のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

戦後70年、安倍談話を絶賛する人たち。この人たちに対抗するには――。

2015年08月17日 04時59分43秒 | 日米同盟
8月15日付の朝日新聞に、

こんなタイトルのニュースがありました。

「首相談話「民族責任論から子孫を解放」 高市総務相」

なんですか、

この「民族責任論」といった表現。

初めて聞きました

(下記〔資料〕参照)。

高市氏の造語でしょうか。

要するに、安倍某の談話にあった

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」(拙稿「安倍内閣総理大臣記者会見(談話)全文」参照。*http://www.asahi.com/articles/ASH8H3RPTH8HUTFK004.html

という部分を、

この誤解を一杯招きそうな言葉でまとめたと見ていいのでしょうか。

もともとの安倍某の原稿には、

拙稿「安倍某には、子や孫、その先の世代の子どものことを語ってもらいたくない」

において述べた通り、

政府と国民をごっちゃにしている

という誤謬があります。

挙句に

「お詫び」という言葉は使ったけど、「お詫び」はしていない結末になってます

(上掲記事に引用した小田嶋さんの発言参照)。

その判断をもって、

未来永劫、もうお詫びしないという言明を

「子や孫、そしてその先の世代の子供たち」の名において

やってくれたわけです。

はっきり言って、

こんな無責任な発言ないです。

☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/2f4c58ec66c94dbc91d80e36c372f15d

私達、国民は、

この将来、負債となるべき発言を受けて、

忸怩たる思いを抱いた人が多かったでしょう。

然るに、世論調査では、

安倍某の談話は好評だったようです

(拙稿「中日新聞によると、安倍某の談話後、内閣支持率がアップしたという」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/4855d30278ae3d367b881365dff9273b)。

こんなデータを鵜呑みにするつもりはないです。

ただ、今後は、

これが“事実”として語られるのでしょう。

そのときに、

異論を述べられたらいいのですけど、

大方の人は、

確かに事実として受容してしまいます。

たとえば、

兵頭正俊氏の次の発言を読んでください。

――だんだんわかってきたが、安倍の70年談話に多くの人がだまされている。戦争法案(安保法制)を出して、成立の前に戦争準備を自衛隊に進めさせていることさえ忘れている。この民度だったら、中国との戦争に追い込まれるのは間違いない。がっかりした。言葉より行動ですよ。たいへんな民族だ。〔16:15 - 2015年8月16日 〕――

談話に対して、

否定的な見方を下されています。

しかし、世論調査の結果を疑っていないのも事実でしょう。

この人、他のツイートでは

結構、鋭い分析をなされている方なのに、

こんな初歩的な

世論操作のやり口をどうして見抜けないんでしょうか。

インチキ選挙が根を張って、

誰も疑いを差し挟まず唯諾々と選挙の結果を受け入れている社会で、

マスコミが報道機関として用をなさなくなっているのは、

十分に想像されます。

安倍政権のようにマスコミを牛耳れば、

政権運営は意のまま、

というほとんど信仰に近いような信念の持ち主の

政権運営です。

世論調査の内容に介入してないと思える

楽観主義ほど

お花畑はないですよ。

共同通信の編集社会議(地方紙の編集長があつまる会議)に安倍某が参加してます

(拙稿「歴史は、繰り返す ~ 次は、どんな理由で内閣支持率がアップするか。」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/e85f0b3929bdde9ef8f90ad26b070d8d)。

ということは、

地方紙の世論調査の内容について、

安倍某が意見を言ってるだろうというのは、

粗方、想像つくじゃないですか。

なぜ、こんな会議から出て来るデータを信じられるんでしょう。

新聞報道より、

兵頭氏の騙されっぷりの方が救い難く感じました。

(こんなデータ、嘘に分かってるだろうが…

ひょっとして、この人、買収され工作員になったのか)

と考えたほどです。

思うに、

開票機「ムサシ」を使って

大規模なインチキをしていると思います。

マスコミは、

当然ながら共犯者に組み込まれていると見なくちゃならんです。

ここまで言うと、

(あっ、陰謀論や)

と思う人がいるでしょうね。

というか、大抵の人は、

そのような受け止め方をなさるのかもしれません。

そこで逆らっても仕方ないので、

思うがままに思ってください。

お任せします。

ただ、安倍某の談話につき、

多数の意見が肯定的と思っても、それに流れないで頂きたいですね。

世論は、

複数あっていいのです。

僕は、

靖国にホイホイ参拝して

コスプレごっこに興ずる気はないです。

靖国神社は、

慰霊の施設と言うよりは

鎮魂の施設でしょ?

