神浦 元彰@kamiura_jp さんのツイートだ。
――イスラム国の日本人人質殺害事件で安倍首相や政府を批判すると、それは日本を裏切りイスラム国に利する行為という”怪しげな論理”が蔓延している。これは健全な言論や批判を封じる伝統的な国家権力の手法。かつて日本で正常な思考を非国民と呼んで排斥した同じ風潮。もっと日本人は堂々と主張しよう。〔10:41 - 2015年2月10日 〕――
この怪しげな論理を振り回す扇動家は、
思うに、
池内恵氏だ。
――池内恵氏がイスラム国の人質事件に関する批評をかいている。――
と金子勝@masaru_kaneko さんがツイート〔8:09 - 2015年1月24日 〕されている、その人だ。
批評は、
「中東・イスラーム学の風姿花伝」
というタイトルだ。
☆ 記事URL:http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.htmlhttp://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
これに対し、金子氏が
――非常に切れがいい。一読に値します――
と評される安富歩氏の批判がある。
題して、
「池内恵東京大学准教授「「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ」という記事について」
という論稿だ。
【東大話法の見本】という見出しがついていた。
☆ 記事URL:http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
こういう簡潔にして的を射た論文の後に
自分の
論稿を引合いに出すのは
照れくさいけれど、
参考までに書き出して置く。
二つあるよ。
一つは、
「主語を入れ替えて成り立つ 池内恵氏(東大准教授)の論稿について」
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/051678ebe9f3a89f5da3ede0ff7287cc
もう一つは、
「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」だ。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/aeef34b72ca1bce53ec7ae460bb9d2dd
大体、この二つで、
僕の言いたいことは尽きている。
しかし、問題は、
果たしてこれで怪しげな論理を振り回す人たちの首根っこを
抑えたことになるのかどうか――。
改めて、
中心となる論点を整理し直しておく。
池内氏は、
上掲論稿においてこう言う。
――「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。――と。
「『集団的自衛権』とは無関係である」という断言につき、
安富氏は、
こう批判される。
――これは強烈なパンチである。しかしたとえば、NATOはその理念の中心を The principle of collective defence 集団的防衛の原則に置いている。
http://www.nato.int/cps/is/natohq/topics_110496.htm?
これが中心原則になる、ということはつまり彼らが単独の防衛と集団的防衛とを明確に区別しているからである。実際、スイスやオーストリアは「永世中立」を掲げて集団的防衛を否定してきた。オーストリアは1995年にEUに加盟し、NATOとも関係を持ったので、厳密な意味での永世中立は放棄したことになる。このときオーストリアでは激しい議論が行われたが、これは個別的防衛でいくのか集団的防衛に参加するのか、という議論である。
問題は、日本に憲法第九条があるので、本来は戦力を放棄しているずだというところにある。それゆえ「自衛権があるのかないのか」ということろが問題になって、そのために、集団的防衛の権利があるのかどうか、という議論になってしまうわけである。それゆえ「集団的自衛権」という奇妙な概念が出てきたのである。それだけのことであって、「そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである」という言葉はおかしい。――
「集団的“自衛権”」という用語に認められるように、
自衛権として
集団的防衛が論じられるのは、
憲法第9条との関係で特殊日本的な使い方だ。
しかし、軍事力を束ねて
敵対する勢力を威嚇するやり方そのものは、
NATO軍に見られるように
世界的だ。
ただ、その考え方に
同調するには憲法第9条が妨げになる。
だからそれを取っ払おうと言うのが安倍自民党の考え方だろう。
そこであえて、
池内氏が「『集団的自衛権』とは無関係である」と甘く囁く。
もし無関係だとすれば、
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使する」場合(2014年7月1日付、朝日新聞「集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文)」参照。*http://www.asahi.com/articles/ASG713DQGG71UTFK00J.html)
という要件を充足したかどうかという七面倒くさい判定を不要にする。
しかし、本当に無関係か――。
イスラエルと準同盟関係を結び、
反「イスラム国」に対する戦いのため
2億㌦を拠出する
という日本政府の態度は、
なし崩し的に
『集団的自衛権』を行使するものではないか。
「有志連合」
という米国の被せた他国との
結びつきは、
集団的防衛の発想そのものではないだろうか。
要するに、
池内氏の論理は、
『集団的自衛権』という用語が
日本でなかったら使われない言葉なので、
他国との防衛関係で
集団的に対処する場合、
問題にならないと言っているに等しい。
この論理は、
「あの店は“レストラン”なので“食堂”ではない」
という話と同じ一種の言葉遊び、
観念論の類いだ。
『集団的自衛権』の語で指し示される事態は、
他国への「軍事支援」だ。
経済的支援だから
「軍事的支援」ではないという理屈は、
「軍事支援」の内には、
「軍事的支援」と「非軍事的支援」の両方が含まれる
という支援の実態を無視した欺瞞がある
(上掲拙稿「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」参照)。
