日刊ゲンダイ紙によると、
庶民は、
「目先の職が第一」で
働き場を
求めている。
そんな人間にとって、
銭がすべてだ。
人権より、
たとえ、それが人殺しであっても、
儲け話の方がいいわけで
安倍某のような悪徳を絵に描いたような
人物は、
大衆の理想だそうだ
(理解した事柄を自分の言葉で記しました。
原文に該当箇所がないのは、
そのせいです。
齟齬が気になる人は、
下記に資料として転載した
日刊ゲンダイの記事と照合してください)。
その理論的根拠として著名人の
説を紹介してあった。
まずは、
小田嶋隆。
この人によると、
安倍政権の評価の低さがこの政権の強みという。
たとえば、ベッキーは、
人気者だった。
だからちょっとした失敗が命取りになる。
その点、
安倍某のように、
「愚か者」以外の何物でもない人物は、
悪評が肥やしになる。
次は、
エティエンヌ・ド・ボエシ著
「自発的隷従論」だ。
悪政・苛政の魅力だ。
連続殺人犯や誘拐犯と一緒に長くいると、
人は、
自主的に者を考えるのを停止する。
なぜなら、それが唯一サバイバルへの道だからだ。
三つ目は、
精神科医の和田秀樹氏の説だ。
安倍政権下、
日本人は、振り込め詐欺犯と電話している状態にある。
議論を避けて、
民主党政権が悪かった、朝日新聞のせいだ
と日夜繰り返し、
実際のところ、民主党も朝日新聞も
案外に自民党を擁護する勢力であっても、事情がよく分からないので、
ために国民が
頭を混乱させる。
そこを狙って「振り込め(自民党を支持しろ)」「振り込め(自民党を支持しろ)」
と暗示にかけて行き、
国民から思考力を奪い、洗脳する。
四つ目の説は、
佐高信氏の考え方だ。
同氏は、
こういう。
「長年の暴力に耐えている内、
DV亭主に慣れちゃった」と。
しかし、どれもこれも
説得力に乏しい。
奇しくも、
同紙が指摘するように
「戦後七〇年間の民主主義がようやく花開くはずのタイミングで、
なぜか時代に逆行するし、『DV亭主』にすがる日本」
という存在を冷静に考えて見て、奇異としか言いようがないのだ。
安倍政権が
アベノミクスという
戦後最悪の経済政策に疲弊して、
日本人は、
安倍某の混乱した頭にリーダーシップを見たのか。
あるいは、今だけ、金だけ、
俺だけの安倍のエゴイズムに接し、
国民は、
刹那主義に恍惚感を感じているのか。
国民は、
独裁とリーダシップを区別する伝統を持たず、
「美しい日本」の民らしく、
国民主権という考えに敵愾心を抱き、
基本的人権を擲つ日を虎視眈眈と狙っているのか。
民主主義の手続きが
蔑ろにし、
憲法無視の暴挙に解放感を
感じているのか。
紹介された四つほどの説を読んで、
誰かよく、
この帰結を合理的に説明できるだろうか。
小田嶋さんの説では、
何があっても安倍政権の評価は低い
となるはずだ。
つまり、前提と結論が齟齬している。
では、次。
エティエンヌ・ド・ボエシ氏の説ではどうか。
これも印象論で
話を済ますならともかく、
「自発的隷従論」と言えるほど、
我々は、
苛政に苦しんだという体験を安倍政権下で持っただろうか。
「嘘」は、
山ほど聞いた。
しかし、それは、隷従というほどの
服従を倒置できるものなのか。
三つ目の
和田氏の説はどうか――。
確かに、
振り込め詐欺のような洗脳はあったように思う。
しかし、それは、
安倍某の振りまく幻想、
たとえば、
「原発の過酷事故に関わらず、オリンピックは開催できる」等の
繁栄妄想のために
使い尽くされたのではあるまいか。
期待を裏切られ、
「トリクルダウンなど、私は、一言も言ったことがない」
などという
責任逃れをされてしまった。
今さら何を彼に期待するのだろう。
何にもないではないか、
と思う。
三つ目の佐高信氏の説は、
どうか。
この人、社会評論家として名をなしているのに
案外に、
「家庭内暴力」について
知らなさ過ぎる。
自信もって
DV夫に
どつき回されて
慣れるなんて言うのは、
あり得ない空想だと断言できる。
