清水のカトリック教会
清水カトリック教会は、1935年外国人の宣教師が、岡町の清水港が見える高台にある元徳川家康の「浜御殿」の跡地に作られました。
双頭のゴチック様式、木造檜造りの教会で、築後83年の日本建築でデザインもすばらしいと言われ、静岡県内には一つしかない日本建築の教会です。
「古教会の写真集」に掲載されていますが、内部の壁や天井の色はマリアン・ブルーと言われ、写真で見るよりも実際の方が美しいと言われています。
6年位前までは、この聖堂は大地震で「すぐに壊れるだろう」と言われていましたが、日本建築の専門家が詳しく調べたところ、柱の傾きもなく、天井をつってある木材もしっかりしていて、丈夫で優れた建物だと分かりました。ゴチック様式で天井が高いのですが寺とは違い空洞なので軽く、土台の柱が当時としては珍しくコンクリートで補強されていたので、戦時中(1944年頃)の3回の大地震(震度7~8)にも少しの影響もでていませんでした。
<戦時中の爆撃で、聖堂に駆け込んだ市民を助けた教会>
1945年7月7日の清水の大空襲と7月31日の艦砲射撃で、この街は焼け野原になりましたが…この聖堂だけは残り、傷ついた多くの市民がこの聖堂に駆け込みました。教会の宣教師と、親しくしていた近くの野沢医者がケガ人の治療に当たり、石の奥様は、近くの農家のい人たちが食べ物を医師に持ってくると、教会に運んで信徒と一緒にその人たちに食べさせ、多くの市民が助かったと証言した人がいます。
そのためにこの教会は「平和の象徴」として、平和巡礼の場・地として、夏の終戦の時期には一般市民からの訪問やイベントもあります。
清水カトリック教会は、1935年外国人の宣教師が、岡町の清水港が見える高台にある元徳川家康の「浜御殿」の跡地に作られました。
双頭のゴチック様式、木造檜造りの教会で、築後83年の日本建築でデザインもすばらしいと言われ、静岡県内には一つしかない日本建築の教会です。
「古教会の写真集」に掲載されていますが、内部の壁や天井の色はマリアン・ブルーと言われ、写真で見るよりも実際の方が美しいと言われています。
6年位前までは、この聖堂は大地震で「すぐに壊れるだろう」と言われていましたが、日本建築の専門家が詳しく調べたところ、柱の傾きもなく、天井をつってある木材もしっかりしていて、丈夫で優れた建物だと分かりました。ゴチック様式で天井が高いのですが寺とは違い空洞なので軽く、土台の柱が当時としては珍しくコンクリートで補強されていたので、戦時中(1944年頃)の3回の大地震(震度7~8)にも少しの影響もでていませんでした。
<戦時中の爆撃で、聖堂に駆け込んだ市民を助けた教会>
1945年7月7日の清水の大空襲と7月31日の艦砲射撃で、この街は焼け野原になりましたが…この聖堂だけは残り、傷ついた多くの市民がこの聖堂に駆け込みました。教会の宣教師と、親しくしていた近くの野沢医者がケガ人の治療に当たり、石の奥様は、近くの農家のい人たちが食べ物を医師に持ってくると、教会に運んで信徒と一緒にその人たちに食べさせ、多くの市民が助かったと証言した人がいます。
そのためにこの教会は「平和の象徴」として、平和巡礼の場・地として、夏の終戦の時期には一般市民からの訪問やイベントもあります。
新しい信徒会館、司祭館を建てるためだと言いますが、清水教会の敷地には、聖堂をとり毀さなければ、新しい信徒会館を建てる場所がないのでしょうか?
それとも、敷地的には、聖堂があるところに手を付けなくても、信徒会館を建てる広さの空地があるのでしょうか?
また、資金的にはどうなのでしょうか?建築費は信徒が負担することになるのでしょうか?
もし信徒が負担するのであれば、その金額は公に提示されたのでしょうか?
信徒会館に大金をかけて、その上聖堂を取り壊して聖堂機能を信徒会館に新たに併設するより、今の美しい教会を耐震補修して存続させる方が、信徒の負担は何千万円も少なくなるはずではないでしょうか?
そんな余分の負担を引き受けてまで、清水教会の信者さんは今の聖堂の取り壊しに賛成なのでしょうか?
考えれば考えるほど疑問は湧いてきます。