世に倦む日日@yoniumuhibiさんのツイートです。
――詐欺に引っかからないコツは、入口で拒絶すること。「STAP細胞の存在」を信用して期待すると、そこから先の小保方晴子の話にずるずる引き込まれる。「悪意はなかった、単純ミス、捏造はしていない、理研の調査は間違い、私がSTAP細胞を作る」。玄関から入れちゃいけない。電話はすぐ切る。〔11:31 - 2014年4月9日 〕――
この人、確か、小保方さんに
「説明責任を果たせ」
と強く言っていた人だ。
「電話はすぐ切る」
という態度では、
説明を聞けないんじゃないだろうか。
そもそも
何について、
説明して欲しいのだろうか。
よく分からん人だ。
よく分からんという
印象を受けたら、
その時点で、
僕は、
非難めいたことは
言わないことにしている。
今回も、
自分のその掟に従うことにする。
ただ、一言言っておこうかな、
詐欺に引っかからないコツについて。
「話は、じっくりと聞く」
それ以外に
騙されない道はないと思う。
ちなみに、この君は、
自分が
撒き散らしたデマについて
申し開きをするつもりがないらしい。
学生時代に
書いた論文の画像が
紛れ込んでいるのに気づき理研に報告した。
その画像を
悪意を持って
利用した点がマスコミが攻めたてた点だ。
しかし、パワーポイントという
PCソフトに取り組んだものを
それと知らず、
すなわち、学位論文に掲載した
写真と気づかずに
ネイチャーに
提出した論文に添付したとのことだ。
これ以外にも
究明されるべきことはあるのだろう。
しかし、この点に関しては、
説明し切ったといえるのではないか。
パワーポイントに保存したことをもって
「使い回した」
という用語を使うのは
限界を超えている。
にもかかわらず、
世に倦む日日さんこと、田中宏和君は、
こんな風に言う。
――理研内のミーティングでPPTで使った画像をNature論文に使ったのだから、それは博士論文の画像ではなく、すなわち調査委の判断は間違いだとか言っていたが、3つの画像とも同じものの使い回しじゃないか。これで反論になるのかよ。冗談じゃない。詭弁にもなってない。ひどい話。〔15:32 - 2014年4月9日 〕――。
「語るに落ちる」とは、
こういう言い方を指すんだろうか。
問われているのが
「悪意」なんだから
客観的事実は、
しばらく横に置かなきゃ。
それも分からないで、
このおじさん、
人を罵倒していたのだろうか。
「使い回し」の意味は、
たとえば、
何かを手にしたとき、
「これは他でも活かせる」
と思って、
A場面でもB場面でも
使用した場合に用いられる
表現ではないか。
A場面でも、
B場面でも使用しているとの意識が
伴わない場合、
武田邦彦教授が仰るように
ただの取り違えだ
(拙稿「武田邦彦氏/『小保方さんは悪くない』」にある動画、
ビデオタイム14:14~」傾聴/リンク)。
病院で
自分が生んだ子を
誤って、
よそ様の子と判断して
他のお母さんに
手渡した場合、
「我が子を使い回した」
という言い方を
するだろうか。
しないだろ?
もちろん、
わが子なのに取り違えた不注意は
非難されるだろうけど、
それは別論だ。
――詐欺に引っかからないコツは、入口で拒絶すること。「STAP細胞の存在」を信用して期待すると、そこから先の小保方晴子の話にずるずる引き込まれる。「悪意はなかった、単純ミス、捏造はしていない、理研の調査は間違い、私がSTAP細胞を作る」。玄関から入れちゃいけない。電話はすぐ切る。〔11:31 - 2014年4月9日 〕――
この人、確か、小保方さんに
「説明責任を果たせ」
と強く言っていた人だ。
「電話はすぐ切る」
という態度では、
説明を聞けないんじゃないだろうか。
そもそも
何について、
説明して欲しいのだろうか。
よく分からん人だ。
よく分からんという
印象を受けたら、
その時点で、
僕は、
非難めいたことは
言わないことにしている。
今回も、
自分のその掟に従うことにする。
ただ、一言言っておこうかな、
詐欺に引っかからないコツについて。
「話は、じっくりと聞く」
それ以外に
騙されない道はないと思う。
ちなみに、この君は、
自分が
撒き散らしたデマについて
申し開きをするつもりがないらしい。
学生時代に
書いた論文の画像が
紛れ込んでいるのに気づき理研に報告した。
その画像を
悪意を持って
利用した点がマスコミが攻めたてた点だ。
しかし、パワーポイントという
PCソフトに取り組んだものを
それと知らず、
すなわち、学位論文に掲載した
写真と気づかずに
ネイチャーに
提出した論文に添付したとのことだ。
これ以外にも
究明されるべきことはあるのだろう。
しかし、この点に関しては、
説明し切ったといえるのではないか。
パワーポイントに保存したことをもって
「使い回した」
という用語を使うのは
限界を超えている。
にもかかわらず、
世に倦む日日さんこと、田中宏和君は、
こんな風に言う。
――理研内のミーティングでPPTで使った画像をNature論文に使ったのだから、それは博士論文の画像ではなく、すなわち調査委の判断は間違いだとか言っていたが、3つの画像とも同じものの使い回しじゃないか。これで反論になるのかよ。冗談じゃない。詭弁にもなってない。ひどい話。〔15:32 - 2014年4月9日 〕――。
「語るに落ちる」とは、
こういう言い方を指すんだろうか。
問われているのが
「悪意」なんだから
客観的事実は、
しばらく横に置かなきゃ。
それも分からないで、
このおじさん、
人を罵倒していたのだろうか。
「使い回し」の意味は、
たとえば、
何かを手にしたとき、
「これは他でも活かせる」
と思って、
A場面でもB場面でも
使用した場合に用いられる
表現ではないか。
A場面でも、
B場面でも使用しているとの意識が
伴わない場合、
武田邦彦教授が仰るように
ただの取り違えだ
(拙稿「武田邦彦氏/『小保方さんは悪くない』」にある動画、
ビデオタイム14:14~」傾聴/リンク)。
病院で
自分が生んだ子を
誤って、
よそ様の子と判断して
他のお母さんに
手渡した場合、
「我が子を使い回した」
という言い方を
するだろうか。
しないだろ?
もちろん、
わが子なのに取り違えた不注意は
非難されるだろうけど、
それは別論だ。
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