どさ

詩を投稿しはじめました。
そのうち、紀行文も予定しています。
落ち着きに欠けたものが多くなりますがそれしかありません。

河口の水 ほの暗さ

2019-11-28 18:33:58 | ドサ日記

河口の水 ほの暗さ(留萌支庁北部:天塩町)(2007年8月16日) 

 

    子どもに「幽霊とお化けの違いってなーに?」と聞かれたなら「やりたい事が違うんだよ」と答えよう。前者は属人的で、後者は属地的、つまりストーカーと通り魔の違いだな。たとえ、どんなに“わけわかんねー奴”でも、その意図を正しく推し量り、恐れるものは正しく恐れるべきなのだ。ところで自分はこの幽霊やら化け物の類にははっきり言っていい感情をもっていない。

 

甲「自身が幽霊ないし化け物なら話は別だが、彼らに良い感情を持つ者とはいるのかね?」

乙「いや、違うんです、そういった一般論じゃないんです」

甲「なら、ストーカーか通り魔なのかね?」

乙「だから、違うんです」

甲「だから、なんだね?」

乙「いままで2回ほど憑り殺されかけことがあるからです、積極的に憎らしいんです!」

甲「それはきみお得意の幻聴じゃないのか?聴いたことあるそうじゃないか」

乙「遭難しかけて3日目からがんがん聴こえました。でも、あれは声よりも声ですね。

死にかけている自分のもう一つの声を、耳元より深いところで認識するんです」

「ふーん」

甲「だから、ああいう幻覚系と化け物系の区別はつくんです」

「どこで遭遇したのだね?」

乙「夕張の某峠と谷川岳の某沢です。聞きます?」

甲「止めときなさい。そんなにありがたい目にあったならペラペラやらんことだな。ヘラヘラやってるとまたでくわすぞ。」

 

ということで、その2回。昔は詳しく書いたが今は書かない。が、心霊現象とか言われる代物には、はっきりとした怒り、そして猛烈な敵意を覚える自分である。それゆえか、夜中に一人でどこを歩こうが、どこに寝ようが、怖いという事はついぞなくなってしまった。なーどと書いているが、今回の天塩町では、十数年ぶりにぎゃーと叫んでしまったと思う。イヤハヤ。

 

                   *

 

 天塩川は道内で2番目、全国でも4番目に長い大河であり、上流から河口まで大都市を経ず、大部分を奥深い森にくゆらす原始の川だ。50〜60年前までは、キャビアの親御さんであるチョウザメまで上っていたそうだ。また、河口から150km以上、ダムや堰が一つもないことからカヌーイストの間では垂涎の川でも知られている。今回のチャリ旅の目的の一つには、この知られざる川の神秘を実感したいというのがあったのだ。

 

     河口の町、天塩町についたのは夕暮れ前。天塩川温泉に浸かって一息。二階にある大浴場は展望が良くおおらかな気持ちになれる。温泉で着ていたTシャツと短パンを洗い、“着干し”してしまえとおおらかに濡れたままの服を着て出た。時間はすでに夕暮れ中。天塩川の河口を見ようと、町の中心を走っている。と、交差点の信号機のところでバッタリとエゾ鹿に出会う。う、なんじゃこいつ!はったと見つめ合う鹿と自分。ん〜、こいつ人慣れしているのかと思い近づいてみるが、そんなことは全然ない。ひたすら逃げ回るだけ。しかも町の中をパカらん、パカらん走り回る。だが、観察していると、町の人たちは、鹿のことなど見向きもしない。完全に野良犬、野良猫なみの扱い。ありゃ多分、畑の野菜なんかムシャ、ムシャやってるね。ずいぶんと北海道の風景だな〜。去り際に振り向くと、野良鹿は倉庫の横でキョトンとしていた。

 

     天塩川の河口は不思議な形であった。川と海が狭い砂州によって、しばらく並行するような形で続く。そして、灰色の虚空へ吸い込まれるかのような細長い河口、ほの暗い水面。河口沿いは一応、公園として整備されているが、夕凪の時間でも散歩者が2〜3人。これは夜には間違いなく誰一人も来ないのである。安心して眠れそうなので、ここで野宿することに決めた。丁度よい具合に公園の一番はずれにあずま屋が建っていてそこにもぐり込んだ。

 