――イスラム国の日本人人質殺害事件で安倍首相や政府を批判すると、それは日本を裏切りイスラム国に利する行為という”怪しげな論理”が蔓延している。これは健全な言論や批判を封じる伝統的な国家権力の手法。かつて日本で正常な思考を非国民と呼んで排斥した同じ風潮。もっと日本人は堂々と主張しよう。〔10:41 - 2015年2月10日 〕――
この怪しげな論理を振り回す扇動家は、
思うに、
池内恵氏だ。
――池内恵氏がイスラム国の人質事件に関する批評をかいている。――
と金子勝@masaru_kaneko さんがツイート〔8:09 - 2015年1月24日 〕されている、その人だ。
批評は、
「中東・イスラーム学の風姿花伝」
というタイトルだ。
☆ 記事URL:http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.htmlhttp://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
これに対し、金子氏が
――非常に切れがいい。一読に値します――
と評される安富歩氏の批判がある。
題して、
「池内恵東京大学准教授「「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ」という記事について」
という論稿だ。
【東大話法の見本】という見出しがついていた。
☆ 記事URL:http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
こういう簡潔にして的を射た論文の後に
自分の
論稿を引合いに出すのは
照れくさいけれど、
参考までに書き出して置く。
二つあるよ。
一つは、
「主語を入れ替えて成り立つ 池内恵氏(東大准教授)の論稿について」
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/051678ebe9f3a89f5da3ede0ff7287cc
もう一つは、
「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」だ。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/aeef34b72ca1bce53ec7ae460bb9d2dd
大体、この二つで、
僕の言いたいことは尽きている。
しかし、問題は、
果たしてこれで怪しげな論理を振り回す人たちの首根っこを
抑えたことになるのかどうか――。
改めて、
中心となる論点を整理し直しておく。
池内氏は、
上掲論稿においてこう言う。
――「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。――と。
「『集団的自衛権』とは無関係である」という断言につき、
安富氏は、
こう批判される。
――これは強烈なパンチである。しかしたとえば、NATOはその理念の中心を The principle of collective defence 集団的防衛の原則に置いている。
http://www.nato.int/cps/is/natohq/topics_110496.htm?
これが中心原則になる、ということはつまり彼らが単独の防衛と集団的防衛とを明確に区別しているからである。実際、スイスやオーストリアは「永世中立」を掲げて集団的防衛を否定してきた。オーストリアは1995年にEUに加盟し、NATOとも関係を持ったので、厳密な意味での永世中立は放棄したことになる。このときオーストリアでは激しい議論が行われたが、これは個別的防衛でいくのか集団的防衛に参加するのか、という議論である。
問題は、日本に憲法第九条があるので、本来は戦力を放棄しているずだというところにある。それゆえ「自衛権があるのかないのか」ということろが問題になって、そのために、集団的防衛の権利があるのかどうか、という議論になってしまうわけである。それゆえ「集団的自衛権」という奇妙な概念が出てきたのである。それだけのことであって、「そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである」という言葉はおかしい。――
「集団的“自衛権”」という用語に認められるように、
自衛権として
集団的防衛が論じられるのは、
憲法第9条との関係で特殊日本的な使い方だ。
しかし、軍事力を束ねて
敵対する勢力を威嚇するやり方そのものは、
NATO軍に見られるように
世界的だ。
ただ、その考え方に
同調するには憲法第9条が妨げになる。
だからそれを取っ払おうと言うのが安倍自民党の考え方だろう。
そこであえて、
池内氏が「『集団的自衛権』とは無関係である」と甘く囁く。
もし無関係だとすれば、
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使する」場合(2014年7月1日付、朝日新聞「集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文)」参照。*http://www.asahi.com/articles/ASG713DQGG71UTFK00J.html)
という要件を充足したかどうかという七面倒くさい判定を不要にする。
しかし、本当に無関係か――。
イスラエルと準同盟関係を結び、
反「イスラム国」に対する戦いのため
2億㌦を拠出する
という日本政府の態度は、
なし崩し的に
『集団的自衛権』を行使するものではないか。
「有志連合」
という米国の被せた他国との
結びつきは、
集団的防衛の発想そのものではないだろうか。
要するに、
池内氏の論理は、
『集団的自衛権』という用語が
日本でなかったら使われない言葉なので、
他国との防衛関係で
集団的に対処する場合、
問題にならないと言っているに等しい。
この論理は、
「あの店は“レストラン”なので“食堂”ではない」
という話と同じ一種の言葉遊び、
観念論の類いだ。
『集団的自衛権』の語で指し示される事態は、
他国への「軍事支援」だ。
経済的支援だから
「軍事的支援」ではないという理屈は、
「軍事支援」の内には、
「軍事的支援」と「非軍事的支援」の両方が含まれる
という支援の実態を無視した欺瞞がある
(上掲拙稿「敵対する相手の言動をもって根拠とする狡猾さ ~ 池内恵氏の場合」参照)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます