のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

原発関連の事故、まだ、元記事ないし魚拓の残っているもの

2016年01月11日 21時07分07秒 | 原子力発電
〔資料〕として転載したのは、

拙稿「原発関連の関係者の不審な死と、冤罪?逮捕事件」で

リンクが生きていたサイトの記事です。

☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/265e308dc8f2530eb0c8d7072a97e4db

【2012.2月までのまとめ】


〔資料〕

「不審な死を遂げた反原発の町議>原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話」

   ★阿修羅♪ ( 2012 年 1 月 04 日 23:38:00)

☆ 記事URL:http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/814.html

東京新聞の社説を紹介・転載した投稿についたコメントで教えて戴いたのですが、反原発派だった三重県は南伊勢町議会の議員、上村康広さんが変死したという情報です。まずは47NEWSの記事、



そして、反原発の人だったと伝えるツィッター、




そのリツィートにあったリンクのブログ記事を下に転載しておきます。

反原発派と推進派の間が相当険悪だったことが読み取れるので、その関係なのか或いは福島原発事故後の活動を阻止しようとする者の仕業なのか?

「伊勢署は事件と事故の両面で捜査している」

と上の記事にもありますが、上村さん所有の散弾銃は車外にあったけれども、上村さんは運転席で倒れていたという点。暴発で撃たれてから運転席に座った可能性もゼロではないのでしょうが、ちょっと不自然では?

下に転載する記事を書いたたかふさんも、同じ疑問を持っていました。

とにかく本当の捜査をしてほしいものです。
では、以下転載。

2011-06-05 14:33:26

原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話

テーマ:電力会社と闇

6月5日 名古屋生活クラブが主催する「原子力発電を考える~原発を止めた町から~」という講演会に行きました。演題は2題です。そのうちの上村康広さんの話について書きます。

上村康広さんは南伊勢町議会の議員です。と書くと堅苦しいイメージですがとてもおいしい牛肉を育てる畜産家で、とても親しみやすい雰囲気をもった方でした。ずーっと話を伺いたいと思っていたので今日は話を聞けてとても有意義な時間を過ごしました。

まずは芦浜原発計画の経緯をwikipediaから転載いたします。
====================

中部電力は1963年、熊野灘への原子力発電所建設計画を公表し、翌1964年に芦浜地区を候補地を決定した。しかし1966年には地元の漁業関係者が衆議院科学技術振興対策特別委員会の視察を阻止する「長島事件」が発生するなど、計画当初から反対運動が行われていた。そのため1967年には当時の田中覚知事が計画を棚上げした。

しかし1977年に国は芦浜地区を要対策重要電源に指定した。1984年には三重県も原発関連の予算を計上し、県議会も立地調査推進を決議している。1994年には、南島町古和浦漁協と紀勢町錦漁協も調査の受け入れに同意した。しかしなお各漁協で対応が分かれていた。

1996年には南島町芦浜原発阻止闘争本部が県民81万2335人の反対署名を北川正恭知事に提出した。これを受けて1997年3月に県議会は調査・建設の冷却期間を置くよう求めていた南島町の請願を全会一致で採択した。同年7月に県は中部電力に対して、立地予定地からの社員引き上げを正式に要請し、1999年まで冷却期間となった。1999年には北川知事が国内やドイツの原発を視察したほか、南島町、紀勢町から意見聴取を行っていた。

白紙撤回 2000年2月22日、北川正恭知事は県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきだ」と表明した。その理由として、計画発表から37年もの間地元住民を苦しめてきたのは県にも責任があるとした。また「電源立地にかかる四原則三条件[1]」を満たしていないと述べた。当時、県民の53%、南島町民の86%が原発に反対していた。一方で紀勢町では原発推進派の勢いが勝っていた。

中部電力としては原子力発電を浜岡1ヶ所に頼っているという現状があり、是が非でも芦浜地区に原子力発電所を建設したいという思惑があった。しかし知事の発言を受けて、中部電力の太田宏次社長は計画を白紙に戻すことを表明した。

国は2010年までに原発を16-20基増設することを計画していた。しかし1999年に発生した東海村JCO臨界事故と芦浜原発の白紙撤回は、この計画に大きな影響を与えたと言われている。
====================

