白井さんは、
国体論を引き合いに出して
安倍政権の支持率が下がらない理由ないし背景として
説明しておられる。
しかし、安倍政権は、売国政権だ。
この人には、
それが見えないのだろうか?
僕にはハテナ・マークがいっぱい立つ。
売国奴と
意識の深層で共鳴しているとは考えにくい。
今一度、謙虚に再考して欲しい。
山田厚史さんが
「一見盤石な安倍政権に内部崩壊の予兆を見る4つの理由」という
論稿を書いている
(サイト「DIAMOND ONLINE」所収)。
☆ 記事URL:https://diamond.jp/articles/-/114704
そこに
次のような記述ある。
――「安倍政権は崩壊前夜だ」と言うと、「そんなバカな」と大方の人は思うだろう。「希望的観測だね」とたしなめられることもある。
衆参両院で安定多数を確保、野党第一党は勢いも人気もない。維新の会も次世代の党も与党ににじり寄る。安倍体制は盤石。誰が見ても政権を脅かす勢力はない。こういう時に内部崩壊の芽は膨らむ。
目を凝らすと官邸にほころびが見える。与党は膨張しながら分裂のエネルギーを貯めている。とり残される地方に政権離れが起きても不思議ではない。そして天皇。人々は「政権の驕り」を感じ始めたのではないか。――
山田さんが掲げられる
内部崩壊の予兆を見る4つの理由は、
次のごとくだ。
(1)安倍官邸が決して一枚岩でない。お側用人、今井直哉と官邸の番頭、菅義偉に隙間風がある。ロシア外交を巡って顕在化した。
(2)公明党の内部に「安倍自民党の驕り」への反発が強まっている。発端は「カジノ解禁」だ。
(3)「アベノミクスは道半ば」というが、地方は恩恵が来ないことに気づいた。 30もの自治体が「カジノ誘致」に手を上げているのも、他に頼るものがないからだ。そのカジノも地方には来ないことが遠からず分かる。
(4)「安倍か、天皇か」という選択になれば、天皇に軍配を上げる人が多いのではないか。 天皇制という昭和史を波乱に巻き込んだシステムが、平成の世に新たな問いかけをしている。「国民統合の象徴」として自らの任務を生真面目に貫こうとする天皇と、それを迷惑に思う首相。
以上、4つの理由からして
安倍政権の脆弱さは明らかだ。
白井さんが言う
「支配の否認」という心理機序のせいで、
支持率の動きは底堅くとも
さほど奇異に思われないということはあるだろう。
しかし、米国の
日本支配は限界を越している。
愚民論が破綻したとき、
支持率の高止まりにつき、メディアが疑われる。
一旦、
メディアへの信頼がぐらつき出した
不正選挙の感覚を
多くの人が持つに至るだろう。
米国を頂点とした国体が瓦解するのは
時間の問題ではないだろうか。
<追記>
FIFAのサッカー試合で
ファンたちが
安倍に
「ちんぽ見せろ、安倍」と
ツイッター上で暴言を浴びせた
(拙稿「FIFAワールドカップの「ちんぽを見せろ安倍晋三」という卑猥なタグに見る、我が国・独裁者の凋落の気配。内部崩壊は、間近か」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/d47f60a045834fdf5a5816ac89dc5419
この行動、
ネトウヨたちの安倍からの離反現象だと
受け取っている。
だとすると、
(5)として掲げていい
内部崩壊の予兆と見ていいだろう。
〔資料〕
「白井聡さん / 「安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景」」
AERA(2018.5.18 07:00)
☆ 記事URL:https://dot.asahi.com/dot/2018051700072.html?page=1
森友・加計問題で次々と新事実が明らかになり、安倍晋三首相をはじめ、担当大臣や官僚が野党やメディアから徹底的に追及を受けている。だが、メディア各社の世論調査では、安倍内閣の支持率は38.9%(共同通信、5月14、15日調べ)で、倒閣運動が始まる「危険水域」の前で安定している。
文書改ざんや国会での「記憶がない」「メモがない」発言など、国民への説明をかたくなに拒否する安倍政権が、なぜ支持を集めているのか。
そういった問いに、正面から切り込んだ著書が話題を集めている。政治学者・白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)だ。発売から約1カ月で、政治の本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。
白井氏によると、今の日本人は「戦後の国体」に支配されているという。それは一体、どういう意味なのか。インタビュー前編。
* * *
──安倍政権とは、戦後日本の歴史でどのような存在なのでしょうか。
(白井聡氏、以下回答部分は同じ)
これだけの腐敗と無能をさらけ出しているにもかかわらず、安倍政権が長期本格政権になってしまった。日本はすでに破局を迎えているのではないでしょうか。
