のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

松本人志が詭弁家なのは、彼の「混乱」を好む性癖、すなわち、人に理解を断念させる権力欲に原因があるのかな

2018年04月30日 10時47分03秒 | ファシズム
松本人志は、

福田財務事務次官が「胸触っていい?」などと

女性記者に言ったセクハラ発言について、

セクハラの意図はない、

むしろ、

女性記者のハニトラの結果だと

説明した

(拙稿「【セクハラ問題】 松本人志がまた詭弁。このおっさん、事実関係を曲解する天才だな。どこにごまかしがあるか、考えて見た」)。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/3446363a13dcc7f667aa2a889844ff5a

すなわち、次官のセクハラを非難する前に

女性記者のハニトラを暴けと囀った。

松本本人は、

その事実関係につき、

次のように弁明しているようだ。

「俺はハニトラだと断言はしてない、一割くらいはあるんじゃないのと言っただけ。逆に今の時点で100%ハニトラじゃないと言い切れる根拠を知りたい」(マカロンケーキ@Macaroncakeさんのツイート〔11:11 - 2018年4月29日〕参照)。

こんな風に弁明できるなら、

どんな大嘘をついても

「一割くらいはあるんじゃないのと言っただけ」

という言い逃れができる。

可能性というのは、

どんな場合でもそれらしく見える。

たとえば、

詭弁において

よくその説明に用いられるゼノンのパラドックス、

「アキレスと亀」を

思い出してみよう。

アキレスがどれだけ速く走ったとしても、

前を行くノロマな亀に追いつく事はできないという話だ。

これについて、

サイト「アタリマエ!」がこんな解説をしていた。

――「無限」という身近にはないはずの概念が、有限の世界にいきなり現れるとビックリしてしまうのが混同する原因と考えられます。――

☆ 記事URL:https://atarimae.biz/archives/5584


ゼノンをどう論破するか、

それは、

数に関して、

――「無限に繰り返せる(話が無限に続く)」なら、「いつまで経っても追いつかない(無限の時間かけても追いつかない)」――

という思い込みを捨てよというに尽きる。

すなわち、

この思い込みを捨てられないから、

「1.99よりも大きな1.999よりも大きな1.9999…と話は無限回続く」という回数の無限と

「いつまで経っても」という時間や距離の無限を混同したしまうのだ。

事実は、こうだ。

「アキレスは、亀に追いつく直前までは亀に追いつけない」ということ。

考え詰めれば、

「追いつく直前」

という想定の壁を越えて追いつく。

数学的に言うと、

「無限の先に有限がある」

という命題に行き着く。

松本の話は、

この命題に行き着く前の混乱の応用だ。

Aと断言しながら、そうではない可能性を考えさせて、

-A(-は「非」を意味する記号)という

主張を納得せよというわけだ。

「詭弁」という概念は、

中学のとき接して、知った。

この度、その知識が役に立つ実践例を初めて体験した。

杉田 水脈@miosugitaが

――事実は理解するものではありません。〔17:18 - 2018年4月29日〕――

と言っている。

アインシュタインの名言に

「宇宙について最も理解しがたいことは、それが理解可能だということである」

という言葉があった。

杉田は、

その真逆の指摘をしている。

事実は、

松本の指摘する混乱の中にある

とでも言いたいようだ。

話としてお互いに関わっていなくとも

松本の主張と共鳴現象を起こしてしまうんだな。

これ、

面白かった。

権力欲の強い人間は、

帝王学として

「人に由らしめよ、知らしむべからず」

という命題を

知らぬうちに血肉化させてしまうのだろう。

その経過が

二人の心の中でシンクロしているに違いない。

それでどうなるか。

二人共、タイトルに記した

「人に理解を断念させ、他人に対して優越した」立場に

本能的に立つってことだな。

松本の

冒頭発言を通して彼の強い、とても強い権力欲を感じた。

(そうか、そういう奴だったんだ)と

改めて、よく分かった。

ネトウヨって、

この点において共通するんだな

と実感した。

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1 コメント

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Unknown (和室ファンド(99%へ再分配・無添加ジャムサンド)
2018-04-30 12:58:53
松本人志の権力へのすり寄りがひどすぎますね。
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