以下は上村さんの講演の内容ですが、メモと記憶を辿って書きますのでもしかすると間違いがあるかもしれません。

1964年に原発計画の候補地となった当時は多くの人が建設に反対していた。そして町によって推進派になったり反対派になったりした。

10年ほど話し合いが続いたが、その間に中曽根康弘が巡視艇に乗って芦浜を視察に来るということになり、漁師たちが船で妨害しこれを阻止した。これが「長島事件」という。これにより20数名が有罪判決を受けたという。

高谷副知事が南島町民?との話し合いで原発建設には南島町住民の同意が得られることが必要だという内容の文章を明記、捺印した。これにより副知事は更迭された。

隣町の大紀町(旧錦町)は推進派であり、この町とは大変ないがみ合いとなってしまう。暴力的な事件に発展し最終的に機動隊が出動する騒動となった。その後、田中覚知事は原発計画を棚上げにする。これが最初の計画停止である。

三重県知事は田川亮三(自民党)の時代となった。彼は奇しくも福島原発を視察し、安全性を確信してしまったらしい。これを受け中部電力は町内に入り込み住民の推進工作を強めた。そして三重県もこれに続いた。


上村さんの住む南島町は真珠養殖がさかんで、これによる利益はけっこうなものだったという。したがって住民の心は一枚岩で反対運動ができた。しかし時代の流れで真珠養殖が儲けにならなくなり、ハマチ養殖に移っていった頃に事件が起きた。

ハマチ養殖の餌に混ぜられた抗生物質の問題だ。この抗生物質の使用により漁師の指が腐り落ちたなどと報道され、1400円/kgだったハマチの値段が600円/kgまで落ちたという。この裏には当然のように中部電力が見え隠れしていた。この指が落ちたという人物は2人いて、上村さんは両方とも知っている人間。二人とも別の原因で指を切断していたことも知っていた。一人はハマチの餌であるミンチをつくる機械に指をはさまれ、もう一人は全然別の原因とのこと。しかも、話をでっち上げたのは既に漁師は辞めていた後の話だということだ。

中部電力はハマチ養殖で借金を抱えた住民に対し、金を貸すよと持ちかける。ただし町民が連帯で借りなければだめと条件を付けた。何人も借金すれば返済金を払える人もいれば払えない人もいる。しかし中部電力は連帯だから全員で返せと返済を受け付けなかったらしい。

こうして手を替え、品を替え、中部電力は反対派住民に対し工作を進める。

住民が住民を見る目はまず第1に原発反対派か推進派かになるという。推進派の人が一人亡くなれば、反対派の人が「よかった」と言う。その逆もしかりである。
例えば転んでいる子供がいれば「あの子は推進派か反対派か?反対派なら助けてやろう」という心情になるそうだ。なぜかと言えば漁業組合員が215名。このうちの半分が賛成すると海洋調査が行われる。海洋調査を行えば必ず原発が建つと言われるほど、ほぼイコールのもの。だから反対派にとって推進派の頭数が減ると言うことは「よかった」となるのである。

あるとき上村さんの妹夫婦が推進派に回った。これにより兄弟間で喧々諤々あり疎遠になってしまった。親を見ている子供同士(従兄弟同士)も遊ばなくなった。上村さん曰く「一般的に身内ほど信頼関係は強い。でもこういう自体になると信頼感が強いほど正反対のエネルギーに換わってしまう。」と・・・。


原発は麻薬と同じである。
財政難の過疎地に誘致をもちかけ、電源三法による交付金を過疎の町に落とす。原発を作ったら維持管理費がかかり、当然その財源不足になる。で、また新しい原発を建てる。この繰り返し。
議員は議員で町民のためにあれを建てた、あそこを直したっていうことで人気があがるらしい。
農業はだめ、漁業もだめとなると原発に頼りたくなる現状があるのが過疎地の問題である。

上村さんがこれだけは言っておきたいが、原発推進派もお金が欲しくて原発を推進したいと言っているわけではない。みんな子供たちに借金を残したくないという気持ちがあるからなんだ、これだけはわかって欲しいと力を込めていた


