のんきに介護

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日本国憲法の精神とは――

2016年07月04日 14時02分02秒 | 憲法解釈論
安倍政権を分析する

虎の巻は、

戦中の大本営だ。

安倍某の口から飛び出した

アベノミクスは順調という旨の発言も、

虎の巻によって真意を質される。

たとえば、

次のごとしだ。

小沢一郎(事務所)‏@ozawa_jimushoさんの

ツイ―ト。

――安倍総理がどこまで終戦史を学んだかわからないが、最後は陸軍、海軍、外務省、みんなが責任の押し付け合いをして終戦がかなり遅れた。その間に多くの人々が犠牲になった。要は敗戦を認めたくなかった。我々は失敗にこそ学ぶべき。アベノミクスは失敗した。いましっかり認めなければ被害が広まるだけ。〔11:51 - 2016年7月4日 〕——

なぜ、政権は、

メディアに停波などで

脅すのか。

これも

戦前から戦中に至る

メディア史を分析すれば、

今が見える。

すなわち、

新聞の販売競争に勝ち残るためにしている迎合と萎縮が

発端であり、発展であり、

政権に飲み込まれる結末を用意している。

そして

見て見ぬふりをしているものに

次の事柄がある。

(1)憲法を壊す

(2)年金積立金を食い潰す

(3)安倍政治の暴走

すべては、

「民主主義の崩壊」につながっている。

こんな結末、

歓迎しなければならないいわれはない。

では、どう抵抗するか――。

安倍某が持ち出してきた妄言を認めなければいいんじゃないか。

すなわち、

「憲法押し付け」論だ。

なぜ、

これが妄言かと言うと、

「押し付け」を非難できるとして、

その根拠はと問われれば、

日本の民主主義の侵奪行為を上げるしかないだろう。

然るに、

日本には

民主主義があったのか。

すなわち、

「押し付け」と非難できるほどの

守るべき民主主義はあったのかという話だ。

なかったんじゃないか。

それは、一方で、

ポツダム宣言を受託しながら、

しかし、他方では、

宣言受託に伴う約束だった民主主義国家を建設するとの大事業が、

憲法草案の作成という

初めの一歩において蹴躓いてしまったことに如実だ。

となれば、

見本を見せてもらうしかないだろう。

大日本国帝国憲法だって、

プロシャから

見本を見せてもらって起草したものだ。

太平洋戦争当時の政府の広宣活動を「大本営発表」と呼び、

見下しているのは、

憲法に見本があったからではない。

本来なら、

憲法の継受を通して

保たれているべき真実を保証するはず民主主義が

手から零れ落ちていたからだ。

つまり、

戦争遂行のため、

わずかに保たれていた大日本国帝国憲法の民主主義傾向が

木っ端みじんに破壊されていた。

だったら、

「押し付け」られずに

憲法を制定しえるのはいつの日か。

皮肉にも

現在の政治情勢を眺めていて、

70年経過した今も

不可能と言うしかないのではないか。

民主主義国の名に相応しく

なるには、

まだ、残念ながら、道半ばだ。

しかし、

ここで引き返すわけには行かない。

何だか

安倍晋三君の演説のようだが、

前に進むしかない。

上に述べた

ポツダム宣言は、

我々に、

民主主義国に脱皮するように迫った。

その夢、希望を

実現すべく我らが先達が受け入れた

民主主義の

乳母が日本国憲法だったと言えるだろう。

それが

日本国憲法の精神ではないか。

説明が抽象的になった。

具体的には、

岩上安身‏@iwakamiyasumiさんの

次のツイートが分かりよい。

民主主義の乳母として、

日本国憲法が我々に何をなそうとしてくれたかが

示されている。

――戦後、いいことづくめだったなぁ。平和主義だけじゃない。かつては主権者天皇で国民は臣民扱い。男女平等もなく、自由が規制されている息苦しい時代。終わってよかった。RT @ttoo20: RT“ penewax 明治憲法から日本国憲法へ ”〔8:02 - 2016年7月4日 〕——


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