そう言えば、

似たような神社がありましたね。

天満宮です。

菅原道真を苛め倒して

死んだ後、

祟られてはまずいので

神に祭り上げたという話です。

しかし、神社が築70年で

子孫に

「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

なんて理屈で

社を取り壊したら

さすがの

道真公も化けて出てくると思いますな。

村山談話としてなされた謝罪は、

このような鎮魂の意味があるのではないでしょうか。

masaya[09マニフェスト再び]@tomaruseiyaさんが

こんなツイートをされていました。

――「ベルリンの『国立中央戦争犠牲者追悼所』は、ドイツ人が自ら行った戦争を誤った戦争と否定し、その死者を『英雄』としてではなく『犠牲者』として哀悼する」(高橋哲哉『靖国問題』より)。一方の靖国は、先の戦争を自存自衛の聖戦とし、戦死者を英雄として祀っているのではないか。〔20:48 - 2015年8月16日 〕――

どちらの立場も鎮魂と言えます。

ドイツが犠牲にして申し訳なかったという気持ちが

あるんで、

鎮魂であるよりは慰霊でしょうね。

日本の場合は、

英雄に祭り上げてやるから、

「飢え死にしたこと」「断れない状況下で特攻を強要したこと」等、

水に流せ

という戦争を遂行する為政者に

都合のいい論理を

国民に押しつけています。

慰霊の色彩がほぼない証拠として

こんな逸話があります。

終戦記念日の8月15日、

3閣僚が靖国神社に参拝しました

(拙稿「8月15日 稲田朋美さん/「今日はおめでとうございます」 @靖国神社」*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/968f570045b8faa74cf711176a5ff59f)。

同行した安倍某の

右腕とも呼ばれる稲田朋美女史が開口一番、

こんな風に挨拶したとのことです。

「おめでとうございます」。

何なんです、この人。

終戦記念日たって、

日本人の一人としてなぜ、お祝いできるのです?

普段、「愛国」「愛国」と言っている

人間のこの様、

どう思いますか。

百年かかったって、

このおばちゃんに慰霊させられないと思います。

同じ枢軸国として

敗戦の

苦杯を飲んだのに

どうしてこう様相を異にするのか

と言うと、

先の大戦をどこまで反省したかに

よるのでしょう。

これに関連して

ドイツ人は、

「絶望」に近い悲しみ、苦しみを

味わいながら

本気で反省しました。

日本人の方は、

戦犯の処罰をGHQに任せきりで、

日本人として

曖昧なまま済ましてしまいました。

この点に関連して

サイト「ポリタス」において

森達也さんが

「 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ」

という記事を書かれています。

☆ 記事URL:http://politas.jp/features/8/article/439

そこに、

こんなドイツ人との

会話を紹介されています。

――ドイツでは憲法(正確には基本法)を改正するとき、国民投票という手続きを取らない。数年前にこのことを知ったとき、ナチス・ドイツの記憶を持つドイツこそ、国民投票を最優先すべきなのではと不思議だった。知り合いのドイツ人はその理由について、僕に「我々は自分たちに絶望したからです」と説明した。集団化したときの自分たちの判断を信用していないのだとも。――

この逸話、

衝撃的でしょ。

他山の石とすべきと思いました。

思うに、

日本人が先の大戦において十分に絶望し得なかったのは、

そもそも国民には政治の内容が秘密だらけだった

ことに起因するんじゃないでしょうか。

結局、戦争のことにつき、

国民は何も知らず、すべて政府にお任せだったのです。

絶望する材料がそもそもなかったんだと思います。

また、内田樹さんが指摘されているように

日本は、

「負け過ぎた」のです

(拙稿「内田樹さん/「日本は謝り続けないといけないのでしょうか?」」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/e9d68f3d9e33a919fbd1872291f58a62)。

仮に、考える材料があっても

考える余力が残っていなかったと言えます。

戦没者追悼式典において

天皇が

「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。」

というお言葉を下さっています。

戦前は、

為政者に踊らされるままに踊らされました。

しかし、戦後は違います。

国民は、

自分の足でしっかと立ち、

現在に辿りつきました。

米国紙「Washington Post 」が天皇のこの認識を捉えて

安倍政権の立場と最も異なる点だとしてます。

すなわち、陛下は、

「70年の平和は日米軍事同盟の効果ではなく、日本国民の絶えざる努力の成果である」

とされているということです

(内田樹‏@levinassien さんのツイート〔10:10 - 2015年8月16日 〕、下記〔資料-2〕参照)。

こういう評価は、

日本のマスコミは、絶対指摘しないでしょうね。

やっぱり、外国紙を

何とか読めるようにならないと

情報弱者のままだなと、

忠太(gyokkirinn)君が戦後の反省を一人させて頂きましたとさ、

チャン、チャン。


〔資料〕

「首相談話「民族責任論から子孫を解放」 高市総務相」

   朝日新聞(2015年8月15日12時18分)