芦浜は呪われた土地と言われており、原発建設の声が高まるとどこかで事故が起きている。チェルノブイリ、東海村、そして福島だ。今、計画が停止しているのは福島の犠牲の上になりたっている。

芦浜原発の計画はなくなったわけじゃない。建設予定地は中部電力が今でも所有しているし、中部林業という中電の子会社がその土地をきれいに管理している。もし浜岡原発が廃炉になれば中部電力の原発は0になる。その時、再び建設計画が持ち上がるのが怖い。

菅総理はなぜ不信任案を提出されたのか、あれは原発に手を出したからだ。浜岡を止めたから既得利権を守りたい推進派の抵抗にあったと思われる。
====================

うまく思い出せない部分もありますが大体、こんな内容でした。
(今度ボイスレコーダー買わなきゃ)

許せないのは電力会社も国も財政難で高齢化が進む過疎の村をターゲットにして
住民の絆を引き裂き、情報操作を行い、麻薬着けにしてしまうことですね。

質疑応答から1点追加

質問:
デモや署名運動といったことは広がりつつありますが、それ以外に脱原発にむけ我々ができることは何かありますか?(例えば政治的な何らかの方法とか)

回答:
芦浜原発の時は住民の同意がなければ原発の建設は認められないという文章を副知事が書き判を押してもらった。これが三文判であったためモメた経緯はあったが、これは大事な事だったと思う。81万人以上の署名を集めたことも大きな力になったと思う。とにかく国民が原発に対して嫌だと言うことが大事。後はしっかりとした反原発の考えを持った政治家を選ぶことじゃないでしょうか。

2011.6.5
(転載終わり)

「国民が原発に対して嫌だと言うことが大事」

奇しくも、冒頭で触れた東京新聞の社説を受けて書いたように、政治家やメディア等々の言うことを鵜呑みにせずに国民が自ら動かなければ駄目だということですね。

事件であれ事故であれ、今後も反原発に大いに貢献なさったであろう方の死は誠に残念であります。ご遺族のためにも、真相が判明するよう祈りつつ

合掌


★転送・転載の際は、この記事のURL
http://insidejobjp.blogspot.com/2012/01/blog-post_04.htmlを必ず入れてください。

一人でも多くの人々に読んでもらうため、
これを読んだあなたも周りの人々に知らせてくださいね。  




▼2011年▼

〔資料-2〕

【逮捕】2011.7/1『東電会見出入り禁止 「ネイビー通信」の自称記者を車上荒らしで逮捕』

☆ 記事URL:http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110701/crm11070101330004-n1.htm (リンク切れ)


「『ネイビー通信』の田代裕治氏に懲役1年、執行猶予3年の判決 」

   BLOGOS:livedoorニュース(2011年09月06日 18:00)

☆ 記事URL:http://blogos.com/article/20345/

福島第1原子力発電所の事故に関する東京電力の記者会見で、義憤をストレートに口に出し、質問というより糾弾する姿が人気を博していた『ネイビー通信』の田代裕治氏が、駐車中のクルマに置いてあったICカード「Suica(スイカ)」1枚を盗んだとして窃盗罪で起訴されていた裁判の判決が、9月6日、東京簡易裁判所(多原收一裁判官)で言い渡された。

懲役1年、執行猶予3年。検察官の求刑は懲役1年だった。

田代氏は、6月21日に警視庁築地署に逮捕されて以来、70日以上も勾留されていたが、ようやく釈放される。


〔資料ー3〕

「安田博・城南信用金庫常務理事が死去  :日本経済新聞」

   CSRON(2011-06-11 18:12 )

☆ 記事URL:http://ceron.jp/url/www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1E2E3E0EAE0E3E2E3E2E2E4E0E2E3E39191E3E2E2E2

 安田 博氏(やすだ・ひろし=城南信用金庫常務理事)9日死去、54歳。連絡先は同金庫総務部。告別式は12日午前10時から東京都府中市多磨町2の1の1の多磨葬祭場。喪主は妻、幸子さん。 安田博、死去 経済や企業の最新ニュースのほか、大リーグやサッカーなどのスポーツニュースも満載 詳細ページへ 日経ニュースメール(無料)など、電子版ではさまざまなメールサービスを用意しています。 (詳細はこち...

