のんきに介護

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豆知識:神道結婚式は、大正天皇のとき始まった

2018年01月04日 19時15分03秒 | 天皇制と戦争
exantia‏ @sud6930さんのツイート。

――返信先: @hiromishimadaさん
神前結婚式だって、古代から続いてるような印象あるが、明治時代に大正天皇の結婚式のスタイルが始まりです。天皇制と神社を結びつける必要があったんじゃないのかな。〔10:54 - 2018年1月1日 〕――

知らんかったな。

もう一つ、

新知識。

神社での礼拝の仕方、二礼二拍手一礼

も新しいようです。

島田裕巳‏ @hiromishimadaさんが

こんな指摘。

――神社に行くと、「二礼二拍手一礼」が正式な作法と強調されている。だが、そのやり方は、明治8年の「神社祭式」で定まったものがもとになっていて、明治以前には存在しなかった。明治以前の神仏習合の時代には、神と仏は同時に祀られていたので、合掌と拍手の区別はできない。〔12:12 - 2017年12月31日 〕――

――これが江戸時代の伊勢神宮での参拝のしかたです。拍手ではなく、合掌だったことがよく分かります。天皇に対して拍手を臣下が打つ、あるいは天皇が神に柏手をうつということはあったようですが、それは特殊なことだったようです。〔11:09 - 2018年1月2日 〕――



では、

何のために、

こんな風に神社の習俗がでっち上げられたのでしょう。

それは、

人々の従順なのをいいことに

人々を支配するやり方として宗教を利用しようとしたからです。

サイト「アエラ」で

清洲山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏が紹介されており、

こんな指摘がなされています。

―― 神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。――

☆ 記事URL:https://dot.asahi.com/aera/2017011100219.html?page=1

そのような思想に乗っかって政治運動をしている神職は、

全体の1%ほどしかいないようです。

しかしながら、

そんな神社本庁が

日本会議に取り込まれ、徐々に

日本会議は、

神社本庁の「伝統」と1%の「真性右派」をうまく利用することで、動員力と資金源を手にしたというわけです

(上掲、三輪氏の話参照)。

すなわち、全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を手足とすることで、

小さな組織を大きくみせることに成功したとのことです。


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