のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

コミュニケーションにおいて、時には感情的になってもよい

2015年10月16日 12時36分57秒 | いじめ根性
シールズのWaks (Wakako)@QueenWaksこと、

福田和香子さんの

――なぜわたしが大事に思ってる女の子たちがこんな社会の最底辺彷徨ってるようなクズに毎日毎日罵詈雑言投げつけられて苦しまなきゃいけないのか。こんなに言われると人でも殺したのかと思うけどデモやっただけだからね😪アホかよ。〔2:39 - 2015年10月14日 〕――

というツイートを巡って、

丁々発止の議論が行われているようだ。

根本的な問題は、

シールズに絡みついている人たちの行っていたのが

ただの挑発に過ぎなかったことじゃないかな。

思うに、

タイトルに書いたように、

批判のやり取りで

大切なことは、

お互いに感情的になることを

許す

信頼関係があることではないだろうか。

それが希薄になったら、

「くずめ」

とかいう乱暴な言葉がでるさ、それは、人間だから。

聞き流せないなら、

挑発を止めれば済むことじゃないかと思う。

下に掲げたのは、

Waks (Wakako) @QueenWaks さんの

暴言に関するコメントだ。

――わたしの「社会の最底辺のクズ」の定義はレイシストやセクシスト等の他者に対する想像力を持たず知性に対し敬意を払わない人間のことです。〔11:52 - 2015年10月16日 〕――

「レイシストやセクシスト等」

という例示を

脱色すると真意が伝わらない。

もし、脱色して、

「他者に対する想像力を持たず知性に対し敬意を払わない」

というところだけ抜き出せば、

単なる罵倒や悪口の類いと何も変わらない。

いわゆるヘイトスピーチは、

それらとは異なって、

差別を助長する。

根っこのところに偏見があるからだ。

Waks (Wakako)さんの

「社会の最底辺のクズ」

という罵倒に、

ネット環境を離れて、

社会的な具体性があるかどうかが問題ではない。

たとえば、

「社会の最底辺のクズ」の代わりに、

「アホ」と言ったとする。

「アホ」と呼ばれる一群の人たちを

想定して、

そこに社会的な具体性を

客観的に

認めることに何の意味もない。

「罵倒」という

感情表出を責める一方で、

ネトウヨたちのするスピーチの

質が無視されている点に本当の論点が隠されている。

人を責める前に

己の醜い姿を

俎上に乗せることが大切と思うな。


<追記>

ネトウヨたちのネット上の罵倒は、

本文に述べたように

「馬鹿」「アホ」や「クズ」

という域を超えてヘイトスピーチという

外国では

許されざる個人攻撃になっている。

それが、

福田和香子さんの乱暴ではあるけれど、

客観的に見て

「感情表出」に過ぎないものと

同列に比較されている。

その視点そのものが言論抑圧的だ。

「J-cast」が

ネトウヨ掲示板と指摘されるのも

故なきとしない。

これらの差別を煽るニュース。サイトに

欠け落ちているのは、

エリック ・C @x__ok さんの次の視点だ。

――安倍政権と言うのは本当に滅茶苦茶な事をする政権だが、それを批判すると沢山のネット右翼が屁理屈つけて文句言ってくる。そういうセットになっている。ツイッター上にいるとこんな事は誰でも知っている事だが、ツイッターにいない人達はこうなっているとは知らない。この落差は大きい。〔9:25 - 2015年10月19日 〕――

福田和香子さんの

「社会の最底辺のクズ」という表現は、

このような

特殊「沢山のネット右翼」に向けられた言葉だということに

思いを致したい。

2015年10月19日昼 記



最新の画像もっと見る

コメントを投稿