〔資料ー4〕

「原発で死亡の作業員、死因は持病の可能性 福島県警検視」

   朝日新聞(2011年5月14日22時48分)

☆ 記事URL:http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105140513.html

 東京電力福島第一原発で作業中に死亡した60代の男性について、福島県警は14日、検視を行った。捜査関係者によると、死因は持病によるものとみられ、司法解剖は行わないという。東電によると、男性は作業前に体調不良を訴えていなかったという。

 東電によると、男性は13日から福島第一原発で作業を始め、初日の作業時間は3時間だったという。東電は「環境や作業内容で特別高い負荷がかかったとは考えていない」と説明した。

 男性の放射線被曝(ひばく)量は13日が0.51ミリシーベルト、14日は0.17ミリシーベルトだった。東電福島事務所は「2日間の放射線被曝量を見る限り、急性の放射線障害による死亡とは考えにくい」としている。

 男性の従事した作業は東芝が元請け企業だった。




▼2011年3月 以前▼

〔資料ー5〕

「大間原発の敷地内に建つ「あさこはうす」 お金では買えない「宝の海」を次世代に」

   魚拓:ACTIO事務局

☆ 記事URL:http://megalodon.jp/2011-0509-1025-20/actio.gr.jp/2008/12/09094527.html

12月 9th, 2008 by taketake in アクティビティ


青森県下北半島の端に、「大間マグロ」で有名な小さな町がある。
津軽海峡に面した港のすぐそばには、最近大きな舗装道路が建設された。
道路の海側は、今年5月に着工した大間原発の敷地だ。
道沿いには何キロにも渡ってグリーンのネットを張った鉄パイプの
柵が設置され、「関係者以外立ち入り禁止」の看板が掲げられている。

ところが一箇所だけ穴が空いたように、敷地の中へ砂利道が伸びている。
入口を少し入るとガードマンが常駐する小屋があり、その先の両側は
完全に鉄条網に囲われてしまう。
この小道を15分ほど歩き続けると、目の前に蒼い海が広がった。
そこに「あさこはうす」は建っていた。



<目の前に原発の炉心が現れるのか>

大間原発の建設計画が持ち上がったのは32年前。
当初は多くの住民が建設に反対したが、札束を積み上げられ
年を追う毎に買収に応じていった。
しかし最後の最後まで土地を売らなかったのが熊谷あさ子さん。
あさ子さんが守り抜いた1万平米余りの土地は、130万平米もの
巨大な原発敷地のほぼ真中に位置し、
長らく建設計画を阻み続けてきた。


 
2004年秋、あさ子さんはその土地にログハウスを建て、
住民票を移した。畑を耕し、子どもや孫たちとバーベキューを
楽しみながら、大間の豊かな自然の素晴らしさを訴え続けた。
しかし2年前、不慮の事故で突然亡くなった。

「私たち4人の兄妹は、母の遺志を引き継ごうと誓ったんです。
10億円の買収を持ちかけていた電源開発は、遺産相続を巡って
私たちが対立すると期待していたみたいですが、当てが外れましたね」


そう話をしてくれたのは、娘の小笠原厚子さん。
結婚して北海道函館市に住んでいたが、今は月に20日ほど
大間の実家で暮らすようになった。
母の想い出が詰まったログハウスを「あさこはうす」と命名し、
自転車で畑仕事に通っている。
太陽光発電パネルや風力発電設備を設置し、
ライフラインがなくても将来移り住めるように整備を進めている。


ロープが張られた「あさこはうす」の敷地境界から海側を指差す厚子さん。
「あの木が生えている小山の辺りが当初計画された原発炉心位置です。
母が最後まで土地を売らなかったので、結局電源開発は炉心を
200メートルほど移動しました」



