のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

新閣僚に思う。脛に傷どころじゃない。この人たち、首相も含め、もろ犯罪容疑者じゃないか

2018年10月03日 03時12分19秒 | 安倍某とそのお友達




全員野球って、

全員で無法秩序形成の共犯関係を築くことなのか――。

一人こけたら、全員が転ぶぞ。

本当なら、

士官がこけても大丈夫なように脇を固める、

たとえば、石破さんのような人に補佐させなければならないのに。




全員野球にありがちな




ということを考慮して、個々に論じようかな。


(1)甘利明の場合









(2)桜田義孝の場合

興味のない言葉を言わされて、

噛んでいる桜田義孝。





娼婦と言う言葉なら噛まないって、

何ですか、この人!





「娼婦」説に賛成する前に、

次の指摘に目を通せ。

慰安婦が「性奴隷」と言われた

経緯がよく分かる。











(3)原田義昭の場合





(4)平井卓也の場合








(5)麻生太郎の場合








(6)柴山昌彦の場合








教育勅語は、

全体主義の精神的支柱だった。

したがって、

「天皇のため」という大義さえありさえすれば、

「同胞を大切にする、国際的協調を重んじる」など義務として尊ぶ上で

何の支障もない。

しかし、権利として考察されていないため、

どこまでも他律的な命令に過ぎない。

その命令の極北が

特攻だった。

すなわち、教育勅語が内に含んでいる教義である

天皇を現人神と認める思考回路は、

上官の命令を絶対視するよう要請して、結局は、兵士を縛り命を投げ出させた。

そのための最後の儀式が特攻隊の出撃命令に他ならない。

特攻隊の案を提出した

指揮官は、

その案が通た時、小躍りして喜んだという。

なぜ、そんなに喜んだのか。

恐らく、日本の国のためでは無いだろう。

「後に続け」と命令して、

全滅したら、

彼らの犠牲を持ち出して

「俺たち、力いっぱい戦った」という

証拠にするためだったろう。

端から責任逃れする頭しかなかったから、

戦争に負けたのだろう。

なぜ、そんな忌まわしい経典である

「教育勅語」を持ち出すのかと言うと、

一つには、

日本人の忘れっぽさを試すためだ。

二つには、

権力の頂点に立って、

また、「お前たち、死んで来い」と命令する

快感を得たいからだろう。

権利と義務のバランスを保つ

と言うのは詭弁だ。

「教育勅語」には、

それを考えるシステムになってない。

あるのは、ただ天皇のために身命を擲つ道徳があるきりだ。

しかし、そんなもの、道徳でも何でもない。

戦争に負けて、

それが確認されたのではなかったっけ?

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