T.HIRANO
@TOHRU_HIRANO さんの昨日のツイート。
――なぜだか、意味がよくわからないけど、今日は「東京大空襲」で10万人も戦争で亡くなったのだという事をあまり報道しない
海外メディアだったら「トップニュースと特番」だよ。愛国心があるなら当然の事。それよりも「巨人軍の賭博報道」って、なんだか、やはりテレビ報道が異様な事態になってる〔22:18 - 2016年3月10日 〕――
ウィキペディアに次のような説明があった。
「東京は1944年(昭和19年)11月14日以降に106回もの空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指すことが多い[2][3]。この3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた[3]。」
確かに、
「巨人軍の賭博報道」など、どうでもいい。
野球には感動がある。
その感動が
野球賭博とは!
というところなのだろうな。
しかし、今の僕は、
初代ゴジラの上陸コースが
東京大空襲におけるB29大編隊の爆撃ルートの再現だったことに
驚きを覚える。
Mr.カトー @Mrkat0 さんが
――初代ゴジラの上陸コースは、東京大空襲におけるB29大編隊の爆撃ルートの再現だった。
http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130127/Getnews_285262.html?_p=4 …
⇒そんな隠喩があったとは…。
それを知ると、シリーズ後半ですっかり子供のヒーローになってしまったゴジラが、洗脳された日本人への皮肉に思えてならない。〔20:43 - 2016年3月10日 〕――
僕も同じ思いだ。
リンクされているサイトには、
映画のこんな光景が記されていた。
――ゴジラに追いつめられ母親は上空を見上げます。ゴジラは身長50Mですから当然見上げるわけですが、それはあたかも空襲時にB29の大編隊を見上げつつ絶望する母親の姿とだぶります。
そして、母親が幼い子供たちを抱きかかえて「大丈夫、もうすぐお父さんのところに行けるのよ」と、死を覚悟して叫ぶのです。…――
☆ 記事URL:http://www.excite.co.jp/News/anime_hobby/20130127/Getnews_285262.html?_p=7
ゴジラが「皇居を襲わない」という
産経新聞のコラム記者に向けられたまとめの言葉は、
次の通り。
――これはもう空襲のシーン以外のなにものでもないでしょう。
・・・
B29が皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもなかったように、ゴジラが皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもありません。
産経コラムこそ、ゴジラをへんな「政争の具」にしてはいけません。――
もう一つ、Mr.カトー さんが
紹介されていた逸話は、
こんな内容だ。
――東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイは、戦後航空自衛隊の育成の功績で「勲一等旭日大綬章」を授章。勲一等は天皇の直接授与が通例だがルメイにのみ昭和天皇は親授しなかった。後のNHKの取材で戦争責任を問われると彼はこの勲章を見せたという。〔20:52 - 2016年3月10日 〕――
リンクされているページに飛ぶと
――1945年3月10日の東京大空襲では、40k㎡の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下され、逃げ惑う住民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。こうして、一夜のうちに10万人以上の民間人(非戦闘員)が生きたまま焼き殺された。
まさにホロコースト状態である (ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つ)。
これが虐殺でなくて一体何が虐殺か?――
という報告があった。
☆ 記事URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=133137&g=131205
戦後、回想記のなかで、
彼は、次のように述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。女、子ども、老人も全て戦闘員だった。これをやっつけて何が悪いのか?」と。
このカーチス・ルメイは、
明らかに東京大空襲を始めとする無差別爆撃および原爆投下の直接の責任者だった。
日本は、よりによってこの男に、
「勲一等旭日大綬章」(勲章)を授与した。
昭和天皇は親授しなかったという
この勲章の授与は、
安部晋三の大叔父、佐藤栄作が決めた。
そのせいかどうは分らないが、
この後、佐藤は、
ノーベル平和賞を受賞した。
無残な話だ。
@TOHRU_HIRANO さんの昨日のツイート。
――なぜだか、意味がよくわからないけど、今日は「東京大空襲」で10万人も戦争で亡くなったのだという事をあまり報道しない
海外メディアだったら「トップニュースと特番」だよ。愛国心があるなら当然の事。それよりも「巨人軍の賭博報道」って、なんだか、やはりテレビ報道が異様な事態になってる〔22:18 - 2016年3月10日 〕――
ウィキペディアに次のような説明があった。
「東京は1944年(昭和19年)11月14日以降に106回もの空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指すことが多い[2][3]。この3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた[3]。」
確かに、
「巨人軍の賭博報道」など、どうでもいい。
野球には感動がある。
その感動が
野球賭博とは!
というところなのだろうな。
しかし、今の僕は、
初代ゴジラの上陸コースが
東京大空襲におけるB29大編隊の爆撃ルートの再現だったことに
驚きを覚える。
Mr.カトー @Mrkat0 さんが
――初代ゴジラの上陸コースは、東京大空襲におけるB29大編隊の爆撃ルートの再現だった。
http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130127/Getnews_285262.html?_p=4 …
⇒そんな隠喩があったとは…。
それを知ると、シリーズ後半ですっかり子供のヒーローになってしまったゴジラが、洗脳された日本人への皮肉に思えてならない。〔20:43 - 2016年3月10日 〕――
僕も同じ思いだ。
リンクされているサイトには、
映画のこんな光景が記されていた。
――ゴジラに追いつめられ母親は上空を見上げます。ゴジラは身長50Mですから当然見上げるわけですが、それはあたかも空襲時にB29の大編隊を見上げつつ絶望する母親の姿とだぶります。
そして、母親が幼い子供たちを抱きかかえて「大丈夫、もうすぐお父さんのところに行けるのよ」と、死を覚悟して叫ぶのです。…――
☆ 記事URL:http://www.excite.co.jp/News/anime_hobby/20130127/Getnews_285262.html?_p=7
ゴジラが「皇居を襲わない」という
産経新聞のコラム記者に向けられたまとめの言葉は、
次の通り。
――これはもう空襲のシーン以外のなにものでもないでしょう。
・・・
B29が皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもなかったように、ゴジラが皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもありません。
産経コラムこそ、ゴジラをへんな「政争の具」にしてはいけません。――
もう一つ、Mr.カトー さんが
紹介されていた逸話は、
こんな内容だ。
――東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイは、戦後航空自衛隊の育成の功績で「勲一等旭日大綬章」を授章。勲一等は天皇の直接授与が通例だがルメイにのみ昭和天皇は親授しなかった。後のNHKの取材で戦争責任を問われると彼はこの勲章を見せたという。〔20:52 - 2016年3月10日 〕――
リンクされているページに飛ぶと
――1945年3月10日の東京大空襲では、40k㎡の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下され、逃げ惑う住民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。こうして、一夜のうちに10万人以上の民間人(非戦闘員)が生きたまま焼き殺された。
まさにホロコースト状態である (ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つ)。
これが虐殺でなくて一体何が虐殺か?――
という報告があった。
☆ 記事URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=133137&g=131205
戦後、回想記のなかで、
彼は、次のように述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。女、子ども、老人も全て戦闘員だった。これをやっつけて何が悪いのか?」と。
このカーチス・ルメイは、
明らかに東京大空襲を始めとする無差別爆撃および原爆投下の直接の責任者だった。
日本は、よりによってこの男に、
「勲一等旭日大綬章」(勲章)を授与した。
昭和天皇は親授しなかったという
この勲章の授与は、
安部晋三の大叔父、佐藤栄作が決めた。
そのせいかどうは分らないが、
この後、佐藤は、
ノーベル平和賞を受賞した。
無残な話だ。
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