 移動したとは言え、わずか数百メートル。大間原発は、炉心のすぐそばに未買収用地を抱えたまま着工されたのだ。このまま建設が進めば、「あさこはうす」の目と鼻の先に炉心が出現する前代未聞の事態。通常原発の周囲は「放射線管理区域」とされ、何重ものフェンスで一般人が被曝しないよう立ち入りが制限される。しかしここでは、「あさこはうす」の存在は完全に無視されようとしている。

 今年4月23日、国から設置許可を受けた電源開発の中垣喜彦社長は、「法律上のルールからすると、敷地の内側にある民有地は建設、運用上の支障はないと考えている」「地主の方の考え方次第」と語った。買収の目処が立たないまま一方的に建設計画を進めてきた電源開発の責任には何一つ触れず、安全意識、人権意識のかけらも感じられない発言だ。

 しかも大間原発は世界初のフルMOX原発となる予定。その危険性ゆえに未だどの国も取り組んでいないフルMOXの実験が、通常の原発すら運転したことのない電力会社の手に委ねられようとしている。

<海と土地があれば生きていける>

 既に工事は始まり、フェンスの向こうでは大型ダンプがひっきりなしに土砂を運んでいる。しかし「あさこはうす」の周りには畑が広がり、豊かな自然が残されている。

 小奇麗なログハウスの中には、あさ子さんの写真が載ったカレンダーが飾ってある。「自然を大事にして、この海を守っていけば、将来どんなことがあっても生活できるべ。大金なんかいらない」。あさ子さんがいつも口にしていた言葉も記されている。




 「母は先祖代々続くまぐろ漁師の家に育ち、この海の素晴らしさと大切さを誰よりも良く知っていました。土と海から命をもらって育った母は、本能的に原発に危機感を持っていたのです。だから周りの人たちがみんな買収され、たった一人になっても原発に反対し続けたのです」

 「本当に辛くて寂しい思いもしたでしょう。執拗な買収工作や様々な嫌がらせを受け、最後は村八分にされました。でも、命を何よりも大切にする女だからこそ、母は最後まで頑張れたと思います」。そう語る厚子さんは、あさ子さんの遺志を引き継いで原発建設を何とか止めたいと考えている。

 6月19日、大間原発の原子炉設置許可処分に対する「異議申立書」が経済産業省原子力安全・保安院原子力安全審査課に提出された。全国から集まった申立人4541名のうち、2154名は函館市民だ。中心となった「大間原発訴訟の会」では、工事中止を求める民事訴訟の準備も進めている。

 函館は大間からわずか18キロ。原発が完成すれば、津軽海峡の対岸に原子炉建屋が見えるようになる。万一事故が起きれば、人口約28万の函館市民は真っ先に被害を受ける。函館市議会も2007年7月、『大間原子力発電所の建設について慎重な対応を求める意見書』を採択している。

 地元大間では孤立している厚子さんだが、函館や全国で脱原発に取り組む様々な人々に支えられている。「一人でも多くの人に『あさこはうす』を訪れてもらいたい。ここで多くの人とキャンプやイベントをすることは、母の夢でもありました」。

 大間原発の建設を許可した国への「異議申立書」。その冒頭に綴られた厚子さんの想いは、母の遺志に守られながら「あさこはうす」で育まれていくだろう。

 「土地から穫れる野菜と海から捕れる海産物で、私たちは生きてゆけます。その豊な海と土地を子や孫に残したいというのが母の切なる希望でした」「大間の海と土地をきれいなまま子や孫の世代に残すために、大間原発に反対します」 

(1273号 2008年8月10日発行)

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〔資料ー6〕

「あの福島女性教員宅便槽内怪死事件も原発がらみか」

   ★阿修羅♪ (2012 年 1 月 28 日 14:56:31)

☆ 記事URL:http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/549.html

20年以上も前の事件だが、異様な事件だけに覚えている人も多いだろう。
私もはっきり覚えてはいたが、原発のお膝元で起きた事件だったとは知らなかった。

http://wiki.livedoor.jp/mikaiketsujiken/d/%A1%DA%CA%A1%C5%E7%BD%F7%C0%AD%B6%B5%B0%F7%C2%F0%CA%D8%C1%E5%C6%E2%B2%F8%BB%E0%BB%F6%B7%EF%A1%DB