政権の常軌を逸したひどさが日々刻々と証明されてきたにもかかわらず、支持率の動きは底堅い。これが示しているのは、自分たちの社会が破綻しているということからも、劣悪な支配が進んでいるということからも目を背けている人々が数多くいる、ということです。
新著『国体論 菊と星条旗』で論じたことですが、現代は戦前のレジームの崩壊期を反復している時代です。あの時代を今から振り返ると、「この時期の日本人て、何やってんだ? バカじゃないのか?」と私たちは感じるわけですが、崩壊期というのはそういうものなのでしょう。安倍政権もそれを支持してきた日本社会も、こうした時代にふさわしい状態にある。
──そのことと、「国体」とはどう関係するのでしょうか。
端的に言うと、「国体」のなかで育てられた人間は、自由を知らず、民主制における政治的主体になり得ないのです。
一般に国体と言えば、「万世一系」の天皇を家長とし、その子である臣民で構成された共同体という物語です。こうした家族国家観は、家族の間に支配はない、と「支配の否認」という心の構造を日本人に埋め込んでしまった。
もちろん、戦前の国体は、敗戦を契機に粉砕されたことになっていますが、実際にはそれは戦後も途切れていないと私は考えています。
では、「戦後の国体」とは何か。それは、敗戦後に米国が天皇に変わって頂点を占めるようになった支配構造です。よく知られているように、GHQは日本を円滑に統治し、親米国へと作り変えるためには天皇制を残すべきと決めました。それは、熱心な研究の末に彼らが得た結論でした。その結果、「米国に支配されている」という事実が曖昧なものになっていきました。
やがてそれは、長い時間を経て「自発的に米国に従属し、かつ、そうしていることを否認する」という日本人を生み出しました。日本が世界に類をみない対米従属の国であるのは、被支配の事実を今の日本人がちゃんと認識していないことです。
支配されていること、つまり不自由を自覚するところから自由への希求と知性の発展が始まりますが、そもそも支配されているとの自覚がなければ、何も始まらず、奴隷根性だけがはびこります。「支配の否認」を続けている限りは、日本はこの閉塞感から抜け出すことも、さらなる破局を逃れることもできないでしょう。
──安倍政権は米国との協調姿勢をアピールしています。
安倍首相は、皇居にいる今上天皇よりも、米大統領を天皇のように扱っています。ゴルフ場で安倍氏がバンカーに転げ落ちた後、必死にトランプ氏に追いすがる姿は象徴的でしたね。こんな国辱的外交を「外交の安倍」などとメディアは評している。
こういう具合に、対米従属レジームの親分である安倍首相が米大統領を権威として崇めることが当然視されている一方で、同じその親分は今上天皇の譲位の意思表明に対してどういう態度をとったか。
退位をめぐる有識者会議では、日本会議系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」との発言があり、天皇が「批判をされたことがショックだった」と話していたことが、毎日新聞の記事で明らかになりました(宮内庁は発言を否定)。宮内庁筋からは「陛下の生き方を全否定するものだ」という最高度の非難の言葉も出てきた。
さきほど言ったように、戦後国体はGHQが天皇制を利用することで形作られた、つまりは天皇と米国が一体化したような国体が生まれたわけですが、ついに日本の保守派にとって、天皇制の頂点を占めるものは明白に米国になったということです。
だとすると、東京に居る天皇は何なのだということになる。存在意義がなくなってしまう。そうした文脈から昭恵夫人の言動を見ると、興味深いですよ。
昭恵さんの「私は天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」という発言を知って、私は驚愕したわけです。これって、「私は日本国民の一番上から一番下までつながれる、上から下までみんな私を通してつながる」という話で、それはつまり「私は国民の統合をつくり出せる」と言っているわけです。首相が天皇(米国)の代官をやっているうちに、首相夫人は自分が皇后陛下だみたいな気分になってきたようですね。
こういう具合に、末期的症状はここかしこに見えてきています。しかし、だからといって、国体が自然消滅したりはしないでしょう。「戦前の国体」の最期がどういうものだったか、想い起すべきです。
1945年の敗戦の時、国家指導層は「国体護持」のみをひたすら目指したために、犠牲を増やし続けました。明治維新から1945年の敗戦までが77年。そして、2022年には、戦後も同じ77年目を数えることになります。いよいよこれから「戦後の国体」の断末魔の時期に差し掛かって来るのではないでしょうか。
(後編に続く)
(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)
〔資料〕
「一見盤石な安倍政権に内部崩壊の予兆を見る4つの理由」
DIAMOND online 山田厚史さん・文(2017.1.19)
☆ 記事URL:https://diamond.jp/articles/-/114704
