大袈裟太郎 @oogesatarouさんが
こんなツイート。
――一年前の今日。
高江を埋め尽くす紺色の隊列をSNSで見て、
なにが起こっているんだ?
と思った。
それから4日後に相模原で障がい者19人が殺される事件が起きた。
時代が傾いていくのを痛切に感じた。
ただただ、少しでも世の中の役に立たい。
そう想いながら高江へ飛んだ。〔12:22 - 2017年7月22日 〕――
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0c/3d1f8275905131c895329cff93b83b59.jpg)
日本列島を覆いつくした
棄民の思想。
相模原の事件は、
そんな状況下で起きた。
忘れないでおこう。
〔資料〕
「相模原事件 娘の死、向き合えぬ 62歳父、がん延命拒否」
毎日新聞(2017年7月22日 03時02分)
☆ 記事URL:https://mainichi.jp/articles/20170722/k00/00m/040/209000c
19人の命を一度に奪った「津久井やまゆり園」の殺傷事件。愛する長女(当時35歳)を失った父親(62)が口を開いた。現実に向き合おうとしては思い出がよみがえり涙する。その繰り返しの1年だった。自らは今春、がんと診断された。「もうすぐいくよ」。仏壇の前で毎朝、語り掛ける。【国本愛】
長女の朝は、甘めのコーヒーを飲むことから始まった。大きなマグカップに母親が氷を一つ落とす。眠そうな顔で一気に飲む。足りないとテーブルをカップでコンコンとたたいた。父親のまぶたには、そんな日常が焼き付いている。
仕事人間だった父親は49歳で早期退職してから、長女と一日中、一緒に過ごした。長女はソファに腰掛ける父親の足や肩をトントンとたたき、抱っこをせがんだ。本を読もうとすれば「かまって」とばかりにはたき落とした。夜中になると布団に潜り込んできた。
長女が食事を粗末にした時、怒ったことがある。すねて口を利いてくれなくなり、最後には折れて「ごめんね、お父さんが悪かった」と謝った。「気まぐれでわがままで、甘えん坊だった」
あの日の朝、テレビで事件を知った。駆け付けた園で職員から「亡くなりました」と知らされた。長女と対面できたのは午後8時ごろ。傷痕は見えなかった。「すごくきれいで、今にも起きそうだった」。家族だけの葬儀を済ませ、ひつぎには長女が大好きだった「となりのトトロ」の絵本を入れた。
そばにいたくて、四十九日まで骨つぼを枕元に置いた。毎朝、仏壇にコーヒーを供えて「元気か?」と声を掛け、「元気ってことはねえか」とつぶやくのが日課になった。
思い出が詰まった自宅での1人暮らしは、つらい。洗面所で歯磨きをすると、後ろから抱きついてきた長女を思い出す。トイレにも、リビングにも……。施設に預けた自分を責めた。少しずつ現実を受け止めようと生きてきたが、ふとした瞬間に「もういないんだ」という現実が去来し、おえつしてしまう。
今年3月、がんと診断されたが、延命治療は選択していない。
最後に会ったのは、事件の3週間前。肩の具合が悪く、いつもする抱っこができなかった。「次はしてあげるね」。すねた長女に言って別れた。父親は「最後に抱っこしてあげられなかった。早く会って、抱っこしてあげたいなあ」と、ぽつりと漏らした。
こんなツイート。
――一年前の今日。
高江を埋め尽くす紺色の隊列をSNSで見て、
なにが起こっているんだ?
と思った。
それから4日後に相模原で障がい者19人が殺される事件が起きた。
時代が傾いていくのを痛切に感じた。
ただただ、少しでも世の中の役に立たい。
そう想いながら高江へ飛んだ。〔12:22 - 2017年7月22日 〕――
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0c/3d1f8275905131c895329cff93b83b59.jpg)
日本列島を覆いつくした
棄民の思想。
相模原の事件は、
そんな状況下で起きた。
忘れないでおこう。
〔資料〕
「相模原事件 娘の死、向き合えぬ 62歳父、がん延命拒否」
毎日新聞(2017年7月22日 03時02分)
☆ 記事URL:https://mainichi.jp/articles/20170722/k00/00m/040/209000c
19人の命を一度に奪った「津久井やまゆり園」の殺傷事件。愛する長女(当時35歳)を失った父親(62)が口を開いた。現実に向き合おうとしては思い出がよみがえり涙する。その繰り返しの1年だった。自らは今春、がんと診断された。「もうすぐいくよ」。仏壇の前で毎朝、語り掛ける。【国本愛】
長女の朝は、甘めのコーヒーを飲むことから始まった。大きなマグカップに母親が氷を一つ落とす。眠そうな顔で一気に飲む。足りないとテーブルをカップでコンコンとたたいた。父親のまぶたには、そんな日常が焼き付いている。
仕事人間だった父親は49歳で早期退職してから、長女と一日中、一緒に過ごした。長女はソファに腰掛ける父親の足や肩をトントンとたたき、抱っこをせがんだ。本を読もうとすれば「かまって」とばかりにはたき落とした。夜中になると布団に潜り込んできた。
長女が食事を粗末にした時、怒ったことがある。すねて口を利いてくれなくなり、最後には折れて「ごめんね、お父さんが悪かった」と謝った。「気まぐれでわがままで、甘えん坊だった」
あの日の朝、テレビで事件を知った。駆け付けた園で職員から「亡くなりました」と知らされた。長女と対面できたのは午後8時ごろ。傷痕は見えなかった。「すごくきれいで、今にも起きそうだった」。家族だけの葬儀を済ませ、ひつぎには長女が大好きだった「となりのトトロ」の絵本を入れた。
そばにいたくて、四十九日まで骨つぼを枕元に置いた。毎朝、仏壇にコーヒーを供えて「元気か?」と声を掛け、「元気ってことはねえか」とつぶやくのが日課になった。
思い出が詰まった自宅での1人暮らしは、つらい。洗面所で歯磨きをすると、後ろから抱きついてきた長女を思い出す。トイレにも、リビングにも……。施設に預けた自分を責めた。少しずつ現実を受け止めようと生きてきたが、ふとした瞬間に「もういないんだ」という現実が去来し、おえつしてしまう。
今年3月、がんと診断されたが、延命治療は選択していない。
最後に会ったのは、事件の3週間前。肩の具合が悪く、いつもする抱っこができなかった。「次はしてあげるね」。すねた長女に言って別れた。父親は「最後に抱っこしてあげられなかった。早く会って、抱っこしてあげたいなあ」と、ぽつりと漏らした。
私は…
残念ながら…
政治利用の乳母棄てやまを
現代に
使えない奴は
要らない
使えない奴は
お前らくそ政権だ!!!!