☆ 記事URL:http://www.asahi.com/articles/ASH8H3RPTH8HUTFK004.html


■高市早苗総務相

 昨日の(戦後70年の)首相談話は、自民党、公明党、そして内閣として、一体的な統一した見解を皆さまに責任をもってお示しできる内容のものだった。そしてなによりも、日本人に生まれただけで、それが罪であり、未来永劫(みらいえいごう)謝罪を続けなければいけないといった「民族責任論」から子孫の代を解放していく(内容のものだった)。

 戦争によって、日本人であれ、対戦国の方であれ、戦場となった場所の方であれ、多くの方の命が失われる。もう武力をもって紛争解決するというようなことが起きないように、そういう決意を新たにしながら、そのことは次の世代に「戦争の悲惨さ」としてちゃんと伝えなければならないが、少なくとも「民族責任論」というものとは一線を画し、未来志向型の談話となった。(靖国神社で参拝後、戦後70年の安倍談話について問われ)

〔資料-2〕

「Japan’s emperor appears to part ways with Abe on pacifism debate」

  Washington Post( August 15)By Anna Fifield and Yuki Oda

TOKYO — Japan’s emperor expressed his “deep remorse” Saturday over his country’s actions during World War II, strengthening his usual statement of regret on the anniversary of the end of a particularly ignominious period in Japanese history.

At noon — 70 years to the minute since his father, Hirohito, surrendered to the allies — Emperor Akihito and Empress Michiko, along with Japanese Prime Minister Shinzo Abe, attended a ceremony in Tokyo to remember the war dead.

“Reflecting on our past and bearing in mind the feelings of deep remorse over the last war, I earnestly hope that the ravages of war will never be repeated,” the emperor said.

Every year the emperor has read the same statement on the anniversary, but this year he deviated from the usual wording. The 81-year-old figurehead has previously used a Japanese word that means “deep sorrow,” but this year he used a much stronger word: remorse.

“He’s saying we should learn from history,” said Yasushi Kuno, a veteran journalist who has covered the imperial family for decades and called Akihito’s comments “unprecedented.”

“That’s the maximum he can say as an emperor to express his feelings. But it means a lot that he’s said this during this milestone year,” Kuno said.

The emperor’s short remarks were noticeably more contrite than Abe’s long statement the day before, in which the prime minister expressed “feelings of profound grief” for Japan’s wartime actions but also tried to put Japan’s history behind it.

When the United States occupied Japan after the war, Hirohito was allowed to remain as emperor, but the American-drafted pacifist constitution turned him into a figurehead who hovered above the political fray, constraining the statements he was able to make.

Akihito, who took over the Chrysanthemum Throne when Hirohito died in 1989, has been careful to stay within those limits, even while using subtle language to suggest that Japan should stick to its war-renouncing ways.

In previous addresses, Akihito has appeared to voice his displeasure with Abe’s efforts to reinterpret Japan’s constitution and put the country on what he calls a more “normal” military footing by allowing Japanese troops to fight abroad in certain circumstances.


The proposed changes, likely to be ratified next year by the upper house of Japan’s parliament, have sparked vehement protests here, and the emperor’s remarks have been seized upon by Abe’s opponents.

Akihito reiterated his views at Saturday’s ceremony in Tokyo.



“Seventy years have passed since the end of the war, and our country today enjoys peace and prosperity, thanks to the ceaseless efforts made by the people of Japan toward recovery from the devastation of the war and toward development, always backed by their earnest desire for the continuation of peace,” he said.

Kuno, the journalist, said that the emperor was trying to remind the Japanese that their present-day country was built on peace and sacrifice.

“Survivors are dying, and the lawmakers who are discussing the bills now, including the prime minister, are all born after the war,” Kuno said.

Takeshi Hara, a political scientist at Meiji Gakuin University who has written several books on the imperial system, said that even more surprising than the use of the word “remorse” was the way the emperor explained how Japan established peace.

“He said clearly it was thanks to people’s conscious efforts. This is an expression not heard before,” Hara said. “I think it’s criticism of the more aggressive form of pacifism” that Abe is promoting.

Hara said the emperor appeared to be disagreeing with the logic of Abe and his advisers — that the deterrent effect of Japan’s alliance with the United States had kept it safe, and that the constitutional changes were needed to keep the alliance strong.

“The emperor is saying that’s not so, that the Japanese people themselves have consistently aspired for peace and that has reinforced the peace we have now,” Hara said. “I think this is a poignant criticism against the current administration.”


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