「安倍政権は崩壊前夜だ」と言うと、「そんなバカな」と大方の人は思うだろう。「希望的観測だね」とたしなめられることもある。
衆参両院で安定多数を確保、野党第一党は勢いも人気もない。維新の会も次世代の党も与党ににじり寄る。安倍体制は盤石。誰が見ても政権を脅かす勢力はない。こういう時に内部崩壊の芽は膨らむ。
目を凝らすと官邸にほころびが見える。与党は膨張しながら分裂のエネルギーを貯めている。とり残される地方に政権離れが起きても不思議ではない。そして天皇。人々は「政権の驕り」を感じ始めたのではないか。
アメリカにトランプ政権が誕生する。ポピュリズムが生んだ怪物に真っ先に駆けつけ「信頼できる指導者」と持ち上げた見識が、いよいよ問われる。
「官邸の番頭」菅官房長官と
「お側用人」今井政務秘書官にすきま風
安倍政権の特徴は「政治主導・官邸支配」。長期政権を続けていたころ、自民党は「官僚支配」だった。小泉政権で政治主導へと動き、福田内閣・麻生内閣で引き戻されたが、第二次安倍内閣は、官邸に権力を集中させた。政策の方向性は内閣官房で決める。かつてのように省庁間の力比べで方向が決まる(その結果が財務省支配だった)というスタイルではなくなった。省庁はできる官僚を官邸や内閣府に送り込み、官房長官のおひざ元で政策論議が行われるようになった。ホワイトハウス型の政治だ。
要にいるのが官房長官。官邸主導になれば官房長官の役割が重くなる。菅義偉という人物抜きに安倍政権は語れない。内閣人事局を設置し、審議官から上の任免権を握り、一段とにらみを利かすようになった。
官僚は、菅に歯向かわず、菅に気に入ってもらって政策を遂行しようとする。4年経ったいま、留守にしがちな首相に代わって「官邸の主」は官房長官である。
政権のもう一つの特徴は「経産省主導」。父晋太郎は通産大臣が長く、晋三は経産省に知り合いが多い。昔からの知り合いを重用する安倍が頼っているのが政務秘書官の今井直哉だ。第一次安倍内閣の時、経産省から秘書官として送り込まれ、信認を得た。安倍の日程管理、面会者の人選、報告事項の差配など、首相の操縦桿を握るのが今井だ。
政務秘書官である「お側用人」と、官邸を取り仕切る「番頭」。微妙なすきま風が吹き始めた、といわれる。集中する権力にありがちなことだ。
昨年11月、官邸は内閣官房参与でもある谷内正太郎国家安全保障局局長をモスクワに送った。谷内氏は外務事務次官を務めた外務省OB、安倍首相の歴史認識が問われた「70年談話」の際は、オバマ政権との調整役を果たした。谷内氏の訪ロには、政府内に抵抗があった。経済産業省である。
これまで対ロ交渉は経産省主導で、今井秘書官・世耕経産相のラインで進められてきた。今井はロシアが苦しい今こそ北方領土を引き寄せるチャンスと考えた。クリミア併合で米欧から経済制裁を受け、原油価格の下落が重なり経済に痛手を受けている。交渉を持ち掛ければ乗ってくる、と考え、官房副長官だった世耕と組んで領土交渉へと政権を動かした。エサは経済協力。シベリア開発に日本が協力し、領土問題で譲歩を引き出そうとした。
前回の『成果なき北方領土交渉と真珠湾訪問に見る安倍外交の迷走』にも書いたが、こうした流れを頓挫させたのが谷内の訪ロだった。モスクワでの予備折衝で、「返還した領土に米軍が基地を作る可能性はあるか」というとロシア側の問いに「可能性はある」と答えた。
「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」
10日後、ペルーのリマで行われたAPECAP首脳会議で会ったプーチンは安倍にそう言った。安倍は「谷内発言はあくまでも原則論だ」と釈明したが、原則を回避する方策は示されなかった。
交渉の最終局面に、越えがたい難問が持ち出される。日本側の交渉姿勢に問題があった。底流には経産省と外務省の対立がある。対ロ交渉に限らず、経済が絡む外交で、両省が主導権争いをすることはよくある。経済案件は経産省、政治や安全保障が絡む問題は外務省、という棲み分けがあるが、経産主導で進む対ロ交渉に外務省は危うさを感じていた。
ウクライナやシリアでロシアと対立するアメリカも、安倍のプーチン接近を快く思っていなかった。対米関係を重視する外務省が、最後の局面で安全保障問題を持ち出して、交渉にブレーキを掛けた。安倍も「日米関係」を持ち出されると強いことは言えない。
では外務省は、返還後の島に米軍施設を置かないよう米国を説得したのか。その形跡は見当たらない。外務省は「米国の了解が取れない」ことを口実に、今井・世耕ラインが進める対ロ交渉を潰しにかかった、と見てもおかしくない展開だった。
官邸主導外交なのに、官邸がまとまっていなかった。官邸を仕切る菅の責任である。経産省主導の交渉に外務省やアメリカが違和感を持っていたことを菅は知っていたはずだ。その調整ができなかったのか、しなかったのか。いずれにせよこの「すきま風」は安倍官邸が決して一枚岩でないことを物語っている。
安倍自民党の驕りへ
反発が強まる公明党の「離反」
似た亀裂が与党内部にも生じている。公明党の「離反」である。