    日が暮れ、その日は一挙に気温が下がった。今まで、寝苦しいくらい暑かった北海道のお天気様はここに来て一挙に正体を明らかにした。おお、寒いぞ、おもしろいほど気温が下がる。しかも、自分の衣服は濡れたまま。早くお着替えしなきゃね、でも駄目なのよ。今回の自分のチャリ旅は荷物重量軽減のため、衣服はTシャツ2枚短パン2枚に絞った。どうせ、毎日、温泉に入るのだから、そこで一組ごと洗って夜の間に乾かせばいいやと、一見合理的に、有り体に言えば安易に考えていたからだ。しかも、自分は後やら先やら考えたりするのが苦手なので、先ほどの天塩川温泉で全衣服を洗濯してしまいまひた。お着替えは今、自転車に張った紐の上で濡れて重そうにしている。あっ、まずいぞ。寒いぞ。一息ごと一度下がるこの体感、記憶は山岳遭難(懐かしくも情けない)。雨具を着て、シュラフカバーに入ってもガタガタと震えが止まない(とーぜん、シュラフカバーだけでシュラフなんか持ってきてません)。丁度、そのとき東京からメール。なに本日の東京の最高気温30何度なり。ここは何度だ?ゲッ16度。こりゃ、東京の10月下旬の気温だよ。やむなく、輪行用に自転車を包むサイクリングカバーを取り出し、シュラフカバーごともぐり込んだ。ううバッチイなんて言ってられネェ。以前、奥能登で全装備失い、そのときもこんなだったなー、情けない状況を招いてしまうなー、せめてシャツとパンツは予備を持とうなど思いつつ、それでもうつら、うつら。

 

                   *

 

     就寝してしばらくし、闇の中に音がする。ごそごそする音。目をそちらに向ける。柱の影に何かいる。柱の影に小さなそれがうずくまり、輪郭だけがゆらゆらしている。さっきのバカ鹿かと思ったが、気配が尋常でない。気のせいかささやきのような音がする。大体、この真夜中、こんなあずま屋に何が来る?正常な事態な分けがない。あれ、手のようなものが突き出され揺れ始めた。そしてささやきが微かに聞き取れた。

 

“よしちゃん、ごめんなさい、まあちゃん、ごめんさい、ごめんさい”

“ごめんさ〜い、ごめんさ〜い、ごめ〜んさ〜い〜〜“

 

「おーや、おいでなすったのかい」そして、サイクリングカバーに入ったままそっと上体を起こした。すると、それの上部が柱の影からすーっと動き、ぽっかりと白いものが闇に浮んだ。老婆の顔? とたん、顔の真ん中で、目と口の部分がぐぁっと開いた。ギロンとした白目が闇に浮ぶ。

その禍々しい白を見たとたん、なぜだか呼吸の方法を忘れた。自分はまともにその目と見つめあった。次の瞬間、それは両手をちぐはぐな角度にふり回し、ひょ〜ぐぉ〜に近い音を立てて柱からよろよろと這い出してきた。

壊れるような音が頭を突き上げた。

熱湯のように冷たいものが全身を走り、永遠のような瞬間が過ぎる。

 

がっ!(ぷつんと外れたように体が動く)カバーに入ったまま飛び跳ねた。

ぎっ!(ベンチの下に転落。手足がカバーにからみつく)カバーから抜けたとたん、

ぐっ!(目の前にひかり、前頭部がベンチに激突)起きあがろうとして

げっ!(目の奥にひかり、後頭部がテーブルに激突)グラッと起きあがる、何もない。

ごっ〜(風の音)「な、なんだ、あれ?」しばし放心。

 

そのうち、なぜか、吐き気のような変な気分がしてきた。だが、外に出る気はしない。体は熱いのか冷たいのか分からない、ガンガン耳鳴りがしている。自分は、そのままそこにへなへな座り込んでしまった。

 

                 *

 

 結局、目が覚めたのは朝もだいぶ遅くなってからだ。濡れた服のままで座り込んで寝ていたが、体中の関節がバリバリするが何ともなかった。服も乾いている。それより、周囲が騒がしい。歩いている人、自転車を押してくる人、さっきから数人があずま屋の前後ろを行ったり来たりしている。そのうち、体格のいいおっさんがこちらにやって来た。

「おはようございます。すいませんが、おばあさん見ませんでした?」

「おばあさん?」

「少しおかしいというか、挙動がおかしいおばあさんです。」

(−−−あれだ−−−)

