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(内容)
戦時下、学校から次々消えた「二宮金次郎像」
姫路市立美術館学芸員 平瀬礼太
からの転載。
http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKDZO64209370X11C13A2BC8000 日経2013.12.18朝刊
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西郷隆盛像と異なる意味で庶民に近しい銅像といえばなんといっても二宮金次郎像である。今でも各所で見られるこの像は、薪を背負いながら書を読む姿を勤勉の象徴として、昭和初期から全国の小学校に設置された。戦争期においても、努力勉励すればお国の役に立つという模範的人物の象徴として、天皇への忠節を示す楠木正成像とともに学校に併置された。 戦中には外地にまで設置された金次郎像であるが、多量に作られたため、金属供出運動においては他の銅像に先立って次々と回収された。しかしさすがに学校の銅像、供出に際しても教育的配慮をなして国事に身を捧(ささ)げる皇国臣民を育てるべしと、撤収時には除幕式さながらの壮行式を挙行し、撤収後の台座上に「二宮尊徳先生銅像大東亜戦争ノタメ応召」の札が立てられた。 代用品に替える例も多かった。石、コンクリートによる二宮金次郎が銅像と入れ替わり、さらには陶器製までが制作された。1940年5月8日の「写真週報」では備前焼で大量生産された皆同じ二宮像が立ち並ぶ様子が紹介されるが、異様な光景である。 42年7月、神奈川県足柄上地方事務所で実施された二宮金次郎像応召壮行会では、14町村から回収された像にすべてたすきをかけ、教師、児童立ち会いのもと、戦地に送り出した。壮観といえようが、なんとも痛ましい情景である。(写真は北海道倶知安町所在のもの)
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以下、写真 田中正秋/アフロ
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