安倍首相は正月の挨拶で「今年に解散することは考えていない」と発言し政界をビックリさせた。安倍はスピーチライターが書いた言葉をなぞる演説が多いため、会合の挨拶などプロンプターがないと、あやふやなスピーチになる。「年内解散なし」など言ってはいけない言葉がポロリと漏れ、後で訂正する醜態を演じた。永田町の空気は一変した。やはり今年は無理なのか、と。
年末に都議会公明党が自民党と共闘を解消し、小池与党にまわった。夏に予定されると議会選挙は小池知事と組んで戦う。この動きが安倍の選挙戦略を揺さぶった。
衆院で単独過半数を占める自民党だが、小選挙区には公明票を上積みしないと当選が危うい議員がたくさんいる。東京で選挙協力に支障が出るなら解散はすぐ打てない――。
公明党の内部に「安倍自民党の驕り」への反発が強まっている。発端は「カジノ解禁」だ。TPP関連法案を通すため、と会期を延長した臨時国会で、自民党はろくな審議もないままカジノ解禁を強行した。党内で賛否がまとまっていない公明党は「自主投票」を余儀なくされ、賛否が割れるぶざまな姿を晒した。
自民党は大阪にカジノを誘致したい維新の会を取り込むため、公明党の事情を無視したのである。自公共闘があるから安倍自民は安泰なのに、与党の枠を広げようと維新に接近する菅官房長官のやり方に、怒りが渦巻いている。安保法制や秘密保護法でも、支持母体の創価学会に異論があったが、自民に付き従った。離反すると維新の会に乗り換えられる不安があった。公明は与党から抜けられない、と見透かされ粗略な扱いを受ける公明党が、都議会で「抵抗姿勢」を示した。
維新、次世代が与党になびき、安倍政権への体制固めが着々と進んでいるように見える。だが、与党は膨張することで内部分裂という危機を抱えることになる。
「田舎」は置き去りのアベノミクス
地方選挙で弱体化する自民党
自民党は地方で強い、という神話が揺らいでいる。参議院選挙で接戦となった1人区ではほとんど競り負けた。自民党は「天下党」なのでどの自治体でも息のかかった候補者がいる。野党は強い候補者が立てられない地域がほとんどだが、争点が明確になり、野党候補が様になる選挙ができる場面になると自民はもろい。典型が新潟知事選だ。原発が争点となり共産・社民と市民運動が応援した候補が勝った。鹿児島でも同じことが起きている。「アベノミクスは道半ば」というが、地方は恩恵が来ないことに気づいた。TPPはトランプで頓挫したが、自民党が農民の味方ではないことも浸透している。
30もの自治体が「カジノ誘致」に手を上げているのも、他に頼るものがないからだ。そのカジノも地方には来ないことが遠からず分かる。
地方の小選挙区で自民が危ないのは「都市部である1区」と言われてきたが、いわゆる「田舎」で自民党は弱くなっている。
「企業が世界一働きやすい日本に」という安倍政権は、小泉・竹中路線の新自由主義が政策の軸にある。置き去りにされる地方はもはや自民党の金城湯池ではない。
「安倍官邸に権力が集まり政治家も役人も上ばかり見るようになった。中央や官邸に目が向かい津々浦々で何が起こっているか、ということに鈍感になった。反乱は地方から起こるかもしれない」
自民党の閣僚経験者はそ指摘する。外遊好きの安倍首相は、フィリピンで1兆円の経済協力など海外で気前よくカネをばら撒く。日本の地方に暮らす人が、それをどう感じるのだろうか。
「天皇陛下のご意向」への対応に
民心はどう反応するか
安倍官邸の「驕り」を映し出したのが天皇の退位問題だ。ビデオメッセージに込められた「天皇陛下のご意向」に安倍政権の対応は正反対だ。「国民の象徴として公務に力を入れたい」「高齢になると務めを果たせないから、生前退位を認めてほしい」という天皇に対し「ご公務は減らせばいい。生前退位は制度化しない、今回限り」というのが安倍政権である。天皇の内心はいかばかりか。異例のビデオメッセージという手段に出たものの、政府は「迷惑」と言わんばかりの対応だ。
安倍首相は保守の政治家なのに天皇を粗略に扱っている、というイメージが形成されつつある。被災地や戦争の傷跡を訪問され、国民や平和な世の中に寄り添おうとする天皇の姿勢は人々の静かな共感を集めている。「安倍か、天皇か」という選択になれば、天皇に軍配を上げる人が多いのではないか。
天皇制という昭和史を波乱に巻き込んだシステムが、平成の世に新たな問いかけをしている。「国民統合の象徴」として自らの任務を生真面目に貫こうとする天皇と、それを迷惑に思う首相。
「ご意向」を「無視」ですり抜けようとするならば、民心はどう反応するだろう。
権力は強くなるほど「傲慢」になる。耳触りのいい情報しか入らない。民心が見えない。脅かす勢力がなくなると、内部で戦いが始まる。
権力の内部崩壊は、満月の夜に始まる。
(デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員 山田厚史)
国体論を引き合いに出して
安倍政権の支持率が下がらない理由ないし背景として
説明しておられる。
しかし、安倍政権は、売国政権だ。
この人には、
それが見えないのだろうか?
