出羽三山碑を調べていたら、Wikipediaで出羽三山碑の項目が出来ているんですね。
こういうものをまとめてくださっている奇特な方がいるということに感謝。
スゴイ世の中になったなあと思います。
ご存じの通り、出羽三山碑、出羽三山供養塔という湯殿山、月山、羽黒山、という出羽三山の名前を刻んだ石碑が江戸時代から関東含め各地に講中などにより建てられ今も盛んに見られます。
真ん中に位置するのが湯殿山が来るのか、月山が来るかで、たいていの三山碑の建立時期がわかるわけです。
明治以降に建てられる碑において湯殿山が中央にならなくなり、月山が中心にくることで、出羽三山自体のとらえ方というものが思想的に大きく変化していったように思います。
湯殿山が中心とならなければ、大日如来である湯殿山は宇宙そのものであり、すべてを生み出す根元であるということ自体が忘れ去られていくということなのでしょうから。
出羽三山の湯殿山が三山の一つに含まれない時代から最も大切な場所とされ、総奥之院といわれる所以がここにあります。
出羽三山信仰のなかでこれは揺るがないものだと思います。
なぜ湯殿山の縁年が出羽三山全体のご縁年なのか、生きること、死ぬこと、いのちということについてもう一度確認する丑歳なのだろうと思います。
こういうものをまとめてくださっている奇特な方がいるということに感謝。
スゴイ世の中になったなあと思います。
ご存じの通り、出羽三山碑、出羽三山供養塔という湯殿山、月山、羽黒山、という出羽三山の名前を刻んだ石碑が江戸時代から関東含め各地に講中などにより建てられ今も盛んに見られます。
真ん中に位置するのが湯殿山が来るのか、月山が来るかで、たいていの三山碑の建立時期がわかるわけです。
明治以降に建てられる碑において湯殿山が中央にならなくなり、月山が中心にくることで、出羽三山自体のとらえ方というものが思想的に大きく変化していったように思います。
湯殿山が中心とならなければ、大日如来である湯殿山は宇宙そのものであり、すべてを生み出す根元であるということ自体が忘れ去られていくということなのでしょうから。
出羽三山の湯殿山が三山の一つに含まれない時代から最も大切な場所とされ、総奥之院といわれる所以がここにあります。
出羽三山信仰のなかでこれは揺るがないものだと思います。
なぜ湯殿山の縁年が出羽三山全体のご縁年なのか、生きること、死ぬこと、いのちということについてもう一度確認する丑歳なのだろうと思います。