「何かあったのですか?」

「いや、私、役場の者なんですが、朝、散歩している人から、河口におかしなおばあさんがいるとの連絡がありまして」

「ええ!」

「喪服で数珠をもって、川沿いを行ったり来たりし、ずっと川をのぞき込んだりと」

(おい、おい冗談じゃねぇぜ、自殺企図者だったのかよ!!)「あの、実は--」

自分は集まった人たちに昨日の夜の話をした。そして、おばあさんはこの辺の人間ではないこと。川に入ってしまえばこの寒さだからもう助からないこと、林の方へ入ってくれればまだ生きている可能性があることを聞いた。自分もあわてて、おばあさんの捜索に加わり、林の方を探した。だが結局、手がかりもなく一同は戻った。取りあえずバス会社に連絡し、喪服のおばあさんが乗らなかった聞き、それでも所在がはっきりしなければ警察捜査に切り替えようということになった。もし、警察捜査となった場合、自分にも連絡がいくので携帯を教えてくれとのこと。それで、役場の人と携帯番号を交換した。その後、電話はない。おばあさんはどこかへ行ってしまったようだ。良かった、良かった。それにしても、生きている者が一番怖いというがそのとおり。あの白目のひかりは今でも忘れられない。怖い、怖い。

天塩を出るとき、捜索の人たちと別れ、ヘルメットをかぶった。頭には大きなこぶと裂傷ができており、痛い、痛い。こぶはしばらく痛いだろうが、もちろん生きているからだ。

 

                 *

 

町のはずれで天塩川を振り向いた。確かに、天塩川の神秘は実感した。というより、少しばかり体感しすぎてしまった。

     それにしても自分もそうだが、おばあさんの方もまた随分と濃い体感をしたのではないだろうか。何せ、死のうとして(?)独りで人生の祈りをしている真っ最中、いきなり後ろのゴミ袋のようなところから人が這い出してきたのだから。これはこわいぞ~、見も蓋もないぞー、というか無さすぎだ。互いに人生の闖入者だが、闖入度合いは自分の方がひでぇな~。せめてこの闖入があなたの人生に何かあらんことを。願わくは人生を止めてしまうことが馬鹿らしくなるように。そしてもっと願わくはわれわれ全てが、互いに苦しみにさいなまれているとき、苦しみ自体に冷や水をぶっかけるような、のんきでささいな事件が世にみちますように。

     さて、 川は、相変わらずほの暗い水をゆっくりと運び続ける。その水の先は虚ろや永遠だ。その前では幽霊だの化け物だのストーカー何てのはみな因果のなかをプカプカと浮かんでいるにすぎない気がする。きっとこの世の因果律は偶然律のほんのささいな部分なのだ。それならそれでいいじゃないか。なぜだって?

あの世というのは実はこの世だということだからさ。


わたしがオロロン 優雅の鳥

2019-11-07 05:52:31 | ドサ日記

わたしがオロロン、優雅の鳥 (留萌支庁:羽幌)(07年8月15日) 

 

白浜に 墨の色なる 島つ鳥 筆も及ばば 絵に描きてまし(玉葉集)―なーんちゃってね

 

 オロロン鳥。千鳥目うみすずめ科の一種で和名は海ガラス。鳴き声が「ウォルーン おろろー」と滑稽なようなもの悲しいような声で鳴くのでオロロン鳥と名付けられたという。それ以外は、日本では天売島という小島にほそぼそと暮らすということしか知らなかった、つまり姿形も知らなかった。 

この鳥を意識したのは、20年ちょっと前、嫁さんと北海道旅行をしたときだ。

羽幌町でたまたま車を停めた道のわきに小さく「天然記念物オロロン鳥」という看板。どんな鳥かとちょっと興味を持ったが、自動車の旅というのは早すぎてせっかちである。天売島まで渡る時間があれば、北海道を半周できるのでドンドン進もうぜ!ということで、まだ若かった我々はドンドン、ドンドン先に進み、そのまま人生を進んでいった。 

 旅行後、なにげなくオロロン鳥を調べてみた。黒い頭に白い胴体、潜水して魚を補食するところなどペンギンに似ている。しかし、オロロン鳥の方がはるかに線がなめらかで優雅に見える。