僕にはハテナ・マークがいっぱい立つ。
売国奴と
意識の深層で共鳴しているとは考えにくい。
今一度、謙虚に再考して欲しい。
山田厚史さんが
「一見盤石な安倍政権に内部崩壊の予兆を見る4つの理由」という
論稿を書いている
(サイト「DIAMOND ONLINE」所収)。
☆ 記事URL:https://diamond.jp/articles/-/114704
そこに
次のような記述ある。
――「安倍政権は崩壊前夜だ」と言うと、「そんなバカな」と大方の人は思うだろう。「希望的観測だね」とたしなめられることもある。
衆参両院で安定多数を確保、野党第一党は勢いも人気もない。維新の会も次世代の党も与党ににじり寄る。安倍体制は盤石。誰が見ても政権を脅かす勢力はない。こういう時に内部崩壊の芽は膨らむ。
目を凝らすと官邸にほころびが見える。与党は膨張しながら分裂のエネルギーを貯めている。とり残される地方に政権離れが起きても不思議ではない。そして天皇。人々は「政権の驕り」を感じ始めたのではないか。――
山田さんが掲げられる
内部崩壊の予兆を見る4つの理由は、
次のごとくだ。
(1)安倍官邸が決して一枚岩でない。お側用人、今井直哉と官邸の番頭、菅義偉に隙間風がある。ロシア外交を巡って顕在化した。
(2)公明党の内部に「安倍自民党の驕り」への反発が強まっている。発端は「カジノ解禁」だ。
(3)「アベノミクスは道半ば」というが、地方は恩恵が来ないことに気づいた。 30もの自治体が「カジノ誘致」に手を上げているのも、他に頼るものがないからだ。そのカジノも地方には来ないことが遠からず分かる。
(4)「安倍か、天皇か」という選択になれば、天皇に軍配を上げる人が多いのではないか。 天皇制という昭和史を波乱に巻き込んだシステムが、平成の世に新たな問いかけをしている。「国民統合の象徴」として自らの任務を生真面目に貫こうとする天皇と、それを迷惑に思う首相。
以上、4つの理由からして
安倍政権の脆弱さは明らかだ。
白井さんが言う
「支配の否認」という心理機序のせいで、
支持率の動きは底堅くとも
さほど奇異に思われないということはあるだろう。
しかし、米国の
日本支配は限界を越している。
愚民論が破綻したとき、
支持率の高止まりにつき、メディアが疑われる。
一旦、
メディアへの信頼がぐらつき出した
不正選挙の感覚を
多くの人が持つに至るだろう。
米国を頂点とした国体が瓦解するのは
時間の問題ではないだろうか。
<追記>
FIFAのサッカー試合で
ファンたちが
安倍に
「ちんぽ見せろ、安倍」と
ツイッター上で暴言を浴びせた
(拙稿「FIFAワールドカップの「ちんぽを見せろ安倍晋三」という卑猥なタグに見る、我が国・独裁者の凋落の気配。内部崩壊は、間近か」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/d47f60a045834fdf5a5816ac89dc5419
この行動、
ネトウヨたちの安倍からの離反現象だと
受け取っている。
だとすると、
(5)として掲げていい
内部崩壊の予兆と見ていいだろう。
〔資料〕
「白井聡さん / 「安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景」」
AERA(2018.5.18 07:00)
☆ 記事URL:https://dot.asahi.com/dot/2018051700072.html?page=1
森友・加計問題で次々と新事実が明らかになり、安倍晋三首相をはじめ、担当大臣や官僚が野党やメディアから徹底的に追及を受けている。だが、メディア各社の世論調査では、安倍内閣の支持率は38.9%(共同通信、5月14、15日調べ)で、倒閣運動が始まる「危険水域」の前で安定している。
文書改ざんや国会での「記憶がない」「メモがない」発言など、国民への説明をかたくなに拒否する安倍政権が、なぜ支持を集めているのか。
そういった問いに、正面から切り込んだ著書が話題を集めている。政治学者・白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)だ。発売から約1カ月で、政治の本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。
白井氏によると、今の日本人は「戦後の国体」に支配されているという。それは一体、どういう意味なのか。インタビュー前編。
* * *
──安倍政権とは、戦後日本の歴史でどのような存在なのでしょうか。
(白井聡氏、以下回答部分は同じ)
これだけの腐敗と無能をさらけ出しているにもかかわらず、安倍政権が長期本格政権になってしまった。日本はすでに破局を迎えているのではないでしょうか。
政権の常軌を逸したひどさが日々刻々と証明されてきたにもかかわらず、支持率の動きは底堅い。これが示しているのは、自分たちの社会が破綻しているということからも、劣悪な支配が進んでいるということからも目を背けている人々が数多くいる、ということです。