バブル絶頂期の1989年2月、福島県田村郡の教員住宅で、A先生がトイレの中に死体らしいものを発見。

便槽の入り口から引っ張り出せず、まわりを掘り返して遺体を取り出した。上半身は裸だった。
身元は村の青年会のS氏(26歳)と判明。死因は凍え兼胸部循環障害。
警察は何らかの目的で便槽にはいり出られなくなったとの見解を述べた。

S氏は好青年で女性にも人気があったが、遺体発見の4日前から行方不明になっていた。
また激戦だった村長選の応援活動をしていた。

S氏と発見者のA先生は、A先生の恋人を通じて知り合いだったという。

他殺説がささやかれ、真相究明のため知人友人が4千名以上の署名を集めて
三春警察署に嘆願書を出したが、捜査はされなかった。

S氏は原発保守会社の営業主任で、福島第二原発を担当していた。

「次男坊のアフォリズム」氏が興味深い指摘をしているので紹介させていただく。
福島第二原発3号機の重大事故との関連を示唆している点が鋭い。
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-315.html#comment168

この事件の2ヶ月前に、福島第二原発3号機では、再循環ポンプの回転翼が破断し、
部品が炉内に流れ込む重大な事故がおきている。
前年暮れから3回も警報が鳴ったのに無理やり東電が運転を続けた結果である。

この事故の責任者は、正月明けに東電本社に出張した帰りに、
上野で飛び込み自殺をしている。この人とS氏は同僚だったという。


渡辺文樹監督 はこの事件をテーマに映画「バリゾーゴン(罵詈雑言)」を製作している。
許可を得てアップされたものかわからないが、YouTubeで見ることができる。

ちなみに同監督作品は、全国巡業上映が中心で、ほとんどがビデオ化されておらず、
観ることのできる機会が非常に少ない。
また政府に都合の悪い内容の作品が多いため、嫌がらせで何度も逮捕されている。

これは非常に興味深い作品である。
監督自らが出演し事件の真相に迫るのだが、その執念が半端ではない。
渡辺監督は、福島県いわき市出身、福島大学卒で、この事件の舞台はいわき市の隣である。
自分の家の庭で起きたようなものだ。

原発マネーにどっぷり漬かり、不都合なことには目をつぶり、バブルに浮かれる地元民を
当時から怒りと批判の目を持って見ていたのだろう。

この作品はどこまでが真実なのかよくわからない。監督の思い込みもあるだろう。
しかし地元の隠蔽体質を鋭くえぐったという点で高く評価されるべきだ。
その体質はまさに東電と全く同じであり、原発業界に偽りの繁栄とそして破滅をもたらしたものだ。


事件は謎のままだが、いくつか確実なことはある。

寒い2月に半裸で、のぞきのために糞尿だらけになって便槽にもぐる人間はいない。
便槽の入口直径はたった36センチ。死ぬ覚悟がないと入り込めない。
間違いなくこれは他殺だ。

また、のぞき犯に仕立てた点からして見せしめであることも確実だ。
事故死に見せかけるのなら他にいくらでも方法はある。
わざわざ手間をかけて遺体を狭い便槽に入れたのは、逆らうとこうなるぞ、
という強いメッセージを伝えるためである。

そして地元警察も犯人とグルであることも明白だ。検死すれば他殺はすぐ判明する。
それを握りつぶしたのだ。

なぜS氏は殺されたのか?
村長選の違反の証拠を握っていて告発しようとしたか、3号機事故がらみか。
村長選が直接の原因としても、村人の多くが原発関連の仕事をしている地域であるから、
村長選に原発マネーが飛び交うのは当然であり、福島原発と無縁な事件だとは思えない。

警察を抱き込めるような大きな組織が事件の背後に存在したことは間違いない。

もんじゅでもそうだったが、重大事故が起きると必ず関係者が自殺、変死する。
自殺に見せかけて殺された可能性も大きい。
このS氏をはじめ多くの人が闇に葬られてきた。さぞ無念であろう。

今回の破局的な事故で、この事件の村々も何百年も住めないほど汚染されてしまった。
それを考えると、彼らの怨念を感じざるを得ないのである。
 

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