のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

高島章弁護士は、植松聖の凶行を「障害者を不憫に思った末の愛情表現」と忖度している。アホか 

2016年07月29日 04時41分03秒 | 日本文化論
mold
‏@lautrea さんの鳥声(ツイート)。

――介護疲れの果て、あるいは植物人間状態の親族を不憫に思って殺人を犯してしまった人々と憎悪と差別意識にまみれた大量殺人犯人を一緒にするな。〔0:07 - 2016年7月29日 〕——






屁理屈の

見本としては一級だ。

高島章氏は、

自分を

人権派弁護士として

売り込むために

こんな戯言を喋っているのか。

本当に

愛情があったのなら、

「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに」

という表現にならない。

☆ 毎日新聞 / 「相模原殺傷 衆院議長宛て手紙 全文」参照:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/fe72adc03482f377d9d77ee3be889df4

植松は、

手紙で自分が殺人の罪を犯しても

その罪を

直視したくないから、

責任転嫁をする相手として

(1)保護者

(2)施設で働いている職員

(3)日本国

(4)世界

を並べているわけだろ。

すなわち、たとえば、

親が疲れきった表情を浮かべていなかったら、

また、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳をしていなかったら、

殺さずに済んだという具合だ。

弁護士として

よき弁護をするには

よく罪に向き合う態度が必要というわけではないのか。

それが分からんのかい?

あなた、

それに「安楽死」の理解が

失当だよ。

死をどんな形で受け入れるかは、

その人らしくある

究極の

自分の在り様に関する

選択の問題だ。

命にかかわること、勝手に親も含め、当人でない者が決定していいはずないんだよ

(もっとも、一般論としては、

当人であっても命は処分できないものだろうけど――)。

まさか

婚姻の自由も否定して

親が決定してよいと考えているんじゃあるまいね。

直接には命に関係ないけれど、

こちらも、

残りの人生に深くかかわってくるもんで、

自己決定に任せるんだと思うな。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
被告人は起訴? ですか? (それいゆサン)
2018-10-14 00:37:44
我が個人的な意見ではありますが,我が自分は被告人への死刑は最初から望んではいません,例えあの事件を起こした被告人でも 何とか弁護側が被告人を死刑以外の主張で裁判に持ち越してほしいです,お願い致します,被告人はちゃんと事件後 自ら自首したじゃないですか,自分は被告人に生きて罪を償わせる結果になる様になればと思います,弁護士さんお願い致します
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