新著『国体論 菊と星条旗』で論じたことですが、現代は戦前のレジームの崩壊期を反復している時代です。あの時代を今から振り返ると、「この時期の日本人て、何やってんだ? バカじゃないのか?」と私たちは感じるわけですが、崩壊期というのはそういうものなのでしょう。安倍政権もそれを支持してきた日本社会も、こうした時代にふさわしい状態にある。
──そのことと、「国体」とはどう関係するのでしょうか。
端的に言うと、「国体」のなかで育てられた人間は、自由を知らず、民主制における政治的主体になり得ないのです。
一般に国体と言えば、「万世一系」の天皇を家長とし、その子である臣民で構成された共同体という物語です。こうした家族国家観は、家族の間に支配はない、と「支配の否認」という心の構造を日本人に埋め込んでしまった。
もちろん、戦前の国体は、敗戦を契機に粉砕されたことになっていますが、実際にはそれは戦後も途切れていないと私は考えています。
では、「戦後の国体」とは何か。それは、敗戦後に米国が天皇に変わって頂点を占めるようになった支配構造です。よく知られているように、GHQは日本を円滑に統治し、親米国へと作り変えるためには天皇制を残すべきと決めました。それは、熱心な研究の末に彼らが得た結論でした。その結果、「米国に支配されている」という事実が曖昧なものになっていきました。
やがてそれは、長い時間を経て「自発的に米国に従属し、かつ、そうしていることを否認する」という日本人を生み出しました。日本が世界に類をみない対米従属の国であるのは、被支配の事実を今の日本人がちゃんと認識していないことです。
支配されていること、つまり不自由を自覚するところから自由への希求と知性の発展が始まりますが、そもそも支配されているとの自覚がなければ、何も始まらず、奴隷根性だけがはびこります。「支配の否認」を続けている限りは、日本はこの閉塞感から抜け出すことも、さらなる破局を逃れることもできないでしょう。
──安倍政権は米国との協調姿勢をアピールしています。
安倍首相は、皇居にいる今上天皇よりも、米大統領を天皇のように扱っています。ゴルフ場で安倍氏がバンカーに転げ落ちた後、必死にトランプ氏に追いすがる姿は象徴的でしたね。こんな国辱的外交を「外交の安倍」などとメディアは評している。
こういう具合に、対米従属レジームの親分である安倍首相が米大統領を権威として崇めることが当然視されている一方で、同じその親分は今上天皇の譲位の意思表明に対してどういう態度をとったか。
退位をめぐる有識者会議では、日本会議系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」との発言があり、天皇が「批判をされたことがショックだった」と話していたことが、毎日新聞の記事で明らかになりました(宮内庁は発言を否定)。宮内庁筋からは「陛下の生き方を全否定するものだ」という最高度の非難の言葉も出てきた。
さきほど言ったように、戦後国体はGHQが天皇制を利用することで形作られた、つまりは天皇と米国が一体化したような国体が生まれたわけですが、ついに日本の保守派にとって、天皇制の頂点を占めるものは明白に米国になったということです。
だとすると、東京に居る天皇は何なのだということになる。存在意義がなくなってしまう。そうした文脈から昭恵夫人の言動を見ると、興味深いですよ。
昭恵さんの「私は天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」という発言を知って、私は驚愕したわけです。これって、「私は日本国民の一番上から一番下までつながれる、上から下までみんな私を通してつながる」という話で、それはつまり「私は国民の統合をつくり出せる」と言っているわけです。首相が天皇(米国)の代官をやっているうちに、首相夫人は自分が皇后陛下だみたいな気分になってきたようですね。
こういう具合に、末期的症状はここかしこに見えてきています。しかし、だからといって、国体が自然消滅したりはしないでしょう。「戦前の国体」の最期がどういうものだったか、想い起すべきです。
1945年の敗戦の時、国家指導層は「国体護持」のみをひたすら目指したために、犠牲を増やし続けました。明治維新から1945年の敗戦までが77年。そして、2022年には、戦後も同じ77年目を数えることになります。いよいよこれから「戦後の国体」の断末魔の時期に差し掛かって来るのではないでしょうか。
(後編に続く)
(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)
〔資料〕
「一見盤石な安倍政権に内部崩壊の予兆を見る4つの理由」
DIAMOND online 山田厚史さん・文(2017.1.19)
☆ 記事URL:https://diamond.jp/articles/-/114704