それに、両者は目レベルで異なる全く別の鳥。第一、海ガラスの類は北半球、ペンギンの類は南半球が住み家。元来、船乗り達は、海ガラス、特に大海ガラスなる鳥をペンギン(“このデブ!”という意味)と呼んでいたそうだ。しかし、船乗りがはるばる南極あたりまでたどり着いてみりゃ、

「おや、ここにもペンギンいるじゃん!」と、

そいつらもペンギンと名付けてしまったとのこと。

ちなみに、北半球の大海ガラスは喰って旨かったらしく荒くれ船乗り達の胃袋におさまり、19世紀に絶滅。南の方は不味かったらしく今も元気、因果―。

 

 さて、ドンドン人生を進んでいった自分だが、疲れたのか、このところに来て、ぐっと進むスピードが遅くなった。例えてみれば、自転車を漕ぐくらいのスピードまで遅くなったので、実際に自転車漕いで、野宿を重ね、こんなところをうろついているわけだ。

遅くなると、目に見えるものは減るが、目が行くものは増える。留萌から羽幌町へ進むと、20年ぶりによれよれとなった「天然記念物オロロン鳥」のカンバンがある。

「ああ、これいつか見たいなと嫁さんと言っていたやつだ」、いつかって来るもんだな~。              

--嫁さんも来れば良かったのに--

  では、予定には無かったけど、我が愛車「偶然号」よ、天売に渡り、オロロン見物といこうではないか。島に渡るまでの間、そのオロロン鳥についてもう少し蘊蓄:

「絶滅しなかった方の海ガラスことオロロン鳥だが(よっぽど不味いのかね?)、日本ではずいぶんと減ってしまいました。一大生息地であった天売島の個体数は、1938年には4万羽。んで、この旅をしている2007年には13羽。おや、99.97%減りましたよ。というよりこれほとんど絶滅ですよね。なんか夕張の人口みたいで悲しいなー。原因は幾つかあり、最初は、北海道にニシンが回遊しなくなりオロロン鳥も減少。次に、60~70年代にかけて天売島周辺で行われたサケ・マス流し網漁で、潜り自慢のオロロン鳥も元気よく網に突っ込んで集団お陀仏=激減。さらに個体の絶対数は、あるレベルを下回ると、天敵からの捕食・気候変動等に集団を維持できなくなるそうだが、オロロンもその域に達し、今でも完全絶滅への道を歩んでいるのが現状。」

などと、オロロン鳥について覚えていたことを反芻しているうちに、港に到着。

天売フェリターミナルは大きなオロロン像が目印とあったので、像を探す。すらりとした姿を想像していると、なるほど向こうにすらりとした大きなものが見えてくる。おお、いよいよオロロン鳥の全貌が見える、優雅な~すがたー、ん?

 

わたしがオロロン、カモメのトイレ

                                                                

 うわ!きったねぇー 自分のイメージでは優雅の鳥オロロン、その像に出会ったとき、思わず発した最初の言葉。オロロン像は見事にカモメのWCと化している。

そう、さきほどから言っているオロロン鳥の天敵ってやつが、このカモメ。オロロン鳥と同じ千鳥目ながら、こいつらは、海上に漂着する屍魚、陸上のヒナ、ゴミなどを漁る海のハイエナ。潜水がほとんどできないせいであります。海鳥としては進化の劣等生だったわけですね。ところが、これが幸いして、オロロン鳥が次々網に引っかかって激減する中、この世の居場所をば広げ、あまつさえ天敵としてオロロン鳥の絶滅にだめ押しをしている次第。元来、天売島に100羽に満たなかったカモメは今やその数千羽を数えるとのこと。うーむ。進化と適応ってそんなに相性にいいものじゃないのかね~?

そして、あわれなオロロン鳥は、像になってまでカモメの攻撃を受け、今や、きやつらのフンまみれで、“どろろ~ん”と曇天に立ちつくしている。

--うわ~嫁さん来なくて良かった--

 

それにだよ!なってこったい。天売島行きフェリーの切符売り場のかあちゃん曰く:

「オロロン?今いないよ。今ごろソビエトじゃないかい?遅かったね、がははー!」

はあ、そうですか、オロロン鳥は渡り鳥だったのですね。。。

 調べもせず来ればこうなる方が断然多い。風任せ・足任せの旅とは、実際のところ、“はぁそうですか..”と終わる事が8割。そういうものと割り切ってはいるが、やはり、あーあ。

