ありがとう、真央ちゃん! フィギュアスケート女子で2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(26)=中京大=が10日、自身のブログで現役引退を表明した。6位だった14年ソチ五輪のシーズン後に心身の疲労を理由に休養。1年後の15、16年シーズンに復帰したが、痛みのある左膝の状態が思わしくなく、本来の演技ができない状態が続いていた。近日中に会見を開く。 真央、いや真央ちゃんがリンクを去る。浅田真央が10日午後10時51分、自身のブログを更新。衝撃的な引退発表が深夜の日本中を駆け巡った。 「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートができたのも、たくさんのことを乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います」 12歳で世界の女子で数人しか跳べないトリプルアクセル(3回転半ジャンプ、3A)を習得。中学3年だった05年12月のグランプリ(GP)ファイナルで当時最強と言われたイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場Vを果たし、一気に注目を集めた。生まれたのが約3カ月遅かったため、年齢制限から06年トリノ五輪には出場できず、当時の小泉純一郎首相も「出てもらいたい。優秀な人が出た方が五輪も盛り上がる」と発言するなど、社会現象に発展した。 初出場の10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得。金ヨナ(キム・ヨナ、26)=韓国=とのライバル対決に敗れ涙を流した。3度の世界選手権優勝も達成。6度の全日本女王に輝くなど、日本の女子フィギュアを引っ張ってきた。天真らんまんな少女が大技に挑みながら大人に成長する過程を日本中が見守った。26歳となった今も親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ばれる。 11年12月に最愛の母、匡子(きょうこ)さん(享年48)を亡くして悲しみに暮れたが、直後の全日本で5度目の優勝。14年のソチ五輪は16位と出遅れたショートプログラムから圧巻の巻き返しを見せた。その年の世界選手権では自己最高得点で優勝。苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。14年5月に1年間の休養を発表し、会見では現役続行の可能性に「ハーフハーフ」の名言を残すなど発言でも注目を浴びた。 その翌シーズンに復帰。だが、3Aの着地などで負担のかかる左膝に痛みがあり、思うような結果を残せない日々が続いた。昨季は3Aを回避する試合が多く、GPファイナル出場はおろか、全日本でも自己ワーストの12位に終わった。 「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」などと感謝の気持ちをつづった。今後はプロスケーターに転身する見込みで近日中に会見を開き、心境を語る予定。2枠に減った来年2月の平昌五輪出場はならなかったが、氷上の舞いはファンの心にいつまでも残るはずだ。 ★浅田真央・最終戦VTR 昨年12月、世界選手権の代表選考会を兼ねた全日本選手権に出場。24日のSPではトリプルアクセルに挑戦するも1回転半となり得点がつかず、60・32点で8位と出遅れる。続く翌日のフリーでもトリプルアクセルに果敢に挑戦するも回転不足で転倒。114・10点にとどまり、合計も174・42点で自己最低の12位に終わる。試合後、世界選手権の代表権は逃したものの、来季も現役続行する意思は示していた。 浅田 真央(あさだ・まお) 1990(平成2)年9月25日生まれ、26歳。名古屋市出身。5歳でスケートを始める。愛知・中京大中京高から中京大に進み、2015年に卒業。ジュニア時代の05年に15歳でGPファイナル制覇。五輪は10年バンクーバー大会銀、14年ソチ大会6位。世界選手権は9度出場で、優勝は日本選手最多の3度(08、10、14年)。14〜15年シーズンは休養した。GPファイナル4度、全日本選手権6度優勝。1メートル63、49キロ。(サンケイスポーツ) |
真央ちゃんが10代の頃から、楽しませてもらいました。
ありがとう!