「安倍政権は崩壊前夜だ」と言うと、「そんなバカな」と大方の人は思うだろう。「希望的観測だね」とたしなめられることもある。
衆参両院で安定多数を確保、野党第一党は勢いも人気もない。維新の会も次世代の党も与党ににじり寄る。安倍体制は盤石。誰が見ても政権を脅かす勢力はない。こういう時に内部崩壊の芽は膨らむ。
目を凝らすと官邸にほころびが見える。与党は膨張しながら分裂のエネルギーを貯めている。とり残される地方に政権離れが起きても不思議ではない。そして天皇。人々は「政権の驕り」を感じ始めたのではないか。
アメリカにトランプ政権が誕生する。ポピュリズムが生んだ怪物に真っ先に駆けつけ「信頼できる指導者」と持ち上げた見識が、いよいよ問われる。
「官邸の番頭」菅官房長官と
「お側用人」今井政務秘書官にすきま風
安倍政権の特徴は「政治主導・官邸支配」。長期政権を続けていたころ、自民党は「官僚支配」だった。小泉政権で政治主導へと動き、福田内閣・麻生内閣で引き戻されたが、第二次安倍内閣は、官邸に権力を集中させた。政策の方向性は内閣官房で決める。かつてのように省庁間の力比べで方向が決まる(その結果が財務省支配だった)というスタイルではなくなった。省庁はできる官僚を官邸や内閣府に送り込み、官房長官のおひざ元で政策論議が行われるようになった。ホワイトハウス型の政治だ。
要にいるのが官房長官。官邸主導になれば官房長官の役割が重くなる。菅義偉という人物抜きに安倍政権は語れない。内閣人事局を設置し、審議官から上の任免権を握り、一段とにらみを利かすようになった。
官僚は、菅に歯向かわず、菅に気に入ってもらって政策を遂行しようとする。4年経ったいま、留守にしがちな首相に代わって「官邸の主」は官房長官である。
政権のもう一つの特徴は「経産省主導」。父晋太郎は通産大臣が長く、晋三は経産省に知り合いが多い。昔からの知り合いを重用する安倍が頼っているのが政務秘書官の今井直哉だ。第一次安倍内閣の時、経産省から秘書官として送り込まれ、信認を得た。安倍の日程管理、面会者の人選、報告事項の差配など、首相の操縦桿を握るのが今井だ。
政務秘書官である「お側用人」と、官邸を取り仕切る「番頭」。微妙なすきま風が吹き始めた、といわれる。集中する権力にありがちなことだ。
昨年11月、官邸は内閣官房参与でもある谷内正太郎国家安全保障局局長をモスクワに送った。谷内氏は外務事務次官を務めた外務省OB、安倍首相の歴史認識が問われた「70年談話」の際は、オバマ政権との調整役を果たした。谷内氏の訪ロには、政府内に抵抗があった。経済産業省である。
これまで対ロ交渉は経産省主導で、今井秘書官・世耕経産相のラインで進められてきた。今井はロシアが苦しい今こそ北方領土を引き寄せるチャンスと考えた。クリミア併合で米欧から経済制裁を受け、原油価格の下落が重なり経済に痛手を受けている。交渉を持ち掛ければ乗ってくる、と考え、官房副長官だった世耕と組んで領土交渉へと政権を動かした。エサは経済協力。シベリア開発に日本が協力し、領土問題で譲歩を引き出そうとした。
前回の『成果なき北方領土交渉と真珠湾訪問に見る安倍外交の迷走』にも書いたが、こうした流れを頓挫させたのが谷内の訪ロだった。モスクワでの予備折衝で、「返還した領土に米軍が基地を作る可能性はあるか」というとロシア側の問いに「可能性はある」と答えた。
「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」
10日後、ペルーのリマで行われたAPECAP首脳会議で会ったプーチンは安倍にそう言った。安倍は「谷内発言はあくまでも原則論だ」と釈明したが、原則を回避する方策は示されなかった。
交渉の最終局面に、越えがたい難問が持ち出される。日本側の交渉姿勢に問題があった。底流には経産省と外務省の対立がある。対ロ交渉に限らず、経済が絡む外交で、両省が主導権争いをすることはよくある。経済案件は経産省、政治や安全保障が絡む問題は外務省、という棲み分けがあるが、経産主導で進む対ロ交渉に外務省は危うさを感じていた。
ウクライナやシリアでロシアと対立するアメリカも、安倍のプーチン接近を快く思っていなかった。対米関係を重視する外務省が、最後の局面で安全保障問題を持ち出して、交渉にブレーキを掛けた。安倍も「日米関係」を持ち出されると強いことは言えない。
では外務省は、返還後の島に米軍施設を置かないよう米国を説得したのか。その形跡は見当たらない。外務省は「米国の了解が取れない」ことを口実に、今井・世耕ラインが進める対ロ交渉を潰しにかかった、と見てもおかしくない展開だった。
官邸主導外交なのに、官邸がまとまっていなかった。官邸を仕切る菅の責任である。経産省主導の交渉に外務省やアメリカが違和感を持っていたことを菅は知っていたはずだ。その調整ができなかったのか、しなかったのか。いずれにせよこの「すきま風」は安倍官邸が決して一枚岩でないことを物語っている。
安倍自民党の驕りへ
反発が強まる公明党の「離反」
似た亀裂が与党内部にも生じている。公明党の「離反」である。
