TertuliaJapón @TertuliaJaponさんが
次のように問われます。
「もしも小沢氏が今、首相で、広島で生き埋めになっている人がいる中、ゴルフを続けていたら、新聞・テレビのメディアはどう扱ったであろうか?」と(〔16:52 - 2014年8月22日 〕参照)。
態度が
ごろっと変わるのかな、
と思います。
それを正当化する理由が
彼の
‟悪党面”
という印象だったと記憶してます。
このレッテルは、
どっから来たのか――。
テレビなどの
メディアを通して
そういう刷り込まれたのだとしたら、
まさに洗脳です。
ネットでも
「『彼は、悪党面している』から嫌い」
という評価を
目にしたことがあります。
実は、
違う人、数人から
同じ評価を聞き、
僕自身がそう感じるようになった
苦い記憶があるのです。
反省しなきゃならんなと思います。
心に突き刺さった棘です。
ただ、どうやって、
暗示を防げばいいのでしょう。
いろいろ考えました。
それで
思いましたが、
口を
つぐむからいけないのかもしれませんね。
では、何を言うか――。
心の中で、
そっと呟いてみましょうか。
(前を歩くな。
僕は、別のところに行ってしまうかもしれないから)
とでも。
あるいは、もし、
自分が他人の前を歩いてしまっている場合は、
(僕の後ろを歩くな。僕は、どこへ行くのかわからないから)
とでも言えばいいのかもしれない。
この、言い方、
少し表現が違いますが、
ネイティブアメリカンの名言さんのツイートからお借りしたものです
(〔20:09 - 2014年8月22日 〕参照)。
ユテ族の伝承として
紹介されてありました。
この名言の
締めは、
だから歩くときは横に並べ、という要請です。
メリットとして
「われわれもひとつになれるかもしれない」
と書かれています。
これ読んで、
ちょっとカルチャーショックを受けました。
ネイティブ・アメリカンの人たちって、
イギリスから
メイフラワー号に乗ってやってくる前から、
民主主義の核は、
掴んでいたのですね。
西部劇では
野蛮人としてしか描かれない彼らですが、
発掘されてない、
もしくは、芽を摘まれてしまったがために
再現のしようのない彼らの文化に
思いを致しました。
さて、話が少しずれたので、
戻します。
思うに、
民主主義の命って
対等性ではないでしょうか。
日本は、
縦社会でしょ?
だから民主主義が根付き難いんだろうと思います。
また、
それゆえにこそ、
縦社会だからこそ暗示や洗脳が
幅を利かすのだと考えたら、
合点が行きます。
つまり、
縦社会は、
思考停止を招くのですよ。
日本人の「空気を読む文化」は、
この縦社会ということと
密接不可分ではないかと思います。
だとすれば、
空気を読まなくなることが
そのまま
歩んでいる民主主義の道標ということです。
こう考えたら、
暗示にかかりそうだと思ったとき、
(横に並べ)
という要請を
自分にしてみる絶好のチャンスということになります。
人の前を歩き
誰をも引き連れようとせず、
逆にまた、
後ろを歩き判断を他人任せにせず、
自分で自分の行く道を決するようにすれば、
階段を上るように
個が形成されるのでしょう。
次のように問われます。
「もしも小沢氏が今、首相で、広島で生き埋めになっている人がいる中、ゴルフを続けていたら、新聞・テレビのメディアはどう扱ったであろうか?」と(〔16:52 - 2014年8月22日 〕参照)。
態度が
ごろっと変わるのかな、
と思います。
それを正当化する理由が
彼の
‟悪党面”
という印象だったと記憶してます。
このレッテルは、
どっから来たのか――。
テレビなどの
メディアを通して
そういう刷り込まれたのだとしたら、
まさに洗脳です。
ネットでも
「『彼は、悪党面している』から嫌い」
という評価を
目にしたことがあります。
実は、
違う人、数人から
同じ評価を聞き、
僕自身がそう感じるようになった
苦い記憶があるのです。
反省しなきゃならんなと思います。
心に突き刺さった棘です。
ただ、どうやって、
暗示を防げばいいのでしょう。
いろいろ考えました。
それで
思いましたが、
口を
つぐむからいけないのかもしれませんね。
では、何を言うか――。
心の中で、
そっと呟いてみましょうか。
(前を歩くな。
僕は、別のところに行ってしまうかもしれないから)
とでも。
あるいは、もし、
自分が他人の前を歩いてしまっている場合は、
(僕の後ろを歩くな。僕は、どこへ行くのかわからないから)
とでも言えばいいのかもしれない。
この、言い方、
少し表現が違いますが、
ネイティブアメリカンの名言さんのツイートからお借りしたものです
(〔20:09 - 2014年8月22日 〕参照)。
ユテ族の伝承として
紹介されてありました。
この名言の
締めは、
だから歩くときは横に並べ、という要請です。
メリットとして
「われわれもひとつになれるかもしれない」
と書かれています。
これ読んで、
ちょっとカルチャーショックを受けました。
ネイティブ・アメリカンの人たちって、
イギリスから
メイフラワー号に乗ってやってくる前から、
民主主義の核は、
掴んでいたのですね。
西部劇では
野蛮人としてしか描かれない彼らですが、
発掘されてない、
もしくは、芽を摘まれてしまったがために
再現のしようのない彼らの文化に
思いを致しました。
さて、話が少しずれたので、
戻します。
思うに、
民主主義の命って
対等性ではないでしょうか。
日本は、
縦社会でしょ?
だから民主主義が根付き難いんだろうと思います。
また、
それゆえにこそ、
縦社会だからこそ暗示や洗脳が
幅を利かすのだと考えたら、
合点が行きます。
つまり、
縦社会は、
思考停止を招くのですよ。
日本人の「空気を読む文化」は、
この縦社会ということと
密接不可分ではないかと思います。
だとすれば、
空気を読まなくなることが
そのまま
歩んでいる民主主義の道標ということです。
こう考えたら、
暗示にかかりそうだと思ったとき、
(横に並べ)
という要請を
自分にしてみる絶好のチャンスということになります。
人の前を歩き
誰をも引き連れようとせず、
逆にまた、
後ろを歩き判断を他人任せにせず、
自分で自分の行く道を決するようにすれば、
階段を上るように
個が形成されるのでしょう。
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