 

 さて、“あーあの珈琲はブラックでありき。”やることないし、すぐに出発する気もない。そういう時はコーヒー頼みましょう。船も出て、切符売り場従業員から茶店従業員に代わったかあちゃんが、やはり“がははー”と笑いながらコーヒーを出してくる。うろつくカモメを眺め、哀れなオロロン像を眺め、ぼけーっ。コーヒーが3杯目になるまでぼけた頃、レジ横の“カモメ餌50円”という紙袋が目に止まる。やることもなく、何となく買って外に出る。ガサガサと開けると、中は魚のあら。ホッケの頭やら雑魚が乾物状態で詰まっている。「うへぇー、こんなもの食ってのどに刺さらないのかね?」と思ったが、カモメだしね、朝昼晩と魚丸呑みなら、これが当たり前だよなー。そして、餌をぶらさげ、ぼーっと港に立っていた。ほんとうにぼーっと立っていたのです皆さん。例えてみれば、畳に寝ころんでいると、目の前を猫がぶーらぶらする。その尻尾を軽く弾くと尻尾もぶーらぶら。たまにそこに洗濯ばさみなど挟んでみる、猫ブニャ~と怒る。そんな事を繰り返し、気づけば一日が終わっていた。そんな、ぼーっとした感じ(我ながら何という的確な比喩)。若い頃はあれだけぼーっとすることに憧れたものだが、実際にこういうシチェーションで、やることなくぼーっとしてると、なんだか踏み込んではいけない領域に達したかのように、ぼーっとする。                  

と、そのとき、うろうろしていたカモメの一匹が目ざとくもこちらの袋に気がついた。彼女は、不実な恋人に再会したかのように、上目遣いでシュリ、シュリと近づいてくる「ごはん頂戴- - - 」。そのうち、周囲の連中も気がつき寄ってくる「ごはん頂戴- - - ごはん頂戴- - -」シュリ、シュリ。うへ~目付き悪りー。シュリ、シュリはさらにシュリ、シュリを呼び、じぶんは徐々にカモメの輪に囲まれてきた。

 

あーだこーだ言ってねーで、早く出すもんお出し!。

 

囲まれて、ぼーっとしていた頭が、ハッと我に返った。「おーし、やるぞ、やるぞ。たっぷりあるぞー」50円でこりゃ3kgぐらいあるな、今日日のどこぞの水より安い。

あーらよーっと!手づかみでどばっと投げる。おお、どよめく風のように動くカモメ、すげぇ。餌の両端くわえて翼でぶん殴り合うは、前を突き飛ばして、餌に突進するは、まさに貪り合い。ほーれ、もう一丁!グァー、ギャー、阿鼻叫喚。鳩より下品、ぜってぇ下品!

それにしても、何回投げても餌減らねぇぞー。向こうの空からもどんどん寄ってくる。江戸の若旦那が庶民に小判を投げるがごとく、ほーれ、拾え、ほれ、拾えー。ははは、なんだかおもしれぇや!

--嫁さんも来れば良かったのに--

ふと後ろを見ると、小さな女の子もおもしろそうに見ている。「はい、きみもあげてごらん。」とホッケのアタマをごそっと手渡した。女の子、喜んで“えぃ!” しかし、いけねぇな、少女の投擲力はとーぜん弱い。とーぜん、ホッケは女の子の足下にポトッ。とたん、ドドーンと押し寄せるカモメの嵐。瞬間、女の子はカモメの竜巻に消え、次に、キャーという悲鳴とともに、竜巻から飛び出してフェリーターミナルに駆け込んだ。

ありゃりゃ、何だか悪いことしてしまったな、これで一生、鳥嫌いかな、ははは!

 

はて、そんなことしているとき、群れの中に、カモメと似ているが一回りチビで、羽は白茶まだらで少々キチャナイ(目は真っ黒で可愛らしい)のが数匹混じっているのに気がついた。なんだ、この鳥?

