TVでも、小川の杉田水脈のLGBTの擁護論で
取り上げられた。
ハフポストも
この問題を取り上げた。
小川の論稿を掲載した
新潮社にも火の粉が飛び、次のような「『新潮45』2018年10月号特別企画について」と題する
2018年9月21日付の反省文が社長、佐藤隆信名で公開される。
ゴングが鳴らされた。
先制は、
レイシスト・小川榮太郎から。
自分の書いている文章は、
「便所の落書ではない」という抗議から始まった。
文章の出来不出来ではなく、
内容につき論評されているのに、そこには気づかない様子だ。
自分を批判した言論人を
小川は、
名指しで列挙している。
その点につき、
及川眠子『ネコの手も貸したい』発売中@oikawanekoさんが次のようにコメント。
――小川榮太郎氏の反論がすげえ。作家やジャーナリストたちをわざわざ名指しして「僕ちん、この人たちにいじめられたぁ」てFBに投稿してる。恐ろしく幼稚なこの精神性なら「痴漢にも権利あるもん!」て言うのも理解できるわ(笑)〔15:33 - 2018年9月22日〕――
「便所の落書き」って、
何だろう。
小川は、
それにつき説明する義務はないのかな。
僕は、
この「便所の落書き」という評価を見て
思い出したのは、
卑猥ってことだな。後、陋劣って用語も思い出した。
文章の良しあしではないな。
それで、
小川の文章に卑猥であったり、陋劣な表現がないんなら、
この評価は言いがかりに過ぎない。
しかし、
該当するのなら、
評価として適切ってことだろう。
思うに、
「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう」
という件、相当に卑猥だよ
(拙稿「小川榮太郎 / 「痴漢の触る権利を社会は保障せよ」」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/6ee9bd996997dc80a2717342c46f0acd
しかし、何より、社会的に有害と考えられるのは、
その後に続く
「彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女の権利を思えと言うか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」
という被害者めいた屁理屈だ。
なぜ、犯罪を権利のごとくに言うのか。
煽られて、
犯罪を犯す人も出てくるじゃないか。
そういう人をドロップアウトさせるようなことを書きまくって、
どの口が「俺の文章は『便所の落書き』じゃない」
などと厚かましいことを言うのかと思う。
以上で、『便所の落書き』とみなしていい条件はそろったとみていい。
ついでに「陋劣」か否か、
見て見ることにする。
これには、
小川が思いついたという略語、
「SMAG」に
その性質が現れ出ているのではないか。
なぜ、アルファベット4つを並べて比較したのか。
概念を混乱させるためだろう。
論争というのは、
議論を重ねて行くうち、何が論点か事案を追うにしたがって
明らかにされるものだ。
然るに、
小川とは話せば話すほどに話が混乱して、
焦点が定まらなくなる。
アインシュタインが
「どんな知的な愚か者でも、物事を大きく、複雑に、かつ暴力的にすることはできる。その反対の方向に動かすためには、少しの天才と、そしてたくさんの勇気がいる。」
(サイト「NAVERまとめ」記事「アルベルト・アインシュタインの名言格言を集めました」参照)
と述べている通りだ。
小川が「知的な愚か者」だとなると、結局、何時間議論をしようと、話が複雑になるばかりで
論争した時間が無駄になる。
その複雑にすることで議論を拒絶しようと態度、狡いとは思わないか。
彼が何気に「SMAG」としてまとめたものは、
人の嗜好性に関する。
生産性がないとして杉田に批判された
「LGBT」の方は、
指向性に関する。
この両者、前者が生来的であるのに対し
後者は、
治療の対象と論じられると言っていいだろう。
ただ、嗜好性と言っても、
単なる好き嫌いの問題じゃない。
その典型例である
アルコール依存症の事例を見れば分かるように、
心の中が
牢獄と化している。
小川が「後ろめたい」ものがあるという感覚で
一括りにしようとしている。
それは、
とても粗っぽい議論だ。
知らないのなら知らないでいい。
分かったような顔をして
「彼らの『生きづらさ』は、後ろめたさ以上ではない」
という単純な言い方で整理して欲しくない。
無理に整理したら、
対立が生じる。
もっと言えば、分断を持ち込む。
それはとても卑怯な対応で、陋劣だと思う。
すなわち、偏狭(陋)で浅はか(劣)な態度だよ。
彼自身が
「LGBTという概念について私は詳細を知らないし馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」
(冒頭、アップした動画の最初の部分にこの発言がある)
と告白している。
恐らく、嗜好的な病であっても知るつもりはないだろう。
これ以上、深入りしないけれど、
ジェンダーに苦しんでいる当人からすれば、「後ろめたい」という言葉では
蔽いつくせない重圧感があるように、
サドやマゾ等、セックスに関する倒錯した感覚を持つ人だって、
いわく言い難い閉塞感があるんじゃないか。
分かろうとする気がないならば、
嘴を差し挟むな、
ということだけは言っておく。
取り上げられた。
#報ステ“杉田論文”を擁護、「新潮45」に、批判の嵐❗️「LGBTという概念について馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」「満員電車に乗った時に女の匂い…彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか」…醜悪の極み。頭おかしい😖ついに #報ステ でも。終わったな、小川榮太郎。 pic.twitter.com/nVFP4HmF9g
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2018年9月21日
ハフポストも
この問題を取り上げた。
「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」『新潮45』の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」に関して佐藤隆信社長が声明。謝罪の文言はありませんでした。 pic.twitter.com/pfeAjUFsYz
