のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

三浦瑠麗と近畿財務局の自死された方へのお悔やみ

2018年03月10日 11時42分54秒 | 安倍某とそのお友達
冨永 格(たぬちん)@tanutinnさんが

――フジテレビ「みんなのニュース」で近畿財務局職員の自殺。コメンテーターの三浦瑠麗さん「この問題は本当に、人が死ぬほどの問題じゃないんですよ」…ほかに言いようがある。ご遺族の前で同じこと言える?〔18:06 - 2018年3月9日 〕――

という風にまとめたので、三浦が次のように反論。

――この元記者の方が、フジテレビでの発言を悪意ある切り取りにしてデマを拡散しているようですが、
財務省は過ちがあるのなら出して明らかにした方がいい。そもそも人が死ななければならないような問題ではないとコメントしていました。悪意を拡散し続けるようならば通報します。〔20:06 - 2018年3月9日 〕――

一体、どんな文脈で語ったのか。

番組の様子を収録をした動画を見つけたので紹介する。

動画には、

「三浦瑠麗と近畿財務局の自死された方へのお悔やみ」

というタイトルがついていた。



三浦の発言に対して、

gik1005@gik1005さんが

――命懸けの訴えの可能性もあるのです。
それほど恐ろしいものが
そこにはあるのではないですか?〔20:06 - 2018年3月9日〕――

とコメントされている。

同感だな。

同時に、

殺人の可能性さえあるのに三浦は、

よくも「原本を出せばいい」などとよくも容易く言えるものだと思う。

原本を出す出さないは、

証人喚問の際の証人を出す、出さないという問題についても言える。

大した問題でないというなら、野党の要請に応じない

与党を糾弾して見ろ

と思うな。

証拠の隠蔽という文脈を離れて、

役人が上司から命令されて、殊更、実行したコピーの改変のみを取り出して

死ぬほどのことではなかったと言い張っているように見える。

しかし、死んだからこそ、

逆説的だが、

死ぬほどの罪あることを実行したと自ら立証したことになるのではないか。

そこが見逃されている。

また、この論点は、

いじめの問題とよく似ている。

位牌状のものを作って本人の名前が書き込んで机の上に置いておく。

置かれた者が

「死ね」というメッセージを読み取って自殺したとする。

加害者が弁明の言葉として言うのは、

大抵、その程度のことで

死ぬとは思わなかったということだ。

その場合、

虐めに遭った人が実際に死ぬ行為を選択することで、

加害者にとって、

大した問題でないことでも、

やられた被害者側からすれば死を賭しても訴えたい大問題であったということだ。

大事なのは、

客観的な判断ではなくと、

被害者の主観的な判断なのだな。

加害者にとって、

一見理不尽なこの結果は、

加害の痛みは、

被害者にとっては、直接感じ取れることでも

加害者側からすれば、、

想像力の力を借りなければならない事実に根差すから

仕方がない。

想像力が及ばないリスクは、

加害者が負うことになる。

そんなリスクは負いたくないってんなら、

虐めに加担しなければいいわけだ。


<追記>

孫崎 享@magosaki_ukeruさんのツイート。

――自殺:朝日「男性職員は当時、学園側と直接売却交渉をしていた職員の部下にあたる上席国有財産管理官を務めていた。」東京「問題発覚直前の同年一月、取材に対応」 産経「男性職員は、学園側と直接売却交渉をしていた職員の部下」。毎日「自殺理由不明」読売online探してるが私は見つけられない16:52 - 2018年3月9日〕――

自殺理由が見つけられないという、

この指摘は、

極めて重要。

三浦のような、

「人が死ぬほどの問題じゃない」

という決めつけをしないとするなら殺された可能性を考慮すべきだろう。

2018年3月10日昼 記



<追記-2>

三浦の発言を書き起こしてくださっている方がいたので

転載する。

モトカル@motocullさんのツイートだ。

――1:「最初は本当に小さな事件から始まったことが人死にを出したということですけども。私がやっぱり気になるのは書き換えに関しては明確な答弁はしてないんですね。そうした時に本当に官僚としてはしっかり事実を出すと。〔13:56 - 2018年3月10日 〕――