安倍首相は正月の挨拶で「今年に解散することは考えていない」と発言し政界をビックリさせた。安倍はスピーチライターが書いた言葉をなぞる演説が多いため、会合の挨拶などプロンプターがないと、あやふやなスピーチになる。「年内解散なし」など言ってはいけない言葉がポロリと漏れ、後で訂正する醜態を演じた。永田町の空気は一変した。やはり今年は無理なのか、と。
年末に都議会公明党が自民党と共闘を解消し、小池与党にまわった。夏に予定されると議会選挙は小池知事と組んで戦う。この動きが安倍の選挙戦略を揺さぶった。
衆院で単独過半数を占める自民党だが、小選挙区には公明票を上積みしないと当選が危うい議員がたくさんいる。東京で選挙協力に支障が出るなら解散はすぐ打てない――。
公明党の内部に「安倍自民党の驕り」への反発が強まっている。発端は「カジノ解禁」だ。TPP関連法案を通すため、と会期を延長した臨時国会で、自民党はろくな審議もないままカジノ解禁を強行した。党内で賛否がまとまっていない公明党は「自主投票」を余儀なくされ、賛否が割れるぶざまな姿を晒した。
自民党は大阪にカジノを誘致したい維新の会を取り込むため、公明党の事情を無視したのである。自公共闘があるから安倍自民は安泰なのに、与党の枠を広げようと維新に接近する菅官房長官のやり方に、怒りが渦巻いている。安保法制や秘密保護法でも、支持母体の創価学会に異論があったが、自民に付き従った。離反すると維新の会に乗り換えられる不安があった。公明は与党から抜けられない、と見透かされ粗略な扱いを受ける公明党が、都議会で「抵抗姿勢」を示した。
維新、次世代が与党になびき、安倍政権への体制固めが着々と進んでいるように見える。だが、与党は膨張することで内部分裂という危機を抱えることになる。
「田舎」は置き去りのアベノミクス
地方選挙で弱体化する自民党
自民党は地方で強い、という神話が揺らいでいる。参議院選挙で接戦となった1人区ではほとんど競り負けた。自民党は「天下党」なのでどの自治体でも息のかかった候補者がいる。野党は強い候補者が立てられない地域がほとんどだが、争点が明確になり、野党候補が様になる選挙ができる場面になると自民はもろい。典型が新潟知事選だ。原発が争点となり共産・社民と市民運動が応援した候補が勝った。鹿児島でも同じことが起きている。「アベノミクスは道半ば」というが、地方は恩恵が来ないことに気づいた。TPPはトランプで頓挫したが、自民党が農民の味方ではないことも浸透している。
30もの自治体が「カジノ誘致」に手を上げているのも、他に頼るものがないからだ。そのカジノも地方には来ないことが遠からず分かる。
地方の小選挙区で自民が危ないのは「都市部である1区」と言われてきたが、いわゆる「田舎」で自民党は弱くなっている。
「企業が世界一働きやすい日本に」という安倍政権は、小泉・竹中路線の新自由主義が政策の軸にある。置き去りにされる地方はもはや自民党の金城湯池ではない。
「安倍官邸に権力が集まり政治家も役人も上ばかり見るようになった。中央や官邸に目が向かい津々浦々で何が起こっているか、ということに鈍感になった。反乱は地方から起こるかもしれない」
自民党の閣僚経験者はそ指摘する。外遊好きの安倍首相は、フィリピンで1兆円の経済協力など海外で気前よくカネをばら撒く。日本の地方に暮らす人が、それをどう感じるのだろうか。
「天皇陛下のご意向」への対応に
民心はどう反応するか
安倍官邸の「驕り」を映し出したのが天皇の退位問題だ。ビデオメッセージに込められた「天皇陛下のご意向」に安倍政権の対応は正反対だ。「国民の象徴として公務に力を入れたい」「高齢になると務めを果たせないから、生前退位を認めてほしい」という天皇に対し「ご公務は減らせばいい。生前退位は制度化しない、今回限り」というのが安倍政権である。天皇の内心はいかばかりか。異例のビデオメッセージという手段に出たものの、政府は「迷惑」と言わんばかりの対応だ。
安倍首相は保守の政治家なのに天皇を粗略に扱っている、というイメージが形成されつつある。被災地や戦争の傷跡を訪問され、国民や平和な世の中に寄り添おうとする天皇の姿勢は人々の静かな共感を集めている。「安倍か、天皇か」という選択になれば、天皇に軍配を上げる人が多いのではないか。
天皇制という昭和史を波乱に巻き込んだシステムが、平成の世に新たな問いかけをしている。「国民統合の象徴」として自らの任務を生真面目に貫こうとする天皇と、それを迷惑に思う首相。
「ご意向」を「無視」ですり抜けようとするならば、民心はどう反応するだろう。
権力は強くなるほど「傲慢」になる。耳触りのいい情報しか入らない。民心が見えない。脅かす勢力がなくなると、内部で戦いが始まる。
権力の内部崩壊は、満月の夜に始まる。
(デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員 山田厚史)
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