 

このチビ、カモメに比べ、鈍くさいか、頭悪いかどちらか。ともかく群れを走り回る「ゴパンだ、ゴパンだ」どたばた。餌を投げると、もっとどたばた。餌はすべてカモメがパクッ。チビ、全くありつけない、ただ闇雲に「ゴパン、ゴパーン、ゴパーンーー」、けど、やはりカモメがパクッ!チビ、さらにどたばた、たまにドテッ、転けてやんの。が、このチビ、腹は思い切り空いているとみえ、餌を投げる自分の手をウズウズしながら見つめ、終いにはピゥー、ピゥーと泣き始める。不憫になって、近くに餌を投げてやるが、やはり、どたばた、ピゥゥ~。ああ、このアホウ鳥。こんなうすらバカ、よくもこの厚かましいカモメと共存していけるな~、近いうち滅びるぞお前らも。そう思いつつ、餌を投げ終わる。結局、雑魚一つさえ、このチビどもには渡らず、すべてカモメの胃袋におさまってしまった。可哀想だがどうしよもない。

                                                                                         

 

        どんくせぇんだ、こいつがまた

 

 とっても、下らないが、何となくすっきりし、出発する気分となる。ありゃ、もう午すぎ。ずいぶんぼけーっとしたがまあいいさ。偶然号にまたがる。今度はフェリー乗り場清掃員となっているかあちゃんがガハハと笑い、見送ってくれる(どうでも良いけど、オロロン鳥もたまには洗ってやれよな、かあちゃん)。そして、鳥どもの群れをちらと見て「しっかりせいチビ」と一瞥し、国道に戻り北上再開。

 

 結局、いつかオロロン鳥を見るという機会は、再び、いつかの領域に去っていった。まあ、そのうちと思うが、こういう何の根拠もない期待は楽観仮説と言って、人生を過ごすのに実に必要な資質なのだ。人は何となく、特に若ければ若いほど、自分はずーっと生きていると思うし、何となく将来はバラ色になるものだと思うものだ。もちろん、実際はそんな事はま~~~ったく無い。若かろうが、老けていようが、不幸も、幸福も、やってくるものの確率はそんなに変わらない。歳を取れば取るほど嫌な事ばかり多くなるというのは、単に、分別や知恵が増殖して、この楽観仮説を保てなくなるのが大きい。

(そうすると、知恵と幸せは、そんなに相性の良いものではないのかな~~)などとくだらねぇ事を考えながら海辺を走る。走っている海辺にぽつらぽつらとカモメ。相変わらず、不景気な顔つきで佇んでいる。よく見るとあのキチャないチビも混じっている。さっきのに比べ、もう少し小さいかな。

 

“うん?またカモメと一緒にいるぞ、一体なんだあの鳥”

すると突然、その小ちゃいのが、ぬぬぬ、と大きいカモメの胸元に入り込んだ。

あれ?

小ちゃいのは口をカモメの口元にすり寄せ、ピゥー、ピゥーと鳴いている。

おや、何かねだってる~? ?

あ、親子だ、あれ。

(後で調べたところ、やはりこの小ちゃくてキチャないのは、カモメのヒナ)

 

ピゥピゥピュウーと鳴いて、母にすり寄るヒナ。でも、何もないのだろう。

母:「知らん」。

目つきの悪さもさりながら、無表情でもカモメに勝てる奴もそういない。

何回もすり寄っても、

母:「知りません、何―もありません」。

ヒナ:ピゥ、ピゥ、ピゥゥー

母:「知りません。うちは浄土真宗なのでサンタさんは来ません」。

ヒナ:ピーゥ、ピーゥ、ピピピ、ぴーぅ

何回も、何回も、何回も- - -

 

そのうち、何ももらえないヒナは波に向かってピーゥー、ピーゥー泣きはじめた。もちろん、波の音にも表情はない、ざざーと響くだけ。そして自転車が遠ざかるにつれヒナの声は少しずつ小さくなり、波の音は少しずつ大きくなり、いつしか周囲は海の音一色となった。

この風景は別に自分の人生とやらに関係ないが、ぼーっとした旅では、何故かこういうものまで心にしまい込むことができる。そして、いつか、しまいこんだ色々な代物を、天気の良い日なんかに虫干しして、施設の隅でふふふと笑っているのが多分、自分の落日の風景である。

ふふふ、いいぞ自転車は。のんびりするぞ、落ち着くぞ。単に居場所がないなんて本当のことを言ってはいけないよ。ほら、ゆっくり走れたし、カモメの親子に会えたし、それに、もうすぐ夕暮れの燈色が金色を少し混ぜながら海に広がるはずだし。

 --独りですすんでいる、それだけのこと--