――2:「出すとこは出した上で責任者は処分する部分は処分するかもしれませんけれども、本当にこの問題っていうのは人が死ぬほどの問題じゃないんですよ。ということをやはり皆さんに対してお伝えしたいなと思います」〔13:56 - 2018年3月10日 〕――

1に「人死に」とある。

こんな単語があるんだな。知らんかったので勉強になった。

しかし、富永さんへの

「この元記者の方が、フジテレビでの発言を悪意ある切り取りにしてデマを拡散しているようですが、
財務省は過ちがあるのなら出して明らかにした方がいい。そもそも人が死ななければならないような問題ではないとコメントしていました。悪意を拡散し続けるようならば通報します」

という文を読み返して、

何にも学びがない。

むしろ、敢然と嘘が書かれてあることに

愕然とする。

どこがどう嘘かと言うと、

次の点だ。

1.フジテレビでの発言を悪意ある切り取りにしてデマを拡散

  〚検討〛

批判的に引用されると、三浦は、「悪意ある切り取り」だと

詰る癖があるようだ。

しかし、富永さんの文章のどこに「デマ」が記されているのだろう。

自分が批判を許すような

わきの甘い文章を書いていることについて、

まるで反省がないのは、

学級の徒として問題があり過ぎじゃないか。


2.「財務省は過ちがあるのなら出して明らかにした方がいい」

  〚検討〛

彼女は、この命題をフジTVの番組では、

「官僚としてはしっかり事実を出す」となっている。

これが富永批判では、

上掲命題のようになっている。

これ、似ているようで非なるものだ。

官僚が独自に「事実を出す」となったら、

内部告発しかない。

しかし、日本でそれは適法行為としてしっかり正当化されているだろうか。

答は、NOだ。

だったら、コメンテーターとしては、

無茶を官僚に求めたことになる。

富永批判に際しては、

この表現が修正されて「財務省は過ちがあるのなら出して明らかにした方がいい」

となっている。

これならば、実行の主体は、麻生大臣で

無茶な要求ではない。

これは、

単なる表現の問題ではない。

認識の問題だ。

財務省にある過ちは、

自分の行動によって取り除ける障害ではないということだ。

そういう認識を持つか持たないかは、

官僚の気持ちを推し量る上でとても重要だ。

三浦が

「死ぬほどの問題じゃない」

と嘯けるのは、

官僚を主語にして言った事柄を大臣を主語にした

言い換えたならば、とのことだ。

3.「そもそも人が死ななければならないような問題ではない」

  〚検討〛

この文章は、

元の彼女自身のコメントである

「本当にこの問題っていうのは人が死ぬほどの問題じゃない」

という表現ではない。

しかし、そっくり同じではないにしろ、

意味からして

同じ文章といえる。

こんな風に、

自分の表現をそのままに再現せず、「私はこう言った」と言えば、

話を聞く方は、

批判のため引用された表現には誤解があるかのような、あるいは、富永さんが嘘を言っているような

錯覚をする。

それこそ、悪意ある言い換えによるデマだ。

学者の良心としてどうなんだろうか。

こんな人が学者として通用している現実を恥ずかしく思う。

さて、「死ぬほどの問題じゃない」と

言えないのだとすると、なぜ、亡くなったのか――。

思うに、仮に、死んだ男性職員が殺されたんじゃないとすれば、

「これは、書き換えられた文書」だとか、

事実関係を明らかにする権限のないのにさもあるかのような前提で、

無理くりに文書を所持させるといった類の

不正義(パワハラ)に直面して、それに対する異議申し立てとして死を選んだ

という風にも考えられるのではないか。

僕は、

そう受け取った。

2018年3月10日夕方 記






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2 コメント

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Unknown (和室ファンド(99%へ再分配・無添加ジャムサンド)
2018-03-10 13:03:43
火消し要員のコメンテーターですね。

こんな独裁政治止めさせなくては
ほんとに、なんとかならないのか
返信する
Unknown (なか)
2018-03-10 22:22:32
三浦瑠麗ってCIAで台湾国籍かな?安倍晋三と飯を喰った直後からテレビ露出が増えたね!まあそう言う役割なんでしょうね。
返信する

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