エオルゼアをプレイしていましたら、FCのチャット画面に、
『 ■■は、脱退しました 』
のメッセージが流れました。
FCメンバーさんが、突如として、所属FCを脱退したのです。
「???」 と、その時ログインしていたFCメンバーさんと、一通り言葉を交わした後、公式コミュニティサイトで、そのヒトの日記をみてみると……、
『 ハローグッバイ。 思うところがあって、FF14をヤメることにしました。』
との文言が。
思い返せば、少し前から、そのメンバーさんは、
『 最近、釣りのスポットに、他プレイヤーが来ない 』
『 鯖も、初めに比べたら人が減った 』
『 やることがない 』
…などと、エオルゼアに退屈した メッセージを発信していたように思います。
FCマスターさんに、ゲーム内のギルを、所持金のすべてを、お別れのメッセージとともに、モグレターで送っていました。
いつかまた、復活するかもしれない旨、日記にもありましたけれど、LV50までカンストしたプレイヤーさんが、その所持ギルのすべてを譲渡するというのは、事実上の「さよなら」ではないのでしょうか。
つまりは、永遠の別れ。
正直、こたえました。 思わず涙が出たほど。
FC加盟時、最初の顔合わせと、ログイン時のあいさつ、たまのチャット会話ぐらいしか絡みは無かった。
それでも、お別れは、心に、こたえたのです。
たかが、ゲーム内の他のプレイヤーキャラとの別れが、そんなに 心にこたえるものか。
そう思われるかもしれません。
FCのほかのヒトも、ドライに「まぁいいや」 とばかりに、「ww」 と別の話題に興じていましたし。
たかが、ゲーム世界でのキャラ。 どうということはない。
そう言わんばかり。
しかしねぇ…… 私は思うのです。
例えば、こんなことがありました。
先月 10月19日に開催された、プロデューサーレターLIVE内での出来事ですが、こんなことがありました。
次の大型アップデートにて、「パーティー募集掲示板」画面中に、条件入力欄のところに「効率レベリング重視、PS3お断り」 と入力できることがポロリしてしまいました。
現状、PS3プレイヤーは、FATEのような高負荷時に、画面フリーズが多発。
ダンジョンでも、画面切り替えが、PCプレイヤーに比較して遅い。
ボス戦時に、たまにですが フリーズすることもある。
…など、一部のPCプレイヤーからは、PS3プレイヤーは敬遠される動きがある。
ですので、パーティ募集時に、パーティ結成後のトラブルを回避するためにも、ある程度、PS3プレイヤーの可否を明記しておくことは、何ら問題があるとは思えません。
ですが、一部のPS3プレイヤーからは、『PS3お断りとは、何事か』、『ハラスメント行為』 とクレームがあったとのことで、LIVE最後には 責任者の謝罪と、アップデート時に 募集掲示板でのPS3お断り入力自体が不可になってしまいました。
リスク回避のために、若干、良い意味での差別・区分が設けられることに拒否感を感じる。
ログインしたゲーム内世界で、PS3プレイヤーキャラであった場合には、拒絶されることがある。それに、悔しさを感じる。
また、ダンジョンクリア時の、ドロップアイテムで、たまたま希望の装備が出ないことに 強い不満を感じる。
そんなあなたたちは、ヒトではないのか。
自分たちの受けた不利益、不満といったものを ないがしろにされたら、それこそ悔しくないのでしょうか。
ゲームの購買者、消費者、受益者…… それはもちろん、そうでしょう。
プラットフォーム関係なく、PS3プレイヤーは関係なく、「あなたとパーティを組みたい」 と言われればうれしいでしょう。
あなたのキャラが好きだから、あなたがいないと寂しいから、いっしょにパーティを組みたい。
フリーカンパニーを結成しよう。
いつ いつまでも、いっしょにがんばろうと言い合った、そのプレイヤーは、ヒトではないのか。
……なら、そのプレイヤーがいなくなった時、まるで、リアルでの大切な誰かがいなくなってしまったように、悲しがることは むしろ当たり前ではないでしょうか。
……思い返せば、ヴァナでは、プレイヤー同士の結婚式イベントがありました。
最初は、リアルで結婚したキャラが、独自でイベント主催していたのではなかったかな。
そこまでさせる、「何か」 が、ファイナルファンタジーにはあるのでしょう。
ハローグッバイと自嘲した、先輩さんとのお別れ。
たかがゲーム内での出来事よ、と、私にはドライに割り切れない。
あなたがいなくなった この世界は、それだけ寂しくなったのだと、思いを伝えたい。
映画 『マーガレット・サッチャー』 で、メリル・ストリープ演じるサッチャーが、次の台詞を言うシーンがあります。
「“考え” が、“言葉” になる。
その“言葉” が “行動” になる。
その“行動” が、やがて“習慣” になる。
“習慣” が、その人の“人格” となり、その“人格” が、その人の“運命” となる。
“考え” が、人間を作るのよ 」
実際には、サッチャー女史が、この言葉を言った……のではなかったと思います。
サッチャー自伝でも、この言葉は綴られていなかった……ハズ。
ただ、この言葉自体は、真理でしょう。
モノの見方、考え方が、人間を作る。
ゲーム内での行為が、そのプレイヤーの本体の方の人間性をも、かいま見える気がします。