以上から、
「人権より、
たとえ、それが人殺しであっても、
儲け話の方がいいわけで
安倍某のような悪徳を絵に描いたような
人物は、
大衆の理想だ」
という
僕の目から見た
日刊ゲンダイの記事の見方は、
僻事であるか、
妄想の一つと考えてよいだろう。
じゃあ、なぜ、
安部内閣支持率は高いのか
というと、
テレビ局、新聞社のでっち上げだと、
思うな。
自民党の幹部に言わせると、
「日本人は、浪花節に弱い。
甘利大臣の涙目に
感動して、日本中が同氏の人間性に惚れ直した」
ということだ。
しかし、彼のしたことは、
客観的に
子分に罪をなすりつけて、
自分を被害者に見せるべく嘘泣きをしただけだろう。
むしろ、なぜ、そんな見え見えの
面倒な猿芝居をしたのか、
そこが問題ではないだろうか。
思うに、
インチキ選挙との
関係があるんじゃないかな。
内閣支持率が
一貫して高ければ、
たとえ選挙でインチキしても
国民を欺けるとかんがえているのではないか。
日刊ゲンダイがこの問題につき
同調しないのは、
単に、
インチキはないとしなけば、
「選挙予想」が
商品として成り立たないという
だけの理由ではないか。
下に転載した日刊ゲンダイの記事中、
3つ目の切片で赤線を引いた
「国民は鈍感だ。暴政を暴政との思わなくなり、
唯々諾々と従う国民性」
という個所に
注意して頂きたい。
このような「愚民思想」を持っている限り、
真に
民主主義的な
国家を誕生させられないと思う。
また、インチキ選挙をありえないと考える理由の最大のものは、
この手の民衆の見下しだ。
しかし、我が同朋を信じることができず、
どうやって、
民主主義を是とすることができるのだろう。
インチキ選挙は
あり得ないと思う人には、
是非、その点を問いたいと思う。
〔資料〕
「喜劇的になってきた安倍支持率 安定という独裁を望む素行停止の有権者たち」
日刊ゲンダイ(2016年2月5日付<4日発行>)
庶民は、
「目先の職が第一」で
働き場を
求めている。
そんな人間にとって、
銭がすべてだ。
人権より、
たとえ、それが人殺しであっても、
儲け話の方がいいわけで
安倍某のような悪徳を絵に描いたような
人物は、
大衆の理想だそうだ
(理解した事柄を自分の言葉で記しました。
原文に該当箇所がないのは、
そのせいです。
齟齬が気になる人は、
下記に資料として転載した
日刊ゲンダイの記事と照合してください)。
その理論的根拠として著名人の
説を紹介してあった。
まずは、
小田嶋隆。
この人によると、
安倍政権の評価の低さがこの政権の強みという。
たとえば、ベッキーは、
人気者だった。
だからちょっとした失敗が命取りになる。
その点、
安倍某のように、
「愚か者」以外の何物でもない人物は、
悪評が肥やしになる。
次は、
エティエンヌ・ド・ボエシ著
「自発的隷従論」だ。
悪政・苛政の魅力だ。
連続殺人犯や誘拐犯と一緒に長くいると、
人は、
自主的に者を考えるのを停止する。
なぜなら、それが唯一サバイバルへの道だからだ。
三つ目は、
精神科医の和田秀樹氏の説だ。
安倍政権下、
日本人は、振り込め詐欺犯と電話している状態にある。
議論を避けて、
民主党政権が悪かった、朝日新聞のせいだ
と日夜繰り返し、
実際のところ、民主党も朝日新聞も
案外に自民党を擁護する勢力であっても、事情がよく分からないので、
ために国民が
頭を混乱させる。
そこを狙って「振り込め(自民党を支持しろ)」「振り込め(自民党を支持しろ)」
と暗示にかけて行き、
国民から思考力を奪い、洗脳する。
四つ目の説は、
佐高信氏の考え方だ。
同氏は、
こういう。
「長年の暴力に耐えている内、
DV亭主に慣れちゃった」と。
しかし、どれもこれも
説得力に乏しい。
奇しくも、
同紙が指摘するように
「戦後七〇年間の民主主義がようやく花開くはずのタイミングで、
なぜか時代に逆行するし、『DV亭主』にすがる日本」
という存在を冷静に考えて見て、奇異としか言いようがないのだ。
