内田樹@levinassien さんのツイートを
紹介する。
――大学は死にかけています。というより「死にかけた大学」しか延命できないようなシニカルな仕組みを教育行政は作り上げたというべきでしょう。文科省にきっぱり背を向け、メディアの煽りを意に介さない大学しか「大学として」は生き延びられない段階に入ったと思います。〔8:20 - 2014年10月3日 〕――
ちなみに、横浜国立大学教授の室井尚氏によると、
文科省の露骨な指示によって、
すでに国立大学での教員養成系、文系の廃止は着実にすすめられているとのことだ
(拙稿「『大学改革』の名の下に進行する文化破壊と知的荒廃」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/9ab5b817afadf10ab820efd92b0d9bb0)。
なぜか――。
残念ながら、
「市場原理が導入されカネをうまない学問を切り捨てていく」
という流れがあるようだ。
恐ろしいことに、
この流れを引っ張っているのは、
学問と無縁な、
あの金目の物を欲しがる卑しい男、安倍晋三だ。
彼は、
こういう。
「私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」(5月6日のOECD閣僚理事会基調演説)。
上掲サイトの記事執筆者、村田哲志氏は、
教育から、
「学術研究を深める」視点が欠落した結果、
生じたのが
3.11福島原発事故の惨事であり、
STAP論文騒動だとされる。
いずれも、
短期的な経済の論理だけに追随し、
人類史や文明史のなかに科学技術を位置づけることができなかったことが
背景にある。
思うに、後者の、小保方さんの報道において
マスコミが
「5年任期の研究員ポジションにつき、
任期内に結果が出せなければ地位を失うギリギリの状態に置かれていた」
という状況をまるで伝えなかったことに、
その傾向が顕著に現れている。
すなわち、
あの事件の本当の問題は、
病的なほどの
投資と
その莫大な費用の回収という観点からでしか
教育を評価しない
社会の裏返しのメッセージとして存在したのに、
小保方晴子という研究者のみが
糾弾され、
短い間に有能な研究者を消耗してしまう
社会システムに潜む
問題がまったく掘り起こされることがなかった。
病巣にメスが入れられず、
3.11福島原発事故と同様に、むしろ、何事もなかったように
歪んだシステムが維持された。
この後、
どんなに長きにわたる
不毛の時代が続くことだろう。
冒頭紹介した
内田氏の言葉は、
それを知らせるシグナルだ。
あのときはこうだった――
という証言として、
時代を超えて残っていくのじゃないかな。
紹介する。
――大学は死にかけています。というより「死にかけた大学」しか延命できないようなシニカルな仕組みを教育行政は作り上げたというべきでしょう。文科省にきっぱり背を向け、メディアの煽りを意に介さない大学しか「大学として」は生き延びられない段階に入ったと思います。〔8:20 - 2014年10月3日 〕――
ちなみに、横浜国立大学教授の室井尚氏によると、
文科省の露骨な指示によって、
すでに国立大学での教員養成系、文系の廃止は着実にすすめられているとのことだ
(拙稿「『大学改革』の名の下に進行する文化破壊と知的荒廃」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/9ab5b817afadf10ab820efd92b0d9bb0)。
なぜか――。
残念ながら、
「市場原理が導入されカネをうまない学問を切り捨てていく」
という流れがあるようだ。
恐ろしいことに、
この流れを引っ張っているのは、
学問と無縁な、
あの金目の物を欲しがる卑しい男、安倍晋三だ。
彼は、
こういう。
「私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」(5月6日のOECD閣僚理事会基調演説)。
上掲サイトの記事執筆者、村田哲志氏は、
教育から、
「学術研究を深める」視点が欠落した結果、
生じたのが
3.11福島原発事故の惨事であり、
STAP論文騒動だとされる。
いずれも、
短期的な経済の論理だけに追随し、
人類史や文明史のなかに科学技術を位置づけることができなかったことが
背景にある。
思うに、後者の、小保方さんの報道において
マスコミが
「5年任期の研究員ポジションにつき、
任期内に結果が出せなければ地位を失うギリギリの状態に置かれていた」
という状況をまるで伝えなかったことに、
その傾向が顕著に現れている。
すなわち、
あの事件の本当の問題は、
病的なほどの
投資と
その莫大な費用の回収という観点からでしか
教育を評価しない
社会の裏返しのメッセージとして存在したのに、
小保方晴子という研究者のみが
糾弾され、
短い間に有能な研究者を消耗してしまう
社会システムに潜む
問題がまったく掘り起こされることがなかった。
病巣にメスが入れられず、
3.11福島原発事故と同様に、むしろ、何事もなかったように
歪んだシステムが維持された。
この後、
どんなに長きにわたる
不毛の時代が続くことだろう。
冒頭紹介した
内田氏の言葉は、
それを知らせるシグナルだ。
あのときはこうだった――
という証言として、
時代を超えて残っていくのじゃないかな。
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