデオ、32:00~)。
荻上氏は、
2択で問うことの必然性につき、
疑義を唱えられた後、こう答えたと説明しておられる。
「改善策を模索する。
どうしても水が出ないとなったら引っ越しを考える」と。
これで、踏み絵は、
一応、パスだ。
しかし、取り上げたい問題は、
この設題で
「住み続ける」
という選択肢を選ぶ黒人がいるのかどうかだ。
曽野氏は、
「水が出ない」
というマンションの欠陥を
無条件で黒人のせいにするため
彼らの“大家族主義”を持ち出している。
しかし、ならば問うが、
白人は、
大家族主義ではないのだろうか。
映画などに描かれる
白人のパーティは、
明らかに大家族主義を思わせる人間の関係があるではないか。
イタリア人にユダヤ人の家族は、
実際、大家族だと
歴史の専門書に書いてあったように思う。
「少数者」を意識したとき、
家族に頼る気持ちが生じるのは、
人間の感情として
自然なのだ。
別に、黒人の特性でも何でもない。
むしろ、米国では、
黒人社会は、
小家族制が普通だった。
というか、白人が黒人の団結を恐れ、
黒人にそのような小家族形態を押しつけられていた。
だから近親相関の弊害が生じた。
また、日本人は、小家族制だと
曽野氏は指摘する。
しかし、ブラジルに移民した日本人たちは、
大家族で住んでいる。
NHKが
かつて、そういう人間関係につき
ドキュメンタリー番組を製作している。
それこそ、
曽野氏言うところの“区別”を自らしているというわけだ。
しかし、だからと言って、
その状態がいいとは誰も思わないだろう。
生活の必要上、
万やむ無く、そのような生活形態を選んでいるに過ぎない。
大家族主義などという主義は、
そもそも存在しないのだ。
しかし、もっともっと
根本的に
曽野氏の見方で可笑しいのは、
上述した通り、
黒人の住む
マンションの特色として
「水が出ない」
ということを既成事実として主張しようとしている点だ。
津田氏が
「差別を根絶するのがいかに難しいのかよくわかる」
というコメントをするのも、
たまさかあった「水が出ない」不満をもって
揺るぎない事実として認知するからだ。
曽野氏は、
そのような偏見に満ちた目で観察すれば
生じる不安や恐れを
事実と認めさせ、
自分を正当化する論法で
逃げ切るつもりなんだろうと思う。
しかし、闇は、
光が立ち上がれば消失するごとく、
曽野氏の指摘は、
合理的な目で観察しさえすれば
たちどころに吹き飛んでしまう蜃気楼のようなものだ。
かくして、同氏の主張によって明らかになったのは、
「偏見故の提案は、真実を含まない」ということだけだったことが判明する。
すなわち、曽野氏は、
自分の思い込みを吐露したにすぎない。
議論すべきことは、
黒人の住むマンションは
水が出ないのか――ということではなく、
そういう妄想に近い
思い込みで、
彼らの住めない場所を
自分たち(差別者)の好みの問題として
作ろうとすることの是非だ。
世界の良識は、
アパルトヘイト時代への逆行として
それを許さない。
南アフリカが達成したのは、
「(アパルトヘイトを受容する)その契約を守らせることは」
人道に悖るという
考え方に立ち返ったということに尽きるだろう。
なぜ、人道に悖るかと言うと、
契約が対等の力を持つ者同士で取り交わされたものでないからだ。
この話は、
慰安婦問題に似たところがある。
安倍某らは、
「強制連行などなかった」
という1点に固執する。
しかし、強制的か否かは、
「力関係」という観点から公正・公平な契約がなされた
と言えるかということが大切だ。
「騙された」「逃げだせなかった」
という証言から
強制性が認定されている。
そこに立ち戻らない限り、どこまで行ったって
水掛け論に終わる。
安倍某らの主張は、
そこを狙った暴論にしか見えないから
世界から相手にされないのだ。
力関係のバランスが悪く、
「強制」にしか見えない人間関係の間になされた
契約は、
契約としての意味をなさないわけだ。
別の例を出そう。
よく特攻隊が
「志願制」だったと言われる。
しかし、これも予めなされる「指名」にもとづいた申し出だという
証言に照らし合わせて考えると、
志願の実体を有しないと言わざるを得ない。
それと全く同じだ。
形式を見て実体を考察しないと
差別を見破れない。
見破れなければ、当然、差別を根絶など
画餅に帰する。
荻上氏は、
曽野氏からの
“質問”という名の恫喝に屈して
「水が出ないとなったら引っ越しを考える」
と答えた時点で
差別を見破る材料をすでに手放してしまっていたのだ。
それに気づかない限り、
津田氏みたく
「この世の中から差別を根絶するは難しい」と
生涯つぶやき続けねばならない。
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