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2018年9月21日
小川の論稿を掲載した
新潮社にも火の粉が飛び、次のような「『新潮45』2018年10月号特別企画について」と題する
2018年9月21日付の反省文が社長、佐藤隆信名で公開される。
新潮社が佐藤社長名義でコメントを発表。今回の『新潮45』の特別企画は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられる」としつつも逸脱した部分には具体的に触れず偏見によって攻撃された側への謝罪もなく「今後十分配慮します」で終了と。ガソリンかな。https://t.co/85wuUWBkmV pic.twitter.com/7Oi6HiEz9n
— 津田大介 (@tsuda) 2018年9月21日
ゴングが鳴らされた。
先制は、
レイシスト・小川榮太郎から。
自分の書いている文章は、
「便所の落書ではない」という抗議から始まった。
文章の出来不出来ではなく、
内容につき論評されているのに、そこには気づかない様子だ。
中野晃一先生、やれないかしら。 pic.twitter.com/hQvHt2oDSp
— TQCMK (@tqcikari) 2018年9月21日
自分を批判した言論人を
小川は、
名指しで列挙している。
その点につき、
及川眠子『ネコの手も貸したい』発売中@oikawanekoさんが次のようにコメント。
――小川榮太郎氏の反論がすげえ。作家やジャーナリストたちをわざわざ名指しして「僕ちん、この人たちにいじめられたぁ」てFBに投稿してる。恐ろしく幼稚なこの精神性なら「痴漢にも権利あるもん!」て言うのも理解できるわ(笑)〔15:33 - 2018年9月22日〕――
「便所の落書き」って、
何だろう。
小川は、
それにつき説明する義務はないのかな。
僕は、
この「便所の落書き」という評価を見て
思い出したのは、
卑猥ってことだな。後、陋劣って用語も思い出した。
文章の良しあしではないな。
それで、
小川の文章に卑猥であったり、陋劣な表現がないんなら、
この評価は言いがかりに過ぎない。
しかし、
該当するのなら、
評価として適切ってことだろう。
思うに、
「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう」
という件、相当に卑猥だよ
(拙稿「小川榮太郎 / 「痴漢の触る権利を社会は保障せよ」」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/6ee9bd996997dc80a2717342c46f0acd
しかし、何より、社会的に有害と考えられるのは、
その後に続く
「彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女の権利を思えと言うか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」
という被害者めいた屁理屈だ。
なぜ、犯罪を権利のごとくに言うのか。
煽られて、
犯罪を犯す人も出てくるじゃないか。
そういう人をドロップアウトさせるようなことを書きまくって、
どの口が「俺の文章は『便所の落書き』じゃない」
などと厚かましいことを言うのかと思う。
以上で、『便所の落書き』とみなしていい条件はそろったとみていい。
ついでに「陋劣」か否か、
見て見ることにする。
これには、
小川が思いついたという略語、
「SMAG」に
その性質が現れ出ているのではないか。
なぜ、アルファベット4つを並べて比較したのか。
概念を混乱させるためだろう。
論争というのは、
議論を重ねて行くうち、何が論点か事案を追うにしたがって
明らかにされるものだ。
然るに、
小川とは話せば話すほどに話が混乱して、
焦点が定まらなくなる。
アインシュタインが
「どんな知的な愚か者でも、物事を大きく、複雑に、かつ暴力的にすることはできる。その反対の方向に動かすためには、少しの天才と、そしてたくさんの勇気がいる。」
(サイト「NAVERまとめ」記事「アルベルト・アインシュタインの名言格言を集めました」参照)
と述べている通りだ。
小川が「知的な愚か者」だとなると、結局、何時間議論をしようと、話が複雑になるばかりで
論争した時間が無駄になる。
その複雑にすることで議論を拒絶しようと態度、狡いとは思わないか。
彼が何気に「SMAG」としてまとめたものは、
人の嗜好性に関する。
生産性がないとして杉田に批判された
「LGBT」の方は、
指向性に関する。
この両者、前者が生来的であるのに対し
後者は、
治療の対象と論じられると言っていいだろう。
ただ、嗜好性と言っても、
単なる好き嫌いの問題じゃない。
その典型例である
アルコール依存症の事例を見れば分かるように、
心の中が
牢獄と化している。
小川が「後ろめたい」ものがあるという感覚で
一括りにしようとしている。
それは、
とても粗っぽい議論だ。
知らないのなら知らないでいい。
分かったような顔をして
「彼らの『生きづらさ』は、後ろめたさ以上ではない」
という単純な言い方で整理して欲しくない。
無理に整理したら、
対立が生じる。
もっと言えば、分断を持ち込む。
それはとても卑怯な対応で、陋劣だと思う。
すなわち、偏狭(陋)で浅はか(劣)な態度だよ。
彼自身が
「LGBTという概念について私は詳細を知らないし馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」
(冒頭、アップした動画の最初の部分にこの発言がある)
と告白している。
恐らく、嗜好的な病であっても知るつもりはないだろう。
これ以上、深入りしないけれど、
ジェンダーに苦しんでいる当人からすれば、「後ろめたい」という言葉では
蔽いつくせない重圧感があるように、
サドやマゾ等、セックスに関する倒錯した感覚を持つ人だって、
いわく言い難い閉塞感があるんじゃないか。
分かろうとする気がないならば、
嘴を差し挟むな、
ということだけは言っておく。
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