安倍政権が
アベノミクスという
戦後最悪の経済政策に疲弊して、
日本人は、
安倍某の混乱した頭にリーダーシップを見たのか。
あるいは、今だけ、金だけ、
俺だけの安倍のエゴイズムに接し、
国民は、
刹那主義に恍惚感を感じているのか。
国民は、
独裁とリーダシップを区別する伝統を持たず、
「美しい日本」の民らしく、
国民主権という考えに敵愾心を抱き、
基本的人権を擲つ日を虎視眈眈と狙っているのか。
民主主義の手続きが
蔑ろにし、
憲法無視の暴挙に解放感を
感じているのか。
紹介された四つほどの説を読んで、
誰かよく、
この帰結を合理的に説明できるだろうか。
小田嶋さんの説では、
何があっても安倍政権の評価は低い
となるはずだ。
つまり、前提と結論が齟齬している。
では、次。
エティエンヌ・ド・ボエシ氏の説ではどうか。
これも印象論で
話を済ますならともかく、
「自発的隷従論」と言えるほど、
我々は、
苛政に苦しんだという体験を安倍政権下で持っただろうか。
「嘘」は、
山ほど聞いた。
しかし、それは、隷従というほどの
服従を倒置できるものなのか。
三つ目の
和田氏の説はどうか――。
確かに、
振り込め詐欺のような洗脳はあったように思う。
しかし、それは、
安倍某の振りまく幻想、
たとえば、
「原発の過酷事故に関わらず、オリンピックは開催できる」等の
繁栄妄想のために
使い尽くされたのではあるまいか。
期待を裏切られ、
「トリクルダウンなど、私は、一言も言ったことがない」
などという
責任逃れをされてしまった。
今さら何を彼に期待するのだろう。
何にもないではないか、
と思う。
三つ目の佐高信氏の説は、
どうか。
この人、社会評論家として名をなしているのに
案外に、
「家庭内暴力」について
知らなさ過ぎる。
自信もって
DV夫に
どつき回されて
慣れるなんて言うのは、
あり得ない空想だと断言できる。
以上から、
「人権より、
たとえ、それが人殺しであっても、
儲け話の方がいいわけで
安倍某のような悪徳を絵に描いたような
人物は、
大衆の理想だ」
という
僕の目から見た
日刊ゲンダイの記事の見方は、
僻事であるか、
妄想の一つと考えてよいだろう。
じゃあ、なぜ、
安部内閣支持率は高いのか
というと、
テレビ局、新聞社のでっち上げだと、
思うな。
自民党の幹部に言わせると、
「日本人は、浪花節に弱い。
甘利大臣の涙目に
感動して、日本中が同氏の人間性に惚れ直した」
ということだ。
しかし、彼のしたことは、
客観的に
子分に罪をなすりつけて、
自分を被害者に見せるべく嘘泣きをしただけだろう。
むしろ、なぜ、そんな見え見えの
面倒な猿芝居をしたのか、
そこが問題ではないだろうか。
思うに、
インチキ選挙との
関係があるんじゃないかな。
内閣支持率が
一貫して高ければ、
たとえ選挙でインチキしても
国民を欺けるとかんがえているのではないか。
日刊ゲンダイがこの問題につき
同調しないのは、
単に、
インチキはないとしなけば、
「選挙予想」が
商品として成り立たないという
だけの理由ではないか。
下に転載した日刊ゲンダイの記事中、
3つ目の切片で赤線を引いた
「国民は鈍感だ。暴政を暴政との思わなくなり、
唯々諾々と従う国民性」
という個所に
注意して頂きたい。
このような「愚民思想」を持っている限り、
真に
民主主義的な
国家を誕生させられないと思う。
また、インチキ選挙をありえないと考える理由の最大のものは、
この手の民衆の見下しだ。
しかし、我が同朋を信じることができず、
どうやって、
民主主義を是とすることができるのだろう。
インチキ選挙は
あり得ないと思う人には、
是非、その点を問いたいと思う。
〔資料〕
「喜劇的になってきた安倍支持率 安定という独裁を望む素行停止の有権者たち」
日刊ゲンダイ(2